なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

チャングム4たび

2007-02-13 03:07:58 | Weblog
 NHKで「大長令」・邦題「宮廷女官チャングムの誓い」が4回目の放映が続いています。
 これは良く出来た筋書きだし、長編ドラマのあちこちに後になって繋がってくるものがちりばめられているので、小さなエピソードも見逃せない感じです。
 時代は倭寇が出没していた頃のようです。
  その頃の宮廷とか庶民の暮らしぶりなどが窺えますし、何といっても毎回宮廷料理が見られます。
 さすがに大陸とは陸続きですから、食文化が違うので面白い。
  それと今回はこれまでのアテレコではなく原語で放送し、字幕スーパーにした点が好いですね。
  日本人とさして変わらない顔の役者さんが、日本人でアテレコでセリフが流れるといった微妙に”ズレ”ていたものが無くなりました。
  うちの奥さんなどは、コミュの韓国語講座に通ったので部分的にはわかるらしく無邪気に喜んでいます。
 私だって”スミダ”とか”アンニョンハシムニダ”ならわかるんですが・・・
  それと今回はノーカット版ということで、毎回・過去3回の放送では見たことの無いシーンを発見できて楽しんでいます。
  さてそのチャングムで、過去の放送でも気になっていたのですが「囲碁」を打つ場面が無いのです。
 主人公が女官ですから、囲碁は入り込む隙間が無かったのかも知れないけれど、当時の朝鮮に囲碁が無かったとは考えにくい。
 舞台が宮廷だし権力者が登場するのだから、その階級の遊びとして出てきても良さそうなんだけど・・・
  尤も、酒の席のシーンはあるけれど、その階級の人たちが何かをして遊んでいるという場面があまり無い・・・
 凧揚げは、相撲みたいなシーンはあったけれど
  だから今回のノーカット版では出てくるのか?、それとももともと無いから出てこないか?注目しています。

チャングムに関してはそういう目でも見ていますが、もう少し時代が下ればはっきり碁に関する記事は出てきます。
  二代将軍秀忠の時代に来日した朝鮮通信使の一人が、算砂と対局したらしい記録がある。
 これはチャングムの時代とそう大きくは隔たってはいないはずです。

日本に大陸から囲碁が伝わってきたのが、3世紀の卑弥呼の時代以降、5世紀に帰化人多かった時代の間らしい。
 しかも船で直接もあっただろうが、朝鮮半島経由の伝播も多かったはずです。
朝鮮の歴史に、例えば
 470年 百済王余慶に高句麗のスパイ道淋が碁を持って近づく・・・とかあるので、確かに碁は半島を伝わってきているのでしょう
 正倉院の宝物の一つも、百済義慈王が藤原鎌足に贈ったもので、それを鎌足の孫娘が聖武天皇に嫁入りする際に持っていったものとか。

ともかく、日本ではその頃庶民はともかく貴族とか上流階級では知られていたはず
 701年の大宝令に「僧尼で音楽博戯をするものは100日間の苦役。碁琴はその限りに非ず」とあるというからこの階級では認められていたらしい。
  僧尼は当時の貴族・上流階級に繋がるものです・・・朝鮮の両班階級ではどうだったのだろうか?
 朝鮮独特のルールで「巡将碁」というものが知られています。
  だからその時代に碁はきっとあった筈だと思うのだけれど
 物語の中では宮廷・料理が中心で、宮廷での陰謀・勢力争いそして後半は医術などが物語を織り成す糸になっている
  だから、それ以外の要素はあまり複雑にしないようにしているのかな?
   でも囲碁ファンとしては気になる 

おいでおいで

2007-02-12 01:12:09 | Weblog
 本題に入る前に、izuizuさんのところで「失題」の話がありました。
(昨日昇段のお祝いを述べさせていただいたばかりで、またまたネタ元みたいに使ってしまい申し訳ありません)
 新垣武九段の「死活反復トレーニング」の本に出題されている問題の話です。
  模範解答が示されているけれど、初めは何の疑いも無く読んでいたが、何度目かに回答の間違いに気がついたということです。
 これは凄いことです。
  本に書かれている=活字になっていること・しかも”先生”が書いたものですから、ほぼ100%の信頼というか、盲目的といったら言い過ぎかもしれないけど信じてしまうことが多い。
 ですから、自分で出した答えが模範解答と違えば自分が間違ったと思い込むわけです・・・解答と模範解答の間に相違があればそう思うところです。
  普通は”問題が間違っているのではないの?”と感じる時は、要するに”出来ない”という現実=”自分に解く力が無い”と、「模範解答」が存在する矛盾?を合理化することです・・・つまり自分が出来ないのは問題のせい・・・
  詰め碁の問題なら正しい道筋がいくつもあってはいけない、基本形の問題ならば正解は複数ある場合もあるにはあるけれど。
 さて私も同じ本を持っています
  そして何回か本を読んで、問題を解いている筈なんです・・・
 でも、気がつかないということは何だったのか!?
  先生の模範解答に合わせているだけなのかも知れない(良い事では無い)。
非常に不安になり問題を確認しましたところ、多分問題となる出題はこれだなというものを見つけたが、見るとブログで示されたものとはダメが違っています。
  なるほどダメが1つ違えば結果も違うが、この違いは何なのか?
 ブログの方に他の方からの書き込みがあり
「第1版の図に間違いがあった」が「第3版で図が訂正されている」との事だった。
  なるほどそうだったのか!!
 彼は第1版を見たのですね・・・版を重ねる時に訂正があったということで、私は更に後ろの「第5版」だから図には間違いが無かった
   マア、なんとなく一安心しました。
 でも、活字は為になると同時に信じすぎてもいけないという教訓でしょう。
”考え方の違い”、”単なる印刷ミス”などなど原因はいろいろあるから判断は難しいです。

さて本題「おいでおいで」
 言葉では同じでも、いろんな意味がある言葉です。
   (辞典では調べていませんが、自分の”感じ”で話しています)
  人を寄せる時の言葉で通行人に声をかけるときにも使いますが、「物の怪」が人を身近に寄せる時の言葉・しぐさ。
 マア美形の物の怪なら寄せられても好いか?・・・
  招き猫も「おいでおいで」の一種かも
そういうのもあるらしいが、私としてはこれは若い頃に興味を持っていた=実は嵌りかかっていた「競馬用語」の方が親近感がある。
  そこでは「逃げ馬」の作戦を表した言葉なのです。
 馬によって性格が違っているのは当然ですが、逃げるのは余程勝気か、反対に気が小さい馬らしい。
 レースが始まって、ポンと先頭に立って一気に他を寄せ付けないほどのレースが出来るならば、それは絶対能力に違いがあるということ。
  普通は作戦・流れ・運などに左右される事が多いから
 「おいでおいで」は後続の馬との距離を適当な間に保って逃げ切る作戦。

馬が走る競馬と囲碁とを比較するのはおかしいけれど、”一気の逃げ”は後の急激な体力ロスを招きやすいように、囲碁でも”一気の逃げ”=薄かろうが足早に先行する”のは後にあちこちの薄みを突かれて破綻しかねないもの。
 碁で強い人は「相手を逃がすような先行はさせない」か「先行されてもジックリついていってキッチリ差す」事が出来る人のようです。
 もっとも同じくらいの仲間で打っているわけですから、馬で言えばレース展開、碁で言えば(私の場合は)その日の運でしょうか、そい言うものに左右されるようです。
 そして、競馬的に言うと私は”逃げ作戦”が好き
  そうは言っても碁の場合は同時スタートではないから、白番なら一気の逃げは無い。
 トラック1周レース(例えば中山1800m)なら、2コーナーから向う正面辺りで競りかけて先頭を奪うことができれば、後は追い抜かれない程度にリード保てれば理想的
 このときの自分のキーワードが「おいでおいで作戦」
例えば辺に相手の30目の地を固めても、見返りに中央に20目の自分の地が出来れば差し引き10目の話。
 相手に自分の三3に飛び込まれても、その反動で相手の地も荒れるのなら釣り合いが取れる・・・
 そんなようなことでバランスを取りながら、ある程度ドライに進めると、相対的な差は保ったまま手数が進む=ゴールラインに近づく・・・勝手に名付けた「おいでおいで作戦」というわけです。

 先日の対局で、序盤でかなりの大チョンボをしてしまいました。
  これはクリックミスで打った瞬間に「待った!!」と叫びたくなるような情け無い状況です。
 本来の着点の隣をクリックしてしまいました。
  1路の違いが天国と地獄
勿論「待った」など無いし相手が許してくれるわけが無い。
  お目こぼしなども期待するだけ無駄
 さてそこから追い込みを開始した(要するに粘っただけかも知れないが・・・)
  相手の弱点を見つけて一気に襲い掛かるか、あるいはゴール前までに相手より半目でも前に出るかの二本立てです。
 展開は後者のかたちになった。
  相手は大きな崩れは無いけれど、徐々に差は詰まって行く・・・
 結論から言うと半目及ばず。
  棋譜を調べると、小ヨセで私が1目儲け損なっているところがあった
 もしそこを間違えなければ結果は逆のハナ差だったかもしれないのだけれど
  それを言ったら、相手も小さな損を重ねているかも知れないから・・・どちらも負けないことになってしまう。
 さて結果から見て、もしかしたらこれは相手の「おいでおいで作戦」で逃げ切られたのかも知れない
 上手く追撃をかわされたような気がしました。

さて先日の「投了」話と関連して
 最初に「大チョンボした時点」で投了しても、最後まで打って半目負けたのも勝敗は変わらなかったのだから、後半は無駄な対局と見るのだろうか?
  それとも、あの碁をここまで追い詰めたのは「なかなかやるワイ」なのか
 相手にとっては迷惑なだけだったか?
内容とか程度問題でしょうが、妥当性というものは当事者ではかえって判断しにくいかも知れません。 

過去の成績

2007-02-11 02:58:15 | Weblog
 いつもお邪魔しているizuizuさんがタイゼムで昇段したとのことです。
  おめでとうございます。
 私などの年令から見たら相当にお若いように感じますので、これは単なる通過点でしょう。
  いつだったか私がサンサンとタイゼムで打っていた時にタイゼムで一度だけ名前を見たことがありますが、あっという間の上昇です。
 本人としては、上昇のスピードに満足してはいないかも知れませんが、私のような年寄りから見たら猛スピード、何といってもこちらは現状維持がやっとでヘタをしたら下がりかねないのですから、その相対的な速度差は・・・

  さて、そんなことで自分の成績も気になって調べました。
  (この記事を書いている時点で)   全成績が516戦265勝251敗 勝率51.4%
  内訳として、黒番の成績・白番の成績が出ていますが、これは勝率はほぼ同じ
 ほぼ平均1日1局の結果です。
  平均が勝率50%のはずですから、勝率が50%以上なのは良いのですが、+1.4%というのは微妙な数字。
 とは思うのですが、考えてみるとどんなに小さな数字でも50%を越えているということは僅かながらアップということになる・・・
  但しこの500数局の期間での傾向としてということに気がついた。
 だから直近の成績を、例えば50局とか100局の勝率を見なくてはいけないということでしょう。
  これが常に上向きベクトルならば、例え歩みはカタツムリでも・・・

 退屈な数字の羅列ですが、過去の成績を期間ごとに括りを変えると
過去1年では 182-175 51%
  半年では  70-69  50.4% (+1勝)
 3ヶ月では  42-35  54.5%
 1ヶ月では  17-14  54.8%
 2週間では  10ー4   71.4%
 1週間では   7-3   70%
好調と見えても期間でみればこの2週間のことのようです。
 半年に限って言えば1つ勝ち越しているだけ!!
  これが点数制度というものなのかも知れないです
 短期間では点数のやり取りで上がったり下がったりしていても、長い目で見ると勝率50%に向かっているらしい。
  過去の成績が折れ線グラフで見ることが出来ます。
    MAXとMINを折れ線グラフで調べると
 今から400局前頃と340局前に底があって、230局くらい前がピークになっている。
 グラフは音叉の振動の形に近いかも知れない。
  だから今は成績が良くても、それは実際には多少調子が良いとか運が良いのでしょうね。
  過去のMAXにはまだあと4点足りないし、いつものスパイラルの中でもがいているということらしい。 
 
PS その後1週間の対局結果は打ち分けになっています。
 50%勝っているのは現状維持だから、私の年令では満足すべきでしょうね
  でも本人としては、「維持」ではなくて「停滞」に感じてしまうのだから、気持ちだけは若いというか、身の程知らず的に欲張りな性格が出ていていますね。
 

信じられない!

2007-02-10 00:54:20 | Weblog
 夕べは「投了」について話しましたが、今回は自分が投了した時の出来事です。
 以前、私が投了した時に「パソコンの調子が悪いので投了させて貰いました」みたいなコメントを送ってくる人がいるという話をしました。
 これは例えば、相手にとって「お前は形勢が悪いのに、粘りすぎ!」のペナルティー的なことだろうか?
  形勢が悪い=即投了・・・は判断が難しいはずですね。
 それでも打ち続けるのは、相手が間違えるのを期待して打ったという判断での怒りをぶつけているのだろうか?
  でも「即投了」しかないなら、逆転を目指して頑張るということは否定されてしまいます。
 ”粘り過ぎ”かどうかの判断も私らクラスでは、難しいと思うのだけれど・・・

さて今回は、頑張って矢尽き刀折れて投了(と本人は思っているが、相手はやっと投げたか”諦めの悪い奴”でしょう)した時。
 こちらからは「ありがとうございました」の挨拶に、返事は
「時間が無いので投了させて頂きました」!!!
  こんな挨拶ならば無い方がましです。
 口先だけの投了に、揶揄・皮肉が込められている
  しかもこれは定型文には無い言葉だから自分で作って置いてあるに違いない。
先日のNHKテレビで、ネットゲームでの5つの注意点の内、2つまではマナーに関することだった・・・これが基本ということです。
 TVでは「相手を思いやることが最も大切・・・」
  思いやりは期待しませんが、こういう確信犯的なマナー違反は何だろう?
 これがIDネームのネットではなくて、実名ですから「私そんなに悪いことをしたのですか?」という気分です。
  この方は、「相手に嫌味な言葉を投げつけることで、勝利の喜びを増幅させているのでしょうか?」
  私に対する「投了が遅い!」という非難より「死者を鞭打つ」言葉にも思えるのは、私もまた自分勝手な性格があるのだろう。

 私が逆の立場の時、相手の頑張りに足を滑らしたり躓いたりもたまにはあることです。
  したがって、私のミス云々では無くて、「頑張る」も故無しでは無いと考えています。
  こういうときひっくり返されるのは、非常に悔しいけれど・・・
   「頑張る」「粘る」はあることです!
   問題は程度問題ということでしょう。
  この、程度の判断はアマでは難しいはずだし、主観的ですからね

 他人に対局結果を訊かれた時に「幸いしました」と応えるのとの気持ちの差は大きい
  昔、中国で紅衛兵の嵐が吹き荒れていた時に聞いた格言で
 「おぼれている犬は棒で叩け!」みたいに(少し使い方が違うけれど)対局に負けた相手は精神的にも叩け!みたい
 「言われるのが嫌なら負けるな」でしょうか?
囲碁を楽しむということは、負けた相手を盤外でも叩くということなのだろうか。
 もしそういう気分があるのなら、囲碁を楽しんでいるのでは無くて、勝負事で勝つことを楽しんでいるのでしょう。

この人も負ける時はあるはずです、もし同じ言葉を相手に投げられた時
 「自分がいつもしていることをやられた」=「負けた時は仕方無い」と思うだろうか?
 もしそうならそういう形で”勝負事を楽しむ人”とはいえるのかもしれない
  しかし何だか確信犯的なバッドマナーです
   そして彼とは違う感覚のものにとっては決して愉快な話ではありません
 対抗手段は無い・・・せいぜい対局しないこと
  「対局拒否リストに入れて当面は対局しない」事がもっとも手っ取り早い・・・しかし心の中ではリターンマッチでリベンジしたい。
 但しリベンジに成功しても彼みたいな言葉は投げません
  何だか自分で自分を汚すような気がすると思うのだけれど、ああいう言葉を投げる人はそういう気持ちを持っていないのでしょう。
 ところで彼は、”きれいに”投げる棋風なんだろうか?
  観戦してみたいけれど、それは嫌味に過ぎるかな?
 また、囲碁でそういうことをする人の日常は?・・・考えると怖いので止めておきます 

投了雑感

2007-02-09 00:04:03 | Weblog
 「投げ時?」というタイトルで昨年の7月にも書いていますが、これは囲碁を打っていれば、永遠の問題の一つみたいなものなので、またまた思っている事をお話します。
 きっかけはizuizuさんのブログで「そう打てば、相手はもっと早く投了してくれたかも知れない」の一文からです。
  勿論この文章にも、書いている人にも何の問題もありません。
 そうではなくて、この言葉に自分の気持ちの弱い部分をチクッと刺激されたのです。

まず、序盤で相手にミスが出たり、こちらの思うとおりに事が進行して、盆と正月とクリスマスが一緒に来た様に景気が良いと、「この碁は頂き」とか、相手が長考すると「投了も考えているかな?」など勝手なことを考えてしまう・・・
 しかし、自分が思っているほどには差が無い場合が多いし、相手だって乾坤一擲の戦いを挑んでくるかも知れない。
 だからそういう挑戦を全て乗り切らなければ、浮かれてはいられないはずです
一寸した相手のミスによるリードを終局まで保って行くのはプロにも厳しいでしょう?
 だから素人の身では「はしゃぎ過ぎ」
  毎度お師匠さんが言うように「最後に間違った方が負け!」
   ザルは「禍福はあざなえる縄の如し」の「塞翁が馬」ゲームかもしれません
 それでも、なまじ形勢判断とか地の計算に自信があったりすると・・・
「まだ投げてくれない」が「相手はいずれ私がどこかで大チョンボするに違いないとナメているのかな?」に変わり、それが「ここで勝負を決めて、相手に投げさせてやれ!」など危険な状態になりやすい。
  全く不遜であるし、冷静さを失っている
 (尤もこういうことも含めて”楽しむ”事が出来るのなら良いのかな)
 ともかく「早く投げてくれ」は正直な希望ではあっても、程度に問題があるわけです。
 
ところで「投了」は敢闘精神・戦いの美学などに関連していて民族的にも大分違いがあるように思えます。
 昔日中囲碁交流が始まった頃、中国人棋士はかなり大きな差があっても投了しないので驚いた記憶があります。
  それは「最後まで精一杯戦うのが礼儀」だと思っていた節がある。
   寧ろ日本の棋士のように、戦い半ばで投了という「放棄」みたいなことのほうがあり得ないことだったでしょう。
  本当の命がけの戦いならば、投了=死ですからあり得ないことなんでしょうが
スポーツにおいても私の知っている範囲ではアメフトのギブアッップはあるけれど、たいてい残りが秒単位でしょうね。
 プロレス、柔道の関節技にはあるけれど、これは実際に大怪我をしてしまうことを回避しているわけです。
 そんなわけで、囲碁では怪我も死にも無いから、投了は無いらしい。
  尤も昔みたいに国による差はなくなってきているかもしれないけれど、パンダでのアメリカ人、タイゼムでの韓国人は・・・それは私の偏見もあるだろうな 
  というのは
 私だって投げるに投げられない事だってある・・・大いにある
  恥ずかしながら・・・逆転を狙って頑張っているのなら、最後はボロボロになろうがそれは自分としては納得ずくなこと
 いけないのは、なんとなく投げられない、投げたら相手に対して負けが確定するから投げられない・・・そういう事だってある。
  こういうときは自分にペナルティーです。
 数えて大差の結果が出るのは恥ずかしいけれど、これは大差負けの宣言を受けなくてはいけない。
 相手に「こんなに差があるのに最後までよく打ったね」と笑われようと・・・
  半コウしかない時点で投了する方が、自分勝手でカッコ悪いと思うけれど、そういうことを考えるのが日本人的なのかな?

大会ノート Ⅱ

2007-02-08 00:19:57 | Weblog
 私が今度の大会で密かに期待していたのは「団体戦」でしたが、どこでやっているのかわからないままでした。
 案内状では3人チームで、チーム名をつけて登録と対局はハンデ戦ということなので、イメージとしては支部対抗戦(これはオール互い先ですが)みたいな3人ずつの対戦で対局者同士の段級によるハンデ戦(最高井目)・・・わかるような気がします。
 実際に大会で見てもいないし、聞いてもいないから勝手な言い分ですが、大会として「面白い」やり方にはもう少し工夫がいると思われます。
 これは昔私が通っていたN囲碁センターで実際に行っていた物に近い
  (過去形で話しましたが、それは今もやっているかどうかわからないから)
 さてそれは「大会ノート Ⅰ」で話したように、碁会所の大会でも単なるトーナメントでは1回負ければあとは消化試合になります。
 しかも民間の碁会所の大会ですから席料・大会参加費を払った上での話しです
  ”マアそういうこともあるさ”とも言えるけれど、そういうことを言っていたら民間の碁会所はお客に逃げられる
  この辺が大きなスポンサーが付いている大会運営と基本姿勢が違うような気がします。
  そこで工夫したのが、大会を「団体戦+個人戦」の2本立てにしたのです
 この大会ののクラス分けとは多少の違いはあるけれどクラスを3階級に分けて個人戦を戦うのですが、普段点数制で対局していますので、前日の点数順で参加者を並べます。
 (参加者が30人とか32人とか都合の好い人数で行います)
それで例えば32人の場合、1チーム4人で8グループ作ります。
 機械的に点数のナンバー1から8までを並べ、今度は逆から9-16と振り分けます。
 そのように32人で8チーム出来ます
対局はクラスごとのスイス方式4回戦で個人戦を行う一方、チーム成績は4人の勝利数の合計となります。
 こうすると、個人の成績はチームの成績に反映するので、結構皆頑張る。
  3回戦4回戦ともなると、一局に一喜一憂
   対局の周りを人垣が出来て、手は教えられないけれど「声援」が飛びます
 初めてのときは参加者にも多少の戸惑いもありましたが、この碁会所では「団体戦が無いとつまらない」が定説になっているのです。

さてこういうことから「大きな大会でも団体戦を」というのは、家庭の経済で国家経済を語るような気がしないでもないけれど、しかし楽しいことは間違いないのだし、後は事務の手間とか、慣れないわずらわしさを乗り越えて試すかどうかの問題です

  もしやるとするならば
5人程度のチーム編成で、8チーム以上偶数で16チームくらいがやりやすい
 完全な事前登録制で無いとやりにくいけれど、これだけ大きな大会では、朝のエントリー確認の時に急に欠員補充も出来そうではある。
① 知り合い・碁会所仲間でチームを作ってもらって、チーム名を登録
② チーム編成は4段以上A、初段から3段をB、級位をCとして各組1,2名で合計5名とする
③ チーム内で序列を決めておいて、その序列で相手チームと対局する
④ 対局は1段級差置石1個を原則として行うが、最高5子程度とする
⑤ (出来るかどうか)チームには最低一人の女性選手がいること
   こういう条件でどうだろうか
対戦はチーム毎の4回戦のスイス方式で行い
 対戦は3勝した方が勝ち点を得て、勝ち点で争う。
優勝はチームの勝ち点で決まるが勝ち点が同じなら総勝利数で順位を決める、個人4勝とか3勝1敗とかの成績優秀者も表彰する。
  成績を大きな紙に書いて張り出して、大会の進行とともに記入していくとこの掲示板辺りは黒山の人だかりになりそうです。
  騙されたと思って一度やってくれないかな?
   声をかけてくれれば手伝うつもりなんだけれど 

大会ノート Ⅰ

2007-02-07 00:17:58 | Weblog
 これは「大会」はこうあらねばならないというような話ではありません。
 ただ第8回、第9回と参加して感じたことをまとめて、「来年はこういう大会だと嬉しいな」という話です。
 ですから、大会の実行委員会の人が見てくれて参考にしてくれると幸せだし、他の催しで考えてくれると嬉しい・・・しかし運営者に働きかける積極性はないというのは少し情けないけれど。

 さて感想では、スポンサーや共催者、支援団体、実行委員会などのかたがたのおかげで9回続いているわけで1ファンとしては大変ありがたい。
  熱意・努力と資金が無くては出来なかったでしょう。
 しかし、感謝感謝として、不備な点もあって改良の余地もみうけられるというのも事実ではないだろうか。
 その一つに、運営者側に「極力手間を掛けない」「最もやり易い」というようなところが垣間見えるところに問題を感じるのです。
 勿論今回のように360人規模で、面倒なやり方をすれば収拾がつかなくなって結局は参加者が戸惑うことになる危険性はあります。
 しかし、「より楽しい大会」「現実の問題点をなくす」努力が残念ながら見えてこない気がする
  問題点は申請段級とか組み分けとかありますが、一番大きな問題点は1回負けるとあとは消化試合的になってくことでしょう。
 それでも午前中の2局は打つ人が多いのは、2局打ってお弁当を食べて、この頃に用意される記念品(扇子かタオル程度ですが)を貰って帰るためでしょう。
 碁盤は船橋の公民館から借りたり”物”を用意する資金と手間を考えたら文句は筋違いかも知れませんが、これでは「囲碁・楽しい1日」とは言えない気がします。
 負けて帰りたくなり実際に帰るのはその人の自由ですが、せっかくの年に1度の催しだからもう少し何かの工夫がほしい・・・それが「より楽しい大会」ということで、「手を掛けない」とは対立するでしょうね

  従来4回対局して4連勝の人が表彰されてきました。
 確かに4連勝は素晴らしい・・・しかし16人に一人です。
しかも朝大会が始まって1局目で負けた人は、「せっかく朝早くから参加して、何だかこれで終わりみたいな気持ちになる」
 それは本人の気の持ちようではあるけれど・・・そういうことで

  改革の第一として個人戦に「2敗失格制度」を導入するとどうだろうか?
 本大会は2敗した時点で失格で、参加したのだから成績とは関係なく4回打ちなさいというタガをはずす。
 「帰りたくなる」とか「4回打たねば」というような心理とか義務感をすっきりさせる。
  勿論会場内で旧知の人や他の参加者と親睦対局は自由として
1つの組は16人です、1回戦が終わったところで○8人に×8人です
 この時点で失格者はいません
○は○同士、×は×同士対局すると
 ①○○4人、②○×4人、③×○4人、④××4人となって、この最後の4人は失格となる。
 ここでお昼休憩ですが「失格だからお帰り」ではなくて別のイベントを用意する
  その話は後で・・・
さて午後の3回戦は①は①同士というように対局すると
 ①○○○2人、②○○×2人、③○×○2人、④○××2人失格、⑤×○○2人、⑥×○×2人=失格となり、3回戦で新たに4人失格者が出る
そして4回戦も①は①同士というように対戦すると
 4連勝一人、○○○×、○○×○、○○××=失格、○×○○、○×○×=失格、×○○○、×○○×=失格となる
 ここまでで1敗者は4人
成績優秀者で表彰したり記念品を出すのは従来どおり4連勝の人だけでも好いけれど、3勝1敗の人も成績優秀と認め名刺サイズで好いから成績認定カードを出して、2大会連続3勝1敗ならば4連勝と同等に表彰する・・・
  「名刺サイズ」といったのは他のカードとか免許証と一緒に保管できるということです。
 一寸した手間はかかりますが、更に熱が入りそうです・・・

さて、午前中で2敗した人とか3局目で2敗した人のケア
 大会公式戦で使われない盤は、親睦やお好み対局で自由に使えるとして
  午後からA,B,Cランクそれぞれで、例えば「9路盤大会」を行うのはどうだろうか?
 昼休み中にエントリーして、大きな模造紙にトーナメント表を書いて、そこに参加者の名前を入れれば簡単に出来そうなんだけれど。
  今年のAは80名参加、Bは160名のようでした、Cは聞き逃したけれど・・・
 午前中にAは20名、Bは40人の失格者が出ます。
  ですからA、Bで先着32人まで位でどうだろうか?
   段位は関係なくA・B同士なら互い先、A-Bならば先くらいで・・・まあ手合い割りはわからないけれど。
  8人でのトーナメントで3勝者にはお土産?
 更に先生たちには早お昼を摂って貰い、指導碁は昼食時間から多面打ちをお願いする
 それと、例えば会場で「囲碁クイズ」コーナーを作って、応募してもらう
  これは10問くらいで、全問正解とか参加者全員から抽選で記念品とか・・・
 しかも締め切り時間を本大会の4回戦終局時間より早くして、応募権を3回戦までで敗退した人に限ったりはどうだろうか。
 クイズの結果は後日発表で・・・

さて勝手なことを考えて書きました。
 限られた人員では運営できないという理由なら・・・待った!!
  大会の楽しみは単に参加するという「お客さん」的な参加だけでは無いと思います。
 大会に参加して対局もしたいし、運営にもボランティア的にお手伝いできるなら進んでやりたい。
 つまり楽しい大会に参加したいのです。
  楽しい大会を作ら無くてはいけないでしょう。 

会場にて

2007-02-06 00:26:27 | Weblog
 日曜日の囲碁大会の成績は2勝2敗と、痛み分けというか申請段位通りというか・・・しかし少し不満の残る成績も、開き直って言うならば、懐かしい人たちとも会えたし、新たな人との出会いもあったし、とても好い大会でした。
 当日は少し時間の余裕を持って出たので、JFEの会場までJR蘇我駅からジェフのフクアリ・スタジアムを横手に見ながら歩いていきました。
 ゆっくり歩いて15分くらいの道のりです。
  前に私と同じくらいの年恰好のオジサンが歩いていきます。
 服装や雰囲気からどうも彼は同じ穴のムジナの臭いがする・・・案の定同じ建物に到着しました。
 案内状に「9時までに受付を済ませてください」とあったから、余裕を持って9時15分前くらいに着いたら、さっきのオジサンが1番で私が2番だったようです
 (本当はそうではなかったのですが・・・)
 二人とも律儀な性格?だったようです。
  つまり要請どおりに早めに到着して、受付が始まればすぐにエントリーします
 (時間ギリギリで来たり、様子を見ながら受付をする人がかなりいたのです)
  受付は始が始まる寸前だったようです・・・受付の準備完了寸前
なんとなく彼との会話が始まった
 向うから「初めてですか?」
 私「私は2度目です」で会話が始まった
  そうこうするうちに受付が始まって、二人ともエントリー確認をしたのですが・・・
 この前も話したようにこれが受付順の組み分けだった
  彼が1番に受付して、チラッとカードに「○ー1組」と書いてあるように見えた。
 どうやら彼とは同じランクのようで、二番目の私は「○ー2組」のような思い込みがあった(理由ははっきりしないけれど・・・)
 組み分けは葉書によるエントリー時点で抽選で決まっているとか、または会場で決めるならば,来た順に1,2,3と同じランクでも組を変えていって予定の最後の組まで行ってまた1に戻るような気がしていた・・・全くの勝手な想像でした。
 現実は最も単純な「来た順」で16人が同じで、彼とは同じ組になった
  それで私は参加2回目なので先輩顔して、「座る順によって対戦相手が自動的に決まるので離れて座りましょう」と話たのに・・・
 彼は何を思ったか、私の前に席を取りました
「1回戦の相手として、組し易し」と思ったのでしょうね、きっと。
  さて定刻に開会式が始まる直前まで、隣の席の前・斜め前が空席でした
 そこへ慌ててオジサンが着席したのですが・・・何だかカードが変!
  同じ組番号ですが、ランクが違っていたので慌てて移動して、そこは開会式が始まっても空席です。
  もしかして隣のおじさんは運良く?不戦勝かと思われた時、ギリギリで現れたのが「例の人」H氏でした。
 その人は前に書いたことがある、3回連続4連勝でも登録段位を変えないで出場している・・・そして前回は私とはその日の3回戦で当たった人。
 チョッと失望です
 もし1回戦を勝っても2回戦はこの斜め前に座っているH氏と当たることになる
ところが今日は少し事情が違っていました。
  対局が始まって彼H氏のボヤキが始まった。
 マア彼のボヤキはあまりあてにはなりませんが
「同じ棋力の人が下げて登録をしてきているから、私が上げられたから2つ置かれている」とか
「Kさん(対局相手)は今日はこの段位ですから、必勝を期している・・・」などと泣きがはいっている。
  彼H氏はKさんとは初対面ではないらしい
   少なくとも彼らは前回大会で対戦したらしい・・・そしてH氏は段を1つ上げて、Kさんは1つ下げてエントリーしてこの対戦となったようです。
 何だか、私が前回彼に対して感じたことと似たようなことを言っている
  登録段位は難しいけれど、彼の泣き言も何だか面白い・・・
 さて私は初対面で会場で知り合いになった彼Mさんには勝ったが、隣の低めにエントリーしたらしいKさんには討ち取られて、今年は2回戦(午前の部で)で4勝の夢はお終い
 お弁当を戴いて、会場の中を歩き回ってプロの指導碁を覗いたり、旧知の方々がいたら旧交を温めたりでした。
  360人参加という会場で10人以上は知った顔と出会って挨拶したし、話はしなかったけれど見たことのある人は他にも数人いました・・・会場での知人の率は3%を越えて5%に近いか?
  意味のある数字でもないし、何の自慢にもなりませんが・・・
 そういう目?で見ると、別フロアーで行われている子供大会はチョッと異様な気がしました。
 子供大会には付き添いの親がいたり、親子のダブルスがあったり・・・
そのこと事態は喜ばしいのですが、何だか囲碁大会の空気が違うような気がする。
 それは飛び交っているトーンが違うからだろうか、それとも子供独特の動きがあるからだろうか?
  子供独特の物もありそうですが、付き添いの母親たちとの一体となった雰囲気はオジサンは拒否されているように感じて少し馴染めないようです。
 同じ碁を打っている仲間とは言えない様な・・・この中身が何かはおいおい考えていくことにします。

 さて午後になるとお昼を食べて・・・記念品も準備が出来るので、さっさと帰る人がいます。
  そんなことで私も4回戦の相手がいなかったので帰ろうとしたのですが、最初の彼Mさんにリターンマッチを挑まれた。
 これは、敵に背は見せられないので対局となりました。
  私は彼に2勝して・・・この日は2勝2敗
この彼は同じ市内でも少し離れているようです
 でも、どこかの碁会所とかコミュニティでまた出会いそうな予感もする
  少なくとも次回のこの大会では出会いそうな
 そういう知り合いが一人増えました。
  前回の憎まれ役のH氏も今日は泣いていたから、まあ親近感が湧いたし・・・人との出会いがある好い大会でした。

ところで、データではなく感じたことなのですが、何故か今日は段を1つは普段の碁会所とかコミュニティより下げて登録している人が多くいたような気がしました。
 これを大きな声で言うと、勝てなかったことの単なる僻みか言い訳みたいです。

兵を語る

2007-02-05 02:29:47 | Weblog
 自分を将に例えるのはおこがましいですが、言葉のあやですから勘弁してください。
 そういうことで兵を語るのですから、結果は知れています・・・
  そしてただ語るのではなくて厚かましくも”大いに語”のです。
そう今日は「趙治勲杯囲碁大会」に行ってきました。
 初めに大きな勘違いを訂正しておきます・・・前にこの大会は小さな8人ごとののグループで行われるような事を書きましたが、4連勝が一人だけ出るという条件ですから、8人ではなくて16人ごとのグループで行われます。
  お恥ずかしい勘違いでした。
 それと「団体戦」=3人チーム、「ダブルス」同じ会場ですが別のフロアーで行われていて、結局は見学できなかった。
 ただ、これらはどうも子供大会の中で行われているか、親子チームみたいなようです。
  それも良いけれど、大人の大会の取り込んで欲しいと切に思うのです
   その理由はあとでお話することに関係あります。

さて日曜日なのに、囲碁の行事があればきちんと目が覚めます
  会場で、聞くともなしに聞こえてきた話では、「夕べは眠れなくて今朝の4時ごろまで・・・」という人もいる。
  年配者でも子供時代の遠足や運動会の前日と同じですね
 私は朝8時前に家を出て、京葉線で2駅です。
  充分睡眠は取ったし時間の余裕はあるし・・・こういう準備万端の時は得てして結果が出ないという皮肉な予想もある。
  案内状に9時までに受付を済ませてくださいとあったから、9時15分前に会場到着は模範的な参加者でしょう
  でもまだ参加者はちらほらです
 「9時までに受付」という注意書きより「9時30分開会式」の方で皆が集まるようです。
  それで、この「受付」で大分味悪な問題点がありました。
 先に述べたように16人ごとの小さなグループでトーナメントのようなスイスりーグのような棋戦です。
 A<4段から6段>
 B<初段から3段>
 C<級位>の3ランクでAはA1、A2・・・A5くらいまでBはB1からB10くらいまであって、Cと子供大会は別フロアーなので分からなかったけれど、総数360人くらいだそうです。
  それでA,Bなどのグループ分けは・・・なんと”受付順”だった。
 だから来た順に決まっていく・・・いかにも合理的なんだけれど、人によっては受付の状況を見ながら、メンバーの顔を見ながら受付を控えたりしているそうです。
  エントリーしている人が必ず参加するかどうかの保障はないし、受付の手間を考えたらこれが合理的なんでしょう・・・しかし、いかにも事務的だし、グループで同じ組に集まって入ったり、逆に強そうな人がいると別の組になるようにしたり・・・そこまでの努力をするのなら認めてしまう?
 でも組み分けは抽選が良いのに・・・
   何だか事務の都合優先ですね
 それでまあ16人が一応来た順に決まります。
  会場は長テーブルを挟んで4ずつが座ります、それでこれが2つで16人
 それで、偶々そこに向かい合った二人が1回戦の相手となり・・・
1回戦○同士が、×同士が2回戦ということでお隣同士が、相手を変えて対局
 次は○○同士、○×同士、×○同士、××同士となり4回戦はとなりの列と交流して全勝の人は表彰状+盾が出ます。
 マア4勝しないと参加賞だけですから、どういう順番で当たっても同じといえば同じなんですが・・・
  問題は、全勝しなければ午後は無駄と思うとか、どうせ参加賞以外はもらえないと思うとかなんでしょうね。
  今年も大勢いました。
 ともかく午前中に2局打って1敗でもすると、お弁当とお茶を貰って、午後の対局を放棄する人が結構いる。
  何かを貰うために打つのではないのだから・・・
   こういう人が居ると、相手が居なくて困る人が出てきます。
大会は、成績と関係なく一人が4局打つことで進行するはずなのに
 ともかく懐かしい人と旧交を温めたりして一日を碁で楽しもうという人と、何かをもらえないから帰るという人が混じっている。
  こういう人たちは(私としては不心得者だと思いますが)その人たち自身の問題であって、主催者は責任が全く無いと考えているだろうか?
 そこのところは微妙です。
  主催者がやりやすいというか、安易な運営方法を取っているというか、より多くの人が楽しめるように改善しようといているとは思えないところにも問題があると思うのですがね
 
この辺の改良案は?思いつきですが、
 寧ろ”負けたらお終い”ということを前提にしたらどうだろうか?
   1敗ではなくて2敗で失格制
  ここで二つのやり方があるように思います
① 4回戦を5回戦に変える
 午前中に2局打ち1敗ならば午後の3回戦に進める。
  そして2敗すれば失格となり、4連勝あるいは4勝1敗ならば表彰
 昼休み時間については従来の1時間を30分に短縮するか、敢えて昼時間を決めないで、空いている時間に取るようにする
 こういうのは少々乱暴だろうか?
② 4回戦は変えない場合、従来の表彰規定を変えて、3勝1敗でもミニサイズの表彰状を出すとか・・・ともかく2敗しなければ良いという。
  逆に2敗した場合は大会開催時間内は碁会所代わりに対局できるというのはどうか。
  「全敗だろうと4回戦打ちなさい!」というのより好いと思う。
   そして例えば午後からは2敗者あるいは希望者による、持ち時間15分くらいの9路盤トーナメントとか・・・ 
 ともかく「消化試合的な対局よりは好いはずですし、今回も指導碁を打ってくれた加藤朋子五段、松本武久六段のコーナーに集中できますし・・・

 ただで遊ばせて貰って、お弁当やお茶を貰ってその上記念品まで貰ってブツブツ言っています。
 ところで前回の参加賞は「趙治勲先生の扇子」・・・やや小ぶりの”女持ち”かレプリカサイズ。
 今回はタオル・・・これは扇面みたいに中央に(多分)「遊心」とある。
  なるほど今回も扇子かなと思っていたので少し嬉しい
   嬉しいついでに言ってしまうと、これは長いタオルなのでお風呂用?
 ハンカチ王子ではないけれど、揮毫入りのハンカチタオルの方が嬉しいな
  いつも持ち歩けますから。
   マア文句の多い爺さんです、私は

そうそう、昼休みに指導碁コーナーを覗いたら、両先生は食事中で内掛け状態でした。
 数面の打ちかけの碁盤が並んでいましたが、そのうちの一つが知り合いのS氏。
彼はコミュニティーで私に3子で挑戦してくる人です。
 盤をみるとどうやら4子局・・・(声には出しませんでしたが)いいのかなこんなに置石が少なくて
 この碁は松本先生の指導碁ですが、以前加藤先生の指導碁で4子で教わり、先生が投了する時「失礼しました」といったとか・・・
 「それに先生だってあまり置石が多いとつまらないでしょう?」と、彼は何だか勘違いしている。
 だから・・・私は思わず言わなくても好いことを言ってしまった。
  「Sさんが先生に4子で渡り合うなんて、私も鼻が高いです」
 私に3子で勝率が悪い筈だから、この4子はおかしいな
   プロの指導碁の置き石数とアマの勝負碁みたいな対局の置石数は基準が違うのを承知しているのに、ついつい。
  それに盤面を調べて、中盤戦でかなり細かい!
   「もう、こなされているね!!」
 午後の部が始まると彼はすぐに戻ってきました
  「エッ?もう指導碁は終わったのですか?」
 彼の返事は「先生が来る前に崩してきました」
  私、一言多かったな。
さてさて私の成績はというと2勝2敗で目標とした3-1を下回ったのですが、可も無く不可もなし・・・いや少し寂しい
 それでSさんにやつあたり気味だったか 

棋譜再現

2007-02-04 00:10:12 | Weblog
 深夜の企画で棋譜再現コーナーを作って欲しいと言う希望を書きました。
 かなり強い希望なので、本来はサンサン事務局にメールするなり、直接電話で話をすべきでしょうが・・・取り敢えずここでブツブツ言うことから始めます。
  棋譜を再現するのなら、今でもこのネットでかなりやれます
 今私が一番利用しているのは、自分に棋譜の記録を見ることで、これは直近の200局くらいは自動的に記録されているので、これは自分の碁を振り返るのに便利です。
 それと、観戦履歴のある棋譜は記録されていて、これも再現できます
  (この場合どのくらいの量が溜まっているのか分かりません・・・多分自戦譜と同様に直近の一定量でしょうね)
 さらに、高段者対局も棋譜が残されています・・・
   それなら”深夜企画”など不要ではないかと言われそうですが・・・
 「棋譜を見て再現」と言ってもTPOというか多少の違いが有るように思えます
例えば自戦譜の場合は、勝った碁は何度も見たい=スポーツの贔屓チームが勝つと何度でもスポーツニュースを見たくなるような・・・そのような気分は有ったとしても、勝敗と関係なく打った碁は振り返らないと「打ちっぱなし」になってしまいそうです。
  オーバーに言うと自分の子供を放任するというか・・・自分の責任のあることを放棄するみたいです。
 そういう意味で、反省とか見直し少し格好つけて(一人で)検討するのはかなり大事だと思っています。
 それでこの場合の棋譜再現は手動でよい・・・寧ろ手動が向いています。
  つまりマウスをクリックすれば一手づつ前進したり後退したりします。
 再現したり、研究バージョンでシュミレーション
  これには手動が合っています。
しかし高段者の碁とかプロ対局の場合で、尚且つ深夜などに研究・勉強と言うことが第一目的ではなくて、”のんびりと見物したい”時(これが許されなければ困るな)には手動ではなく、自動再現が向いていると思うのです。
 不謹慎ではありますが、ゴロッと横になって観戦・見物など”極楽”です
そういう見物的な気分のときは自動が良い
  但しその時の自動再現に注文があります。
   一言で言えば”早過ぎず””遅すぎず”です。
 それは一定のスピードでと言う意味ではありません。
機械的に平均スピードは、ただ再現するだけのような気がします
 例えば1手5秒で再現すると、1分で12手=30分で360手・・・これはせっかくのプロ対局も超早碁みたいです。
 これは忙し過ぎる
   それより、全ての手が同じ時間で再現されるのは味気ないものです
  見物・観戦(=TVの早碁観戦も同じですが)で、”例えば覗きに継ぐ””当たりに逃げる”など、”そうなるところ”なら2,3秒でも好いけれど、本当にそれで好いのかと周囲を見回したり、少し考えるところなら多少の時間を空けて欲しいのです。
  そして長考になったところもそれなりにインターバルを入れてくれるとありがたい。
 そういうことで、我侭な見物人としては、「縮尺的再現」が好いですね。
  何時間かかかった対局を1時間に縮めた形で再現とか・・・1手に数時間と言うのを正直に比例して縮めるのは困るけれど・・・マアそんな風に再現して観戦できたら最高です。

もう一つ我侭を言うと、プロ・アマ高段・有段・級位などで両者健闘している、良い棋譜を推薦して、再現できるようにしてくれると楽しいと思う
 最も誰が選ぶのかが問題かも知れないし、選ぶ手間もかかりそう。
  だけど、今もっとも元気な活躍をしている一人・・・とか
 それは内容ではなくて、単に「点数が急上昇している人を紹介」でも好い
  ネット運営者からの推薦・自薦他薦いろいろありそう・・・最も載せて欲しくない人もいるかもしれない・・・
  逆に自戦譜を載せて「ご意見を下さい」も有るかな?
 ネットというサークル内ですから、棋譜を公開してメンバーの意見を書き込んでもらうコーナーがあっても良いのではないかな 
   
 

本の値段など

2007-02-03 14:00:00 | Weblog
 本の値段について感じたことです・・・私は出版界のことは分かりませんし、どういう基準で値段が決まっていくのか分かりませんが、ともかく感じたことを書きますと。
  まあ想像では
 本も商品ですから、原価をペイして利益が上がらなくてはいけないわけで
  当然時代の相場的な価格もあるだろう
 有名な先生の名前で出されるものは、本当はゴーストライターが書いたものでもネームバリューが価格に反映されている可能性もあるでしょう。
 それでも、その先生なりのエッセンスのような臭いがするならばそれでも良い
  その臭いももしかしたらゴーストの方が作り上げたものも多分にあるかもしれないですけれど。
 昔は○○先生の本は△△氏が書いているとか・・・公然の秘密?みたいなものがあったような気がするけれど、最近は所謂ゴーストライターの力が評価されたのか、「解説は○○九段・執筆・編集は△△」みたいにはっきりと標記されるようになりました。
印象としてはフェアな感じです。
 全てがそうなのかは知りませんし、実際にプロの先生本人がが原稿を書いているものもあるでしょう・・・
 
  それはともかく先日買った呉清源先生の「この手ご用心 目外し高目編」は約220ページ(秤売りではないからページ数も変ですが)で本体952円・つまり概ね税込み1000円です。
 これはパートのアルバイトで1時間+アルファーくらい・・・相場かな
  マアこういう比較が正当なものかどうか分からない、思い付きみたいなものですが

本当は誰が書いたとか、量が多いとかよりも自分が内容に満足できるかどうかが問題ですが、それでも商品として見た場合、それらのこと+物理的な原価もあるわけです。
 それに、チョッと鞄に入れて持ち歩いたり、ベッドサイドに置いておいて手に取るものとしては、量も価格も適当な感じがします。
  先ほどパートで1時間+といいましたが手元に古い碁の本があったので比べて見ました
 それは昭和30,31年に発行されたものです
「死活に関する10章」 高川 格 昭和30年2月  202p  180円
「新選中盤の定石」   高川 格 昭和31年5月  179p  160円「打ち込み48手」   高川 格 昭和31年7月  207p  170円「布石の要領」     高川 格 昭和31年11月 199p  170円
  それはもう古本特有の臭いがして、茶色というより古本色に日焼けしている
 値段の話ですが・・・当時私は小学生で一月の小遣いが300円程度
  当時11才上の兄が就職して、確か初任給が8000円くらいの時代ですから
 日当300円から350円くらいとして、1時間当たりの比較では本は高かったのでしょうね。
 (それとも高川先生の本は当時人気で多少高めに設定していたか?・・・)
 私の学生時代にアルバイトで山小屋暮らしをして日当1500円という、その頃の相場よりも安いアルバイトをやりましたが、相場的な時間給に換算したら200円から250円くらいになりそうです。
 その頃の本とか月刊誌が380円とか480円ですからだいたい2時間の労働に当たるようです。
 やはり今よりも少し価値?があったかな。

ところでこの4冊のうちの1冊の表紙の裏に1000という鉛筆の走り書きがある
 1刷1000円はちと法外・・・多分4冊でセットの値段だったと思う
  それならまあ理解できる値段です。
 当時の本ですから紙の質が悪い
  内容も高川格先生の前書きで、碁を始めた初級者用に書いたとある
 中身については、初級者でなくても勉強になるのだから、わざわざ断ることも無いのですが、さすが当時のものらしく今風の至れり尽くせりは無いように思えます。
 初級者だろうが「基本は基本」という感じが伝わってくる(それとも当時の初級者はレベルが高かったか、初めから一定レベルのものが要求されていたのか?)
  さて、私はこれらの本を何かの必要(例えば自分の勉強用)のために買ったという記憶はありません。
 さりとて、「古書」という骨董的な値打ちもありそうも無い本を買った。
  強いて言えば古い本の色と臭いに引かれたのでしょう。
 だから4冊で1000円には少し迷った憶えがある。
そこまで古くは無いけれどもう1冊古本屋で買った本があります。
 それは「この手ご用心 小目編」 呉清源 昭和46年9月 222p
  それで発行時の定価は表紙のカバーが失われて不明です。
 この本は先日買った復刻版のシリーズの元の本
  昭和31年のものと15年違うせいか日焼けや臭いが段違いに少ない
この本ははっきり「ハメ手」「奇襲攻撃」を意識して買ったものです
 だからということも無いけれど、何度も読んでお世話になりました。
ところでこの本の最大の欠点は、(古本屋さんの評価としてですが)本に前の持ち主が大きな判を押してあること
 今は無い近くの「碁会所」の印です・・・きっと碁会所に備えてあったものが、閉店とともに処分されたのでしょう。
 そのおかげで?この本は50円でした。
売る方の立場としては傷物ですからそうなるのでしょう、しかし落丁などは無い
  まさに中身のみが問題ですから、こんなに役に立って50円!
 こういう”傷物”なら大歓迎です

さてトリビアにもならない揚げ足取り的発見
 さっきの高川先生の「死活に関する10章」ですが、印刷が昭和30年3月21日で、発行が昭和30年2月26日となっている。
 印刷より前に発行ってあるだろうか? 
  

丑三つ時

2007-02-02 04:48:00 | Weblog
 タイトルは昔の怪談の出だしですが、モンスターのような怖い話ではありません。
 夢で怖い夢は見ました。
  不思議ですね、普段は高いところでも平気なんですが、夢の中では震えています。
 若い頃は山登りでガレ場など苦にしなかったのですが、建物の高いところはそれに比べるとやや嫌い・・・
  そんなことで、夢の中で超高層ビルのスケルトンのエレベーターで震えていました・・・夢から覚めても緊張感が腿の辺りに残っていてかなりの不快感。
 目が覚めたのが2時を回った辺りです、せっかく目が覚めたのだからとサンサンに行きました。
  十数人入場していましたがさすがにこの時間の対局は誰もいないので棋譜検索などに回りました。
 2年はここにいるのに、初めて知ったことがありました。
  例えば私自身の成績が出ていて約500局打っていて10の勝ち越し・・・殆ど勝率5割です。
 点数制で勝てば1点上がり、負ければ1点下がるのですが、この変化が折れ線グラフにで表されていて、更に過去の全対局のグラフ以外に直近の100局とか200局とかあるいは10局とか指定できて、グラフで表されたものを見ることが出来ます。
  ある期間内の最高とか最低地点と推移が分かるわけですね。
 棋譜検索ですと、自分の直近200局程度の他に、高段者の棋譜(これは少なくとも片方が380点以上=7段から県代表クラスとか、トーナメントで争っている人のようです)それと直近の対局譜と観戦履歴のある棋譜・・・かなりいろいろ見ることが出来ます。
  これだから、夜中に接続していても飽きないわけです。

更に今回の新発見は「棋譜ダウンロード」のボタンです。
 自分の棋譜は新しいものが200局程度プールされていて、1局打つたびに古いものが消されて新しいものと入れ替わっていくと思っていました。
  それは確かにそうなんですが、このボタンを押すと「棋譜が511局あります。直接ダウンロードしますか?・・・少し時間がかかります」というようなインフォメーションがあった。
  局数からすると、自分の対局数にほぼ等しい
   (戦成績の局数より多いのが不思議ではありますが)
 これはダウンロードしなくてはなるまい・・・問題はパソコンの空き容量
  但し、ダウンロードしたら直ちにリムーバブルディスクに移してしまえば問題ないかな?などと考えましたがどうなんでしょう。

それよりも、もっと恐ろしいことを思いついたのです。
 すぐには出来ないにしても、いつかはこれをやろうという誘惑には勝てないはず・・・
   それはダウンロードした500局あまりの棋譜を使って、全くの自分用でしかないのですが、布石・立ち上がりのパターン集を整理することです。
 私は立ち上がりパターンが極めて少ない・・・例えば
私の先番ならほぼ2連星です
 白番の場合
  黒2連星なら・・・白も2連星
  黒の2手が中国流含みの場合・・・白かまわず2連星か、星と中国流阻止で4手目はカカリ
  黒2手とも小目の場合・・・白2手目は星4手目でカカリあるいは割り打ち
 ライバルのM氏の場合は星+目外し・・・対する私は白2連星
この程度しか種類が無い・・・(多分他に無いと思う)
  だから500局の棋譜を振り返って整理すると案外分かることがあるような気がするのです。
  プロならば「囲碁の真理を探る」みたいな方向で研究していると思うのです・・・それも想像に過ぎないのですが、ザル党の身としてはパターン整理が精一杯の感じです。
 逆に、何にも無かったらそれこそ徒労です
  私は同じようなことを繰り返しつつ、失敗を少しずつ修正してきたはずなので、ほんとに修正してきているのか検査する必要があるし、本当は芳しくない手を無自覚的に打っているのを発見できるかも知れない・・・
  効果の程は不明なのに、労力は相当かかりそうです。
 こういう考えと”丑三つ時”に出会ってしまったのです。
やはり丑三つ時は恐ろしいかも知れません。 

この手ご用心

2007-02-01 01:27:46 | Weblog
 火曜日は仕事が休みだったので、家族が皆(今は女房と息子しかいないけれど)出かけてしまったら何にもやることが無い。
 部屋の掃除などは性に合わない?から、暇のあるなしとはかかわりが無いし。
  一人分の昼ごはんを作るのも億劫なので近所の大型スーパーに行って来ました。
  マンションとは名ばかりの集合住宅ではあるけれど、こういうことが便利に出来るのが取り得です。
 総合病院に近い(ついでに消防署もすぐ側なので救急車はすぐ来てくれる=自慢ではないけれど)、学校は100m、でJRの駅に近くて大型総合スーパーなどが並んでいる。
  図書館・コミュニティも自転車で5分。
 こういうものは皆近くにある・・・それでいて交通量は激しくない
  なにやら自慢だらけですが、最後にこれで財産があれば言うこと無し!が落ち
 ともかくそのスーパーで、お昼を買うには早すぎるので3Fの大型ブックストアーに寄り道・・・これは毎度の事ながら危険なことではあります。
  寄れば、囲碁の本に限らず興味のある物が並んでいるに違いないので、軽い財布が更に軽くなるし、下手をすると初期の目的のお弁当を買えなくなることも・・・”お昼は家にある残り物”でという事だってありそう。
 本屋でドップリ嵌ってしまうと時間が経つのが分からなくなるし。
  本屋さんに入ったらまず「囲碁・将棋・ゲーム」のコーナーに直行
 何だか場所が変わっているので、いつもと違っていましたし、どかっと抜けているところがある。
 毎度不満に思うのですが、将棋に比べると種類が少ない。
   それと比率として入門・初級者用が多い。
 確かに入門者や覚え立ての初級者は、こういうテキストが必要だし、勉強熱心な人ならこういうところで本を選ぶでしょう。
  それは良いのです。
 しかしそれ以外の囲碁の本が少ない感じがする。
  こういうものは配給会社の指示とか方針で、店は品揃えにあまり関与していないのかも知れない。
  それに全体の中での売り上げはパーセントで限りなく0に近いだろうから、あまり重要ではないかもしれない。
 それでも、こういう点になにも工夫が見られないのは寂しいものですね。
さて今日もあまり変わり栄えしない品揃えなのでがっかりしていたのですが、隅の方に3冊のシリーズものがありました。
  三つのうちの一つは持っていますが、あとは持っていないのでそのうちの一冊を買いました。
 (本を買うだけならネットでも探せますが、矛盾しているようでも、こういう風に本屋で出遭って買うのが好きなんです。)
「呉清源のこの手ご用心<目はずし、高目編>」 呉清源  山海堂
  装丁が変わって、出版社がアレッ?でしたが、断り書きがありました。
 昭和46年に池田書店から発行されたものを2003年に名著シリーズとして刊行とある。
 「置き碁編」、「小目編」が好評だったので、「目外し高目編」をまとめたとの事であります。
  そういう前置きがある以上これを読まずにはいられない・・・という事意外にも多分に不純な動機もあるのです。

そうサンサンでのライバル的な方の得意の布石・・・最近それ以外見たことが無いのですが・・・立ち上がりが星+目外しです。
 これは黒番でも白番でも同じです。
  ということは、目外しについて相当勉強しているはずですし、少なくともある程度変化が頭に入っていれば、その場で変化を考える相手よりは有利ということなのでしょう。
  だから少なくとも彼に力を発揮させないとか、技を出させないための準備にはなりそうです。
 基本的な勉強と、対特定の人対策です。
  「核の脅威」と「抑止力」みたい・・・そこまで恐ろしくも無いですが

ところで、呉清源師は大正9年5月の生まれ・・・なんと私の母より二ヶ月しか違っていない。
 私は母を数年前に亡くしましたが、それでもマア長寿のうちだったと思っていますが、晩年は認知症で私を息子だと判別できない状態でした。
 それに比べると、凄い知力・生命力です。
  私などは「長生きも芸のうち」しかないのにそれも怪しい持病持ちですが、なんとも凄い先生です。 

囲碁とは関係のない話ですが、昔「切り抜いて作る紙飛行機」のシリーズを買って、娘が小さい時にせっせと作って近所の公園で飛ばしたものです。
 ゴムカタパルトで飛ばすと娘でも飛ばせるので本人も自慢そうにやっていました。
  他にも「切り抜いて作る建築物」・題名は忘れましたがそのようなシリーズ本もありました。
 今日はそれとは少し違うのですが、似たようなシリーズを見つけて、買おうかどうか随分迷った。
  とりあえず買っておいて、暇な時に(実はいつも暇なんですが)やれが良いという手もあったのですが、今日のところは見送りました。
 一つは「切り絵」の本:下書きが沢山載っていてカッターがあれば(出来たらアートカッター)すぐに出来ます。
 もう一つは「大人の塗り絵」の本で、こちらは5冊くらい並んでいました。
  花とか静物、風景などの下書きに自分で色を塗るものです。
 子供時代に駄菓子やで売っていたぬり絵の本に比べたら、随分”高度”な絵でこれも水性の色鉛筆などで塗ればきっと楽しそうですね・・・そこそこに出来たら額縁などに入れて、何食わぬ顔で玄関の靴箱の上において置けば案外素人の絵だとは気づかれないかも知れません・・・。(上手すぎるか?)
  今日は碁の本より、そちらの棚で時間がかかってしまいました。