なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

いささか慢心気味・反省

2008-06-15 16:11:31 | Weblog
 6月にになってもう2週間になるのに、多分対局数は2局だけです。
  多分と言ったのは、3局前の記憶が薄れていてはっきりしない・・・”多分5月中”だろうと思われる。
 さて、それでは碁が嫌いになったかと言えばとんでもない、毎日ネット碁には顔を出し観戦はしている。
 尤も、1局全部観戦することは無くて、たいてい途中で退席するか・・・あるいは眠ってしまうことが多いのは情けない。
 それって、所謂読書好きと言う人が寝る前に本を開くと寝つきが良いのに似ているかもしれません。
 私の場合、対局者には甚だ失礼ではありますが、ネット中継の対局を見ていると寝つきが良い。
 そういう条件反射が出来てしまっているのだろうか?、今度はリアルではどういうことになるか実験して見なくてはいけないと考えています。
 例えばいつものコミュニティに行って対局している盤の側で観戦した場合、眠くなるかどうか・・・
 マア周りに人が大勢居る環境だし、畳に座った形ですから条件が違いますが
  それでも碁の内容によっては眠くなるとも言えるし・・・
  あるいは、とても寝ていられないような活劇を盤上に見るかも知れません

 さて、今日は「毎日が囲碁道場」というところにアクセスして観戦しました。
  どこか、懐かしいような感じでしたが、それは私の錯覚かも知れません
  昔私が入っていたことがあるのは”朝日”のような、これは”毎日”。
  ともかく新聞社系の囲碁で、今回は「本因坊戦」の実況・解説を探していたら入ることが出来ました。
 まあ、観戦のみなのでほんとに「見るだけ」、そこの会員さんたちの碁は観戦出来る。
  そういうのは、いくら便宜的なネット観戦でもつまらないですね、「見るだけでなく触ってみたい」のも人情です。
 しかし、現実に2ヶ所分の会費を払うとなると、やはりケチな心が動きます。
 入会金を考え無ければ月に2000円くらいでしょうが・・・それでも今みたいに10日で2局の人間が複数の会員になるのは余り現実的ではない。
 尤も、局数とは関係なく実名ネットとIDネームネットのところではそれぞれに良いところもあるだろうから、「打ちたいときに打ちたいところで打てる」と言う贅沢に心が揺れます。
 どうもイソップの隣の芝生(イソップでしたっけ?)が良く見える口かも知れないが・・・
 それに碁会所に行くことを考えれば、1回いけば席料で1000円程度はかかるしそれに交通費だとかコーヒーだとか考えればネット会員料が1つ増えるくらいはたいしたことではないようなことが無いような気もするのだが、この辺りが消費者心理というものでしょうね。

 ところで今日は「毎日」の方で観戦していて、各対局に割合観戦者が大勢居ることに気がつきました。
 1局に7,8人見ているみたいです
  それと見ている人数は対局一覧表では分かるけれど、一旦対局室に入ると何人見ていようと分からない・・・まあ、囲碁の本質的問題では無いでしょうが
 さて、観戦していて不遜にも割合当たり前の手ばかり出てくるような気がして・・・
 相手の着手があって、第1感で考えそうな手が暫く考えてから着手される
 これは、一見弱そうな感じがする・・・という偉そうな気分になりかかる。
 考えてみれば、私は今傍目8目状態ですから対局者より冷静に見えているかもしれないし、なんと言ってもどちらが勝とうと構わないのですから気楽な野次馬。
 ところが対局者は、当事者ですから石橋もたたいて渡る心理です。
  ということは、一見ノータイムで打ちそうなところをキチンとチェックを入れながら打って居るわけで・・・寧ろ強い人たち?

 残り時間を見ると両者5分とか6分・・・「この手数で?」
  その横を見ると手数8とか9とか・・・やっと分かりました
 これはパンダで見るような「25手を10分で打つ」と次の25手に10分追加されるというアレですね。
 ということは段級レベルもパンダレベルでしょうね
  それですと、日本棋院より厳しいでしょうから、やはり私のほうが慢心的
   マア、ネット名で見方を変えるのも変ですけれど。

個人的に高尾週間です。

2008-06-14 17:16:57 | Weblog
 この間の水曜日、仕事が休みだったので何気なくTVのスイッチを入れてBSにすると、本因坊戦挑戦手合い3局目の中継が始まっていました。
 全く気にしていなかったので巣から”超ラッキー”です
 尤も一日目の朝ですから、入室風景とか解説者、立会い人の話などが主ですから盤上の進行としては所謂素人受けはしません・・・私だけかも知れませんが、私はれっきとした素人なので、直ぐに素人の代表みたいな言い方になります。
 マアその分解説の王銘琬九段が頑張っていたように思いました。
 王さんはNHK囲碁講座に「ゾーンプレス超入門」を連載中ですが、あの文章で読んだ感じと、TVでの話の調子がピッタリな感じで、関係の無いところで嬉しくなったりしました。
 午前中の放送では大きな進展は無さそうと・・・プロ的な目で見れば、家の土台ですからここが重要でしょうが・・・夕方から続きを見ることに。
  夕方は私少し遅れてTVの電源を入れたところ、既に打ち掛けとなっていました。
 成る程一気に碁が動きそうな場面です。
  
 ところで翌二日目の木曜日は仕事で中継を見れず、残念
 仕事の忙しさと、睡眠不足で本因坊戦を失念していました。
  結果はネットで確認しましたが、棋譜はスポンサーに権利があるのか、出ていません。
 あるにはあるのですが、記号の羅列のような・まるでシステムの記号みたい
  結果は分かったのですが、、、新聞社が解禁してくれるまで待つしかないですね。
 ともかく高尾さんが3連勝で王手となったらしい。
  地元出身でじかにお顔を拝見したこともあるので(余りたいした理由ではありませんが)高尾さんの応援気分ではあります。
 それでも挑戦者が嫌いなわけではないし、両者の対局をもっと見たいので次は挑戦者に頑張って欲しいですね。
 それと、日本では本因坊といえば名人、棋聖と並んで3大タイトルですが、そのタイトルを争っている棋士が国際棋戦でイマイチなのは寂しい限りです。
 そういう意味では、タイトルの行方は勿論大事ですが、その先を見据えた碁を目指して欲しいですね・・・素人は言いたいことが言えて好いですね。
 日本のタイトルホルダーが世界戦で不振ですと、日本のタイトルが何かソラゾラしい感じです。
 
 高尾本因坊は20台の前半に一度会ったことがあります。
  イエ、一方的なものですから本因坊は覚えているはずは無いのですが・・・
 棋院支部対抗戦の県予選に来てくれました。
  彼も子供の頃に会場となった支部・碁会所で高段者に鍛えられた関係だそうです・・・わが師・K畑師匠なども「俺も鍛えてやったぞ!」と威張っています。
 師匠の力碁に粉砕されたこともあるらしいが、、、
  高尾さんはアマを育てる名伯楽・田岡敬一氏に鍛えられ、その後藤沢九段門下
  ホントに田岡さんに鍛えられてよかったですね。(K畑師匠に鍛えられると私レベル止まりですぞ!)
  それはともかく、”見たことがある””言葉を直に聞いたことがある”というのは、それだけでファンになってしまいます。
 当地出身の棋士では森田九段が若い頃に打っていただいた事がありますから、二重にファンになる条件を満たしていますから、当然活躍が気になる棋士の一人です。
 いい年をしてミーハー的ではあります。
 
 今日は毎月の定期健診日なので病院に行きまして帰りに図書館に寄りました
「有段者囲碁選書1 正々堂々高尾の力学」 日本棋院 2006年7月
 たまたま、私が囲碁関係の書棚の前に居る時に、この本が返却されて書棚に戻ってきました。
 内容は確かめていませんが、今週は”高尾”と言うことで、、、
 「はじめに」という前書きで「手厚く堂々と構え、深い読みは相手の弱点をとがめるときに発揮する。・・・」と書かれています。
 流石に良い言葉です・・・が、私と正反対なのが
 「先を急いでいるつもりで、いい加減な掘っ立て小屋だから、狼に吹き飛ばされそう・・・相手の深い読みにこちらは弱ってから考え込む・・・」
 本の中身はともかく、前書きだけでも”ため”になりますトホホ。

土曜日のBS囲碁将棋ジャーナルでの今週の大盤解説が本因坊戦第3局でした。
 勝敗を分けたであろうという勝負所までの解説でしたが・・・解説者の彦坂九段の説明と実況の時の王九段との全く同じところと、かなりニュアンスが違うところが面白かったですね。
 それと、実況の時王九段は「いつもの羽根さんと打ち方が違うように思いますね。
 いつもの羽根さんは今日の高尾さんのような打ち方で、今日の羽根さんはいつもの私みたいな打ち方みたい・・・」のような話がありましたが、今日の彦坂九段の解説ではその点には触れていなかった。
 これは聞き役の人が解説者に振って欲しかったな・・・尤も彦坂九段も同じ中部だから答えにくいかも知れなかったかも、それと彦坂九段は囲碁の進行以外の興味が無い性格のようにも見えた(当たっているかどうか)。

今日こそは打つぞ・・・

2008-06-13 18:20:04 | Weblog
 水曜日の夜に久し振りにスペインに居る息子から電話があった
  普通は便りが無いのが良い便りと言うことで、老夫婦で安心と言うか慰めあっていたのですが、実は電話もする気にならない程落ち込んでいたらしい。
  話を聞けば(本人には言いませんが)たいした問題では無さそうなので、恐らくオヤジとオフクロに話せば半分は気持ちが落ち着くだろう
 とは言え、俄かカウンセラーも結構疲れるものです
  そうこうするうちに、深夜には娘から相談事で睡眠不足です。
 まったく、姉弟揃って両親をボケさせない、親孝行なことです。
  そんなことで、睡眠不足やら、集中力不足でここ数日碁を打っていません。
 観戦はするのですが、いつの間にか眠ってしまい、対局者には迷惑をかけっぱなしです・・・例えば11時頃観戦・・・していたはずが気がつくと3時頃で(『誰だ!時計を勝手に進めたのは!』という感じ)、当然対局は終わっているのですが、観客が一人残っているので、その対局室は何時までも開いている状態。
 さて、もともとたいした問題でもないので、大方片付いたし、睡眠不足も何とか解消できたみたいなので、今日辺りから打ちたいと考えています。

 ところで今日は久し振りに良いお天気、、、良すぎて一足早く夏みたいな
 天気予報を見て・窓を開けて体で天気を感じて・・・今朝は半袖で出勤しました
 ところが家の近所ですれ違う人は長袖が多く、中にはその上にベストとかジャケット姿の人もいますから、勤め先で「年の割りに元気がいいですね」と冷やかされそうな気がする・・・勝手に心配して勝手に対策を立てる性格です。
 その時の返事は「久し振りに良いお天気なので着る物が無くて・・・」くらいしか思いつきませんでしたが、前もって言い訳を考えながらの出勤です。
 通勤中にも気温が上がっているようで、通勤中では半袖の人が多くなって、言い訳は不要の見込み・・・もっともジイサマが何着て行こうと気にする人はいないでしょうが、、、『寂しい!』
  
 この天気の良さと多分関連があるのでしょうが、勤め先の敷地に巣を作ったツバメが元気に忙しそうです。
 敷地の中を京葉線の高架が走っていて、そのコンクリート天井と言うか、電車の走るレールの下の床下と言うか、高いところにツバメの巣があります。
 親ツバメ2羽が忙しそうに出かけたり戻ってきたり・・・
  サットすに戻ると瞬間技でなにやら餌を与えて飛び去る・・・この時雛の声が大きくなる・・・観察の結果?これは2羽の雛のうち餌をもらえなかった方の雛の不満・お腹がすいているコールのように見える。
 一羽の親が去った後すぐにもう一羽の親が来て餌を与えるようだけれど、この時どちらがよりお腹が空いているかの目印になるのでしょう。
 親鳥は忙しそうに飛び、雛はピーピー鳴いています・・・何時までも見ていたいのですが、観察のベストポジションが2F男子トイレなので何時までも居るわけに行かないのが残念。
 そこで昼休に、所内で勝手にバードウォッチングをしました。
  敷地内の高架下に合計4つのツバメの巣がある模様
 3つの巣では親鳥の出入りは確認できなかったのですが、巣の土の色からして使っていそうです。
 後、半分壊れた巣が1つありましたが、これは土が乾いているいる色で、既に放棄されています。
 それと2箇所、コンクリートに土の跡があるところがあったから、過去にそこに巣があったかもしれません。
 ともかく巣は4つもあった。
  なんだか訳も無く嬉しくなる。

 昔TVで老人たちに「具合が悪い時はどうしますか?」の質問に、異口同音に「ゾウを見ます」と返事をする場面があった。
 血圧を測ると確かにゾウを見る前と後では血圧が違う・・・
 医学的な説明はともかく、ゾウだけではなくツバメにもなにやらあり難い効果があるような・・・期待はある。
 先日ツバメを見た日から2戦2勝・・・全く因果関係は無いのでしょうが
  しかし、他力本願を通り越したノー天気な気分で
 「イワシの頭も信心から」「信じる者は強い」
  金曜日だし今日は久し振りに打つぞ!。
 

質問

2008-06-12 18:17:42 | Weblog
 仕事の関する常識みたいなもの・・・”みたいな”と書いたのは、この類のことがたくさんあるからです。
 普通に考えると社会常識から考えられるもの、、、マア是なら何とかなります。
 テンプラでしたが学生時代に学んだこと、、、これもマア何とか
 ところが今勤めているところは所謂門外漢
  私以外の人は所謂技術職で、私一人が文系と言うか事務系的存在です
   厳密のに言うと私も理系の学生でしたが、理系といえるほど勉強をしなかったので理系モドキあるいは理系クズレといったところです。
 従って「何故?」「どうして?」以前の皆目分からない事だらけで、言葉さえ通じないことも珍しくない。
 そういうことで、私は他の人に質問をする回数が多い、、、それも知識以前の辺りですから、訊かれた方は面倒くさいことだってあるでしょうね、それも無理も無いことです。
 『こんなジイサマに今更苦労して教えても・・・』というのが本音でしょう。 
 人情としてよく分かるのですが、やはり冷たくあしらわれたりすれば『二度と訊くものか』と思ったりして、、、
 訊いた相手に何か期待していたわけで、『当てにしていた私が馬鹿でした』となる

 ところが似たようなケースで全く違う反応もある
 今日同じように同僚のA氏に質問すると、、、彼にとっても即答できないような問題だったらしく、ネット検索・省庁のHP検索・そして上司に質問までして調べてくれました。
 彼にとっても勉強になったのでしょうから、満更無駄をさせたのでも無さそうではあるけれど、気楽に質問した方にとってはなんだか心苦しいような。
 次からは、そうそう気楽には物を訊けないと思いました。

 普段の仕事の半分はデータ入力などですから、一見専門的な細かな数字を扱っているから、いかにも細かなところまで分かっていそう、、、
 ところが実際には、決まったところに申請・報告された数字を入力していくに過ぎないのですから、指先が仕事をしているだけみたいな、、、
 それでもたまには、なにやら矛盾するようなものを発見して、質問ジイサマになるのです。
 そして質問に答える人が詰めたい反応も困るけれど、細かに調べる学究肌もかえって恐縮してしまうから、そう度々は訊けなくなってしまいそうです。

 ところで囲碁の話ですが、高段者との一局終わって、勝負どころと思われるところの応接、着手に迷ったところなどについて質問すると、喜んで一緒に並べ直してくれる人と、やや迷惑そう・面倒臭そうな対応をする人が居ます。
 この場合は、熱心に答えてくれる人にくらいつく一手ですが 
 中には並べ直して、いろんなケースを確認するのが楽しくてしょうがないというような人もいて、実際の対局より局後の方が倍近く時間がかかることも稀ではありません。
 場合によっては、問題の場面からもう一度打ち直しみたいなときもあります。
  こういうときは、遠慮などせず甘えるに限りますね。
   上手の手を煩わせている様な遠慮も時には必要でしょうが、上手も並べ直しを”楽しんで”いるはずだし、、、
 まあその割には期待に沿えず育ちが悪い弟子ですが、、、
  (期待など・・・縁がありませんでした)

カラスの勝手でしょ

2008-06-11 16:23:37 | Weblog
 いつもの通勤コースの途中にある緑地帯です。
  先日も話した様に、巣から落下したカラスの雛(もうだいぶ大きくなって居ますが・・・)、”親切な誰か”が壊れた透明のビニール傘を使って、地上に雨よけの巣が出来ています。
 今朝その横を通りかかると、親切な主と思しき年配の夫婦と話をする老婦人3人 何を話して居るのかは知りませんが、老婦人の腕に若いカラスがとまっている
 手乗り文鳥ならぬ手乗りカラスになっているようです。
  さて最初は”善意”で巣から落ちて親に見捨てられたカラスを助けたのかもしれない・・・雨に打たれて、餌が無ければ概ね行く末は想像できます。
 そうではあるけれど私には、本当に人間が手を出して良いのか疑問ではありますが・・・もしそこに居る夫婦および老婦人たちとそれを論じたならば、恐らく私は良くて「冷たい人間」悪くすると「人」のレッテルを貼られるような気がします。
危険な状態にある動物を助けるのは、善意からの行動に違いない・・・可愛い小鳥か悪役のカラスかは別として。
 しかし、生態系と言うか自然界の生き物とのかかわり方の原則的な問題
 それと自然な動物とのかかわり方の法律・・・問題はそれほど単純では無さそうなんですが、私が「理屈を捏ね回してケチをつけているだけ」みたいな印象・・・人に言われる前に自分で思ってしまうところがあります。
  ともかく野生の鳥を助ける事でさえどうかと考えるのに、半ペット的な接し方になっているので、それを黙って見て居るべきか悩ましいのです。
 そんなことを考えるのは、私がおせっかいな性格らしいいし、それで居て行動に移せない優柔不断なところが見えている。
 善悪は別として「助ける」と言う行動に、「反対の立場で説得する」と言う行動を取れないのですから、、、
  今のところ何か怖くて言えません。
   そこに居る人たちは何処の誰かは知らないし、彼らは良いことをしていると思い込んでいるでしょうから、真っ向から否定するような口出しをするには勇気が要りますから何も言えない状態。
 それで居てその横を通って通勤しているのだから、まさに黙認したことになるというジレンマを感じます。
  帰り道にそこを通ったら、今度は成人したくらいの年頃の女性とその母親と思しき女性の二人連れがカラスを眺めていた。
 件の巣の前には水を張ったポリ容器とポリの洗面器が置いてある
  だんだんエスカレートしていく嫌な予感がしました。

 さて、こういう光景って、こじつけっぽいけれど、囲碁の観戦にもありそう
 横で見ていて、「それは無いでしょ」「エッ!?ホント」「マジ?」と言う場面に遭遇した時に似ています。
 仮に何か言ったとします
  その時もし「何故?」と訊き返されたとしたら・・・
 「何故」には二つの意味があるだろう
 一つは「どうしてそう打ってはいけないのか」
  この質問も「何故」「何故」と問い詰められていくと、説明に詰まってしまう心配があるから「絶対是が良い」とか「それはありえない」という表現は”絶対”しない(是は保身でしょう)。
 「私はこう”考える”けれど、どうでしょうね?」という、断定とは程遠い半疑問形の発言になる。
 まさに自信の無さの裏返しで、反発のハネッ返りを事前に避けた形ですから、説得力に欠ける事。
 もう一つの「何故」はもっと辛らつな棘を含んでいるかもしれない。
 その何故には『私らお楽しみで打っているのですから、どうしてあなたが横から口を挟むのですか?』の意味合いが無いとは言えない。
 そこのは『あなた程度の棋力で』と『教えて欲しいと頼みもしないのに』がチラチラ見え隠れしているような気がします。

 何もそこまでして、何かを言う必要は無いでしょう。
 ところが、是は必要とか不用の問題ではなくて・・・人は人に何かを教えるのが好きなんですね。
 「教える」とまでは行かなくても、何かの役に立つことがしたいのが本能みたいな物かも知れない。
 ですから「本能的な行動」と「知ったかぶりみたいな発言」の狭間でジレンマを味わうわけです。
 そして相手から「どうやろうとカラスの勝手でしょ」と言うシャットアウトの答えが来る事だって・・・
 さてさて、ペット化しつつあるカラス
 世話をしている夫婦とカラスの雛の両者から「カラスの勝手でしょ」と言われそう。
カラスは勝手でも仕方ないけれど・・・ 

 

悪循環に陥りそう

2008-06-10 17:29:15 | Weblog
 夕べパソコンでネット観戦しているとバアサマがやって来て・・・本当の用事半分・見張り?半分みたいに気にかけている・・・いい年をしたジイサマが。
 ともかく「”しゃこう”のしゃの字はどうだっけ?」と訊いてきた
  「さえぎるという字ですよ」
 「なんだよ、商売柄の割には・・・ともかく庶務の庶みたいな字」
  結局ネットで「しゃこう」と打ってみて「遮光」を確認できましたから、、、パソコンは便利なことを再確認できたものの、こういう記憶が薄れている情けなさを感じました。
 ともかくバアサマは家計簿代わりの日記に書き込むらしい。
  ついでに娘に近況報告の携帯メール・・・それなら初めから携帯で調べればいいのに。

 ところで遮光カーテン
 「最近外が明るくなるのが早くて、4時には目が醒めてしまうから昼間眠くて仕方が無いから、部屋のカーテンを替えました」
 「ニワトリ年だったんだ!?」とからかったのにオヤジギャグは無視
 ともかく『成る程、そういう事情か』
 しかしそれはバアサマのバアサマたる所以ではないか!という本心を隠して
 「今度は目が醒めなくて寝坊しそうだね」
   われながら優しいというか偽善的と言うか・・・

 さて季節柄明るくなるのが早くなって、目が醒めるのが早くなる・・・そういう自然の摂理みたいな法則性は私には無いらしい。
 どうも、眠くなったら眠るという”無頼的睡眠?”らしい。
  但しジイサマなので連続して長時間眠れる体力は無いので、せいぜい5,6時間、、、4時間も珍しくない。
 但しいくら何でも4時間は少ないから、オマケの2時間とか、ついでの1時間とかはありますからトータルでは7時間にはなっているでしょう
 問題はトータルでも条件クリアーなのか、連続でなくてはダメなのかということはありますが・・・
 ともかく目が醒めてしまうのだから仕方が無いし、無理に眠るのも出来ないし
  マアそれも年令という自然の摂理かも知れません

 ともかくバアサマのは明るくなると目が醒めてしまう
 私のはただ長く寝ていられないだけ
  夜面白そうなTV番組が無ければ、さっさと部屋に入ってネット観戦・・・観戦はいいけれど自分で打たないと寝てしまう事が・・・そして変な時間に・深夜に目が醒める。
 そしてまさに今みたいに「下書き」を入力していて気がつくと外では新聞屋さんたちが走り回っている。
 そして明け方・・・バアサマが目が醒める頃私はもう一眠り。
  若い頃と違って「あと2時間寝る」が出来てしまうのですから人生のベテラン?・・・若い頃ならそんなことをしたら目が醒めるのは昼頃・・・
 しかし、切り貼りと言うか継ぎはぎ的睡眠ですから、トータル的に辻褄合わせみたいで余り健康的とは思えない。
 この悪循環を脱するには・・・もしかしたら良い方法があるかも知れません
  いつものネット観戦の時間に自分で打つ事にしたら良さそうです
 12時くらいまで打って、その後観戦に切り替えればぐっすり眠れるでしょう
  対戦相手には多少失礼かもしれないし、自分でその時間に対局意欲が満ちるかどうか分からないけれど早速今晩辺りから実験してみることにします。
 

売り言葉に買い言葉?

2008-06-09 18:23:09 | Weblog
 以前大相撲で特定の力士同士が仕切り前ににらみ合う場面がありました。
 本人同士の感情はともかく、”一種の盛り上げ”にはなっていたと思う
 そういう意味では、アノ派手なパフォーマンスの関取と同じような物ですが、ただしファイトが全面に出過ぎると、見ているほうが良い感じがしなくなる。
 これはお伝統技能以前に、金を取ってスポーツを見せるプロとしてはほぼ失格に近いと考えるのです。
 それと、相撲の場合は事実上勝敗が決まってから土俵上から突き落とすみたいなことをする力士が居ますが、、、本人が「勢いがついてしまって・・・」という言い訳はほぼ嘘だと思って聞いています。
 勝負は厳しいから最後の最後まで手を抜けないので、時としてやりすぎに見えるのも仕方が無い・・・と暗に言っている感じですが、歴代の大力士にああいう事をするのを見たことがない。
 つまり「気持ちの問題」でしょう
 だから土俵上で、勝負がついた後トラブルになりかかる原因物質を持っているのでしょう。
 マア相撲ですから乱闘を売りにするほかのスポーツショーと一線を画してもらいたいものです。

 ところで数日前のサッカーの国際試合
 日本のある選手にレッドカードが出ました。
 TV観戦していて、レフェリーとしては当然の判定で情けなくなるくらい。
 アウェイであること以前にスポーツマンとしての常識を疑いますね。
 尤も彼については以前から疑っていましたが・・・
  ゴール前の際どい接触プレーの後、相手GKを蹴っている・・・ビデオにもはきり映っているし・・・レフェリーの目の前です(レフェリーが見ていなくても関係ないですが)。
 私の想像では「ここで一発蹴飛ばしてやれ、どうせイエローカード程度だろう」
 と、考えたのではなかろうか・・・それははっきり報復行為
  そういう行為が個人的に、チームにどういう結果をもたらすのか・・・分かっていないとは言わせません
 ましてやイエローカード程度で済むなら蹴り得と考えたのだろか?・・・それでは町にたむろする○○と変わらない。

 さて囲碁の場合スポーツのような接触プレーは無いし、人と人との交流に役立つ遊びであるはずですが・・・たまに脱線しかったりする場合もある
 やはり君子の遊びの一面と、あくまでも勝敗を争う面とがあるので、そちらに
ウェイトがかかり過ぎると、周りが見えなくなることもあるらしい。
 これは私の目撃した話で、マア誤解含みと言うか、誤解を起こしやすい発言というか
 碁会所でNさんは一局打ち終わって”帰ろうかどうしようか”と腰を浮かせたところ
 そこへ観戦しながら待っていたAさんが「一局お願いします」
 Aさんにしてみれば、常連と言うほどでもないし、せっかく碁会所で待っていたのだから是非打って欲しいと考えている・・・棋力は同じくらい
 Nさんは少し思案した後対局開始
  マアこういうときは、一旦「帰ろうかな」と気持ちが動いた方は勝率が悪いようで、この対局もNさん不本意の内容。
 局後ふと漏らしたNさんの一言がトラブルの引き金になった
 「やっぱり帰ればよかった」Nさんにしてみればただのボヤキのつもり
 しかし、相手は常連さんではない・・・Aさんは「自分と打つんではなかったと相手が露骨に嫌味を言った」と聞こえたらしい
 マアこういうのは誤解含み

 もう少し怖いのもある
 HさんとBさんの一局で手合いは互い先
 途中まではBさんがなかなか打ち回していたらしい(想像ですが)、ですからBさんとしてはHさんが投げるかも知れなくくらいに感じていたかも知れない。
 この辺りは対局心理もありますが
  ともかくHさんはそういう程度では投げる人ではない
 将棋で言えば王様の上に金が乗るまでは投げたりしないタイプですから「形勢が悪そうで投了」という言葉は彼の辞書には無いはず
 結局Bさんとしては信じられない大逆転負け
  その時何か呟いたらしい・・・「投げない奴にはかなわない」あるいは「負けるはずが無い局面だったのに・・・」マア一種のボヤキです。
 こういうことを聞き逃すHさんではないから・・・負けた人のボヤキぐらい大目に見てやれば良いのに・・・
 「何言っている!、そっちが形勢が良いというのは勘違いだろう」
  まあこの辺りは対局者同士の見解の違いとも言えるし、勝てば官軍で何でも言える方の強気の発言かも知れない
 更に「本来なら三つで打ちこなしてやる、文句があったら三つ置いてかかって来い!」
 そこまで見栄を切られると、「ドーレ」とは行きにくいから、張ったりとは分かっていても・・・万一本当に負けたりしたら・・・

 リアル碁では、じかに人間に触れるのでいろんなことがあります。
  良いことも、余り良くないことも・・・ネットでは味わえないことが一杯ありますね。

1局を楽しむ

2008-06-08 15:47:20 | Weblog
 先日娘から電話がありました。
 母親であるバアサマと相談と言うか、悩みをぶつけるというか、マア愚痴の捌け口だったとおもわれます。
 「今は俺しか居ない。母さんならもう少ししたら帰ってくるよ」
 「お父さんでもイイカ・・・」
 要するに親なら、いや聞いてくれれば誰でも良かったかも
  しかし、娘がオヤジでも良いというのは大変な変わりようです
  中学に入った途端に「授業参観に来ないで」「運動会を見に来ないで」となったから、楽ですが寂しい感じ。
 生活でも余程娘が機嫌がいいときしか話す機会が無かったので「オヤジなんてそんなもの」と思うようになっていた。
 娘が幼い頃は寝付く前に添い寝して本の読み聞かせや落語などを聞かせていたし、熱を出した時など一晩中膝の上に居たこともあるのに、娘から見るとある時からオヤジは薄汚い生き物に見えるようになるらしい。

 話を聞いてみると、要するに根源は娘自身が打ち込むものが無いためと思える
 別の見方をすると”ぜいたく””勝手にしろ”なのだが、流石にそうは言えない
  一言で言ってしまえば、「囲碁を教えてやるから覚えろ」なんだけれど、、、
 そういえば子供の頃、この娘と近所の女の子を騙して、知り合いの人が講師になって市の委託で開かれた”囲碁講座”に通わせたことがあるけれど・・・
 全10回のうちの8回目でエスケープしたことがある
  記憶の中に残片でも残っていないものだろうか?・・・無理だろうな
 ともかく「お前の母さんはいろんなことをやってみて、気に入ったものを続けているよ。例えば太極拳、手話、バドミントン、ハワイアンダンス、韓国語会話、、、やってみて面白ければ続ければいいし、一寸違うと思ったらやめればよい、、、何かも始めるという事が大事だろうな」
  「ともかく自分が何かアクションを起こさないと何も変わらないし、動けば周りの景色も少し変わって見えるかもね」
 囲碁が一番お勧めだけれど、今ならまだ趣味で楽しみながら、ある程度は強くなれる年令なんだけれど、、、何時の日か碁石を持つ日が来て、碁盤を挟んで座る日が来れば最高なんですが
 まあ夢物語ですし、私の持ち時間も残りが分からないし

 ところで休場明け2戦目を打ちました。
 今度は白番でコミは黒から3目半、同じ地方に住んでいる人らしい。
 そういえば、その方の苗字と同じ地名があるから、その辺りの人かも知れないなどと考えながら対局開始です。
 前の対局のときも感じたのですが「私の打ち方が少し変わったかも」と思いながら打ちました。
 良くなったとか悪くなったとかではなくて、強いて言えば”1局を楽しむ”ようになったというか、巧く言えませんがそんなことを感じながら打ちました。
 無いそのものに以前と大きな違いがあるとは思えませんが、、、マアその辺りが暫くインターバルを開けた効果かも知れません。
 結果は連勝ですが、しかしこれは点数が下がった分を返してもらっているだけかも知れませんから手放しでは喜べませんが、それでも結果が逆よりは良いですね。
 

新鮮味が命?

2008-06-07 18:02:44 | Weblog
 今日は久し振りに好いお天気で、おかげさまでバアサマに部屋の掃除などで部屋を追い出されてしまい・ついでに近くのスーパーの売り出し商品を買ってくるように命じられる始末。
 ここで逆らうと・・・「そのくらい・・・」というお言葉が飛んでくる
 確かに私は放っておけば何もしないから、100対0であちらが正しい。
  長いものに巻かれろ!で仕方が無いけれど、世の中良いお天気だから「マアいいか」です
 近くの公園野球場の少年野球を横目で見ながら、息子が小さな頃は毎週末には野球だったと懐かしみながらお使いに行ってきました。
  子供の頃には母親がやや病弱+家で和裁の内職などをしていたから、お使いは専ら私の役目でした・・・5人兄弟の末っ子なのに
 そういう星の下に生まれたせいか、この年になっても「お使いジイサマ」をやっているらしい。
 
 さて、今日は久し振りに対局。
  変な表現ですが、それほど打ちたいというほどでもなかったのですが、何気なくネット観戦を始めて、何気なく対局待ちリストを覗いて、何気なく自分もエントリーした。
 尤も対局相手が決まって対局前の挨拶を交わすときに、相手の方が時間がかかったのがちょっとしたアヤになったような気がする。
 この”間”で考えることがあります。
 つまり相手の方はエントリーして組み合わせが決まって・・・そして、開始するのに時間がかかる”間”
 待たされる小次郎としては余計な事を考えてしまう時がある。
 相手はエントリーしておいて手洗いに立ったか、あるいはその瞬間電話でもかかってきたのか、それとも対戦相手のデータでもノートに記録してあって、それを調べているのか、、、イヤイヤもっと意識的に待たせているのか?
 この時間は微妙に心理がゆれる時間です
 時間にしたら30秒程度かもしれないし、1分かも知れませんが(過去に最大3分程度待ったことがある)、碁を打とうとしている出鼻をくじかれるような、少し白ける効果はありますね、特に私には。

 事情は分かりませんが、ともかく対局開始、私の常先くらいの手合いです。
 黒中国流含みの構えから小林流で立ち上がりました
 形としては、何処にでもある・よくある形ですが、さすがに対局そのものが久し振りなので新鮮に感じる。
 この錯覚とはいえ新鮮感が良かったのかも知れません、割合気持ちよく打てる。
  普段の毎日対局とか、日によっては2,3局打つような時にはこの新鮮な感じが無いように思えます。
 マア、2週間か10日ぶりですから当たり前ではありますが・・・しかし、そういうインターバルのおかげだとすると矛盾もありますね
 つまり10日で1局では”ザル碁キチ”と言えるか?
  尤も、碁の内容はザルに毛が生えた程度でしょうが
 ともかく久し振りの対局で快勝、、、そうなると次の対局がどうなることやら心配ではあります。

 日に干した布団に洗ったシーツが添えられて部屋に戻ってきます。
 そこから先は、、、”ベッドメークは自分でやりなさい”と言うことで、、、「世の中そんなに甘くない」と言うフレーズが頭を過ぎります。

 

いい事があるかも知れない

2008-06-06 18:39:48 | Weblog
 自分の気分で勝手に作った諺です「ツバメを見たから良いことがあるかも」
 今年の4月から新しい事務所に転勤しました。
 前の事務所は小さな出先機関だったので、整理統合と言うか吸収合併されてしまいました・・・マア同じ組織ですが
 新しい職場と言っても私の場合は以前ここに5年居ましたから、マアで戻りみたいなもので、勝手知ったる我が家みたいなものです。
 しかも当時の同僚の大半が転勤してしまっていますが、残っている人も結構多くて、気楽にやっている。
 いろんな物の置き場所、どんなことは誰に頼めば良いかなど・・・一緒に転勤してきた人に頼りにされています(今のところですが)。
 さてその建物は2F建てで敷地の上を京葉線の高架が走っています。
  窓から見上げると電車が走っていて、音が頭から降って来ます。
 こういう環境は慣れるしかないでしょうね・・・慣れると意外となんでもなくなる、、、私は初めから気にならなかった・鈍感で幸いしています
 その建物の高架を見上げながらの、転勤仲間との会話
 「凄い音ですね」(慣れないとそうかも知れないが、私はそんなに凄いとも感じていない」
 「そうですね、でもじきに慣れますよ」
 「音も困りますが、ここは携帯の感度が悪いですね、外からかかって来る時声がぶつ切れになるんです」
 「私も携帯をかけるときは表に出てかけるんですよ」
 「相手も大きな声で喋るんですが、それでもぶつ切れですからどうしようも無いですね」
 などと・・・
 ふと外を眺めていると、高架下をツバメが飛んでいる!
 どうもここに巣があるらしくて出たり入ったりしています。
  気になって探すと丸い土色の巣らしきものがあった。
 しかも何箇所もあるらしい・・・あっちこっちで飛んでいる。
  燕って飛び方から想像すると繊細なイメージですが、意外と生活力がありそう
 よく民家の土間などの天井にも巣を作ったりするのをニュースで見たことがあります。
 ここも蛇とか、カラスとかから安全なんでしょうね・・・問題は音だけ
 燕も「慣れてしまえば気にならない」と言っているかも
  それにしてもここに巣をつくり、卵を産んで雛を育て、秋には南の国に飛び立つのでしょう
 何だか嬉しくなるから不思議です
  きっと良いことがあるような気がしてくるから不思議です。
 ところで、同僚の中でツバメの話を聞いたことが無い・・・それって、皆知っていて話題にしないのか、それとも知らないのか・・・不思議です。
 高架下は駐車場になっているけれど、意外とみな上を見ないのかも知れないし
 こういうことで嬉しがっているのは私みたいな変なジイサマだけかも知れない
  その答えを知るには、来週職場で話してみるしかない・・・さてどっち

具合の悪い時

2008-06-05 18:23:50 | Weblog
 自分で書いていて自分で言うにも変ですが、「具合が悪い」と言うのは曖昧な表現ですね。
 大まかに言えば”都合が悪い”とも取れるし”体の具合が悪い”とも言える
  そういえば韓ドラを見てると、役者さんの台詞に「あらっそー」と言う台詞がよく出てきます。
 対してその返事も「あらっそー」となることが多い
  初めの「あらっそー」後ろに?が付いて語尾が上がり、後の方の{あらっそー」は語尾が下がる。
 意味は「分かった?」と相手に訊いて、「分かった」と返事をする場面です
 語尾の上げ下げ、言葉のニュアンス・強く、渋々などで気持ちが伝わるところが、なんだか日本語と似ている感じがあります。
 ところで会話はそれで良いのですが、これを文字にするとどうなるのでしょうね
  マア、今のところドラマの台詞を聞いていて、部分的に分かるフレーズとか単語があると喜んでいる程度ですから、、、

 話は本題に戻って、「体の具合の悪い時」
 野生動物ならば、恐らく敵となりうるものから身を隠し、穴倉のようなところでジッとしているに違いない。
 それは単に動けないということだけではなくて、危険を回避しつつ無駄なエネルギーの浪費を抑え、且つ自分の自然治癒能力を信じているのだろう。
 ”信じている”は擬人化かもしれませんが、ともかく本能的な知恵でしょう
 ともかくジッとしている・・・時の来るのを待つ・潮が満ちるのを待つ・・・「もしもこのまま直らなかったらどうしよう」とは考え無いのでしょうね
  そこが野生動物の野生たる所以?
 煩悩の塊の人間なら、アチコチの病院を訪ね歩いたり・・・藁でもすがる的にアヤシイ物にすがったり・・・

 さて囲碁で調子が悪い時・・・実はこの表現にためらいを感じます
 プロ・アマ高段者レベルならいざ知らず、私の属する?ザルクラスでは調子のいい悪いは結果で言われることが多いようです
 どういうことかというと、「調子が良い」から勝てる・勝ちやすいのではなく、勝率が良いのは調子が良い証拠みたいな・・・
 囲碁は絶対値としての点数を争うテストではなく、1対1の勝負なので相対的な力量と運の差で勝敗が左右されやすい
 ということは、比較的短期間では、碁の内容は悪くても勝率が良いこともあり得る・・・逆もあるわけで、、、マ、それは別の機会に。
 内容が悪くても勝ち続けていると、何か自信の様なものが付いて「強くなったような」錯覚が生まれないだろうか。
 事実勝敗だけで言うと、そのレベルでは通用する強さが身に付くかも知れない
 しかし、なまじ自信を持ったことで超短期的には良いことがあっても、「悪い要素を身に着ける」と言う阻害要因を身に纏うかも知れません。
  
 偉そうなことを書いてきましたが、「そういうお前は?」と訊かれると・・・「自分のことが分からない」レベル・・・良いとか悪いとか
 ですから健康に例えると、「慢性愁訴症」と言うか「不調シンドローム」と言うか・・・なんとなく不具合を感じながらも、お医者様が匙を投げているスタイル
 ともかく、自分で何処と無く「調子が悪い」と感じた時・・・名医のように的確な診察と投薬が出来ないので・・・
 私が思うに(自分にとっては)、こういうとき特効薬は「打たないに限る」
 弁解がましく聞こえるかも知れませんが、「打たなければ負けない」などというセコイ了見ではないつもり 
 「どこか悪い」と感じる時はやはり「どこか悪い」ところがあるのでしょう
 (アマですから悪いところだらけですが、程度問題としてです)
 こういうときは野生動物ではありませんがジッとしているのが良いと
  動物ではありませんし、囲碁ですから棋譜を並べたり、人の対局を見たり、、、そういう期間を意識的に作るのが良いと思って居ます
 決まったインターバルではないけれど、「打ちたい」というエネルギーが溜まった時が対局復帰時期ですね
 オーバーに言いましたが1週間か半月か、1ヶ月ということはないですが(私の場合)
 それの何処が良いのか・・・分かりませんが
  私にとっては、惰性みたいに対局してはいけないという自粛ではあります
 そういうことで現在10日程、ネット場所休場中、、、そろそろ復帰です。
  どうなることやら

身分証明証!?

2008-06-04 14:57:42 | Weblog
 本当はタイトルに書いた「身分・・・」と言う表現だけで無条件にムカッツと来るところですが、年とともにそういう感情が鈍くなったというか、他に言いようが無いから仕方ないというか、、、、とりあえず身分証明証
 
 今日、やっとその気になって運転免許証の再発行をしてもらいました。
 免許証を財布と一緒に紛失したのが4月の初めですから、二ヶ月近く放っておいたことになります。
 運転免許証が無いと不便なことが多いですが、忙しさにかまけ・面倒なことは後回しにする性格で今まで放置しました。
 マアこれ以上長引くと、流石に免許放棄みたいな感じですから、そろそろタイムリミットみたいな感じです
 財布の紛失の際に一緒に無くしたカード関係は電話で済みましたが、図書館のカードみたいなものでも再発行が面倒でした。
 図書館の本を借りるということはきっと、公共財産を一時貸与されているようなものかもしれないですね・・・図書館利用カードの発行に住民票が必要だったのですから。
 要するに、ここの市民であるか市内に勤務しているかのいずれかを証明する必要がある。
 自分で自分であることを証明する必要があるが、第一の証明できるものとしての運転免許証もなくしている。
 二番目に考えられる保険証(カード)も紛失している
  昔ならお米の配給通帳でも良かったかも知れない・・・時代が違いますが
 そういうことで、市の発行する住民票が唯一の証明証で、あらかじめ区役所で入手するか、あるいは社会保険庁で健康保険証カードが再発行されるのを待つか、、、
  
 さて運転免許証は本来運転するためのライセンスですが、顔写真入りで、しかも住所・本籍などが出ているので便利なのですね。
 しかも発行元が警察ですから
 だから余程のものでない限り、身分証明の際に運転免許証を提示すれば問題は無い・・・その切り札的な証明能力があるカードの再発行ですから、、、
 マアやってみればそれほど面倒なことでもなかったというのが素直な感想です
 住民票を用意して、書類に警察署の紛失物届けの受付番号をメモして置いたのが良かったらしい。
 
 運転免許証には顔写真が印刷されて居るので何かの証明にも役に立つ
  しかし、運転免許証が無い場合・・・同じように顔写真が入っている勤め先の身分証明証は?・・・これがどうやら使えないらしい。
 勤め先では名札代わりに首から下げるか胸のポケットに止めるかするのが義務付けられているのに、それは私的な証明?ということだろうか。
 勤務先が公的機関なのに私的な証明は変ですね。
  警察官に給料を払う機関なのに・・・警察が発行する運転免許証のための身分証明とはならないらしい。
  それに較べると小さなカード形式の保険証の方が切り札のランクが高い
   当然住民票も同じくらいの力がある。
  ということは、顔写真があるかどうかの問題ではないのですね
 
 ともかく無事に再発行はしてもらいました
  受け取った免許証の有効期限はあと1年足らず・・・ということはまた来年ここに来ることになる。
 家から少し頑張れば自転車で来られる距離だからマアいいか
 そういえば、この運転免許センターと同じ地区にロッテマリンスタジアムがあって、息子が子供の頃はよく二人で自転車でナイターを見に来たものです。
 夏の間に何度も来るので、いつも料金の安い外野席でした
  それはまだイチローが日本でプレイをしていた時代で、オリックス戦のライト外野スタンドにはミーハー族の黄色い歓声が湧いたものです。
 今BSでMLBの放送を見るたびに懐かしく思い出しています。
 アノ頃は早い夕食を摂って、途中のコンビニに寄り、海岸線の道を自転車で走ったものです。
 それは毎年国際駅伝が行われるコースでもある。
  息子も何時の日かその道を同じように親子で走るようになるだろうか?
 
 さて、せっかく再発行した免許証!、大事にしなくては
  再発行費用:証紙料金3650円+電車代300円、バス320円、住民票300円、、、しかし不便だったこととか、カード紛失の不安を金額に換算するとこんなものではないですから二度となくしてはいけませんね。
 

席亭やると強くなれる!?

2008-06-03 18:22:34 | Weblog
 昔は今みたいにネットだのコミュニティなどは無いから、勤め先の仲間・近所のご隠居さん・家族などと打つか、、、それに何と言っても碁会所ですね。
 碁を覚えてその趣味にのめり込んでいくと、憧れの職業が席亭と言う風になります・・・人にもよるかな?
 マア現実には、商売として儲かるものではない割には気苦労もあるから、誰でも踏み切れるものではないでしょう。
 それにある程度の棋力も必要かも、、、
  勿論県の代表を争うクラスでなくては席亭にはなれないということではありません・・・私はそう考えています。
 それは強いに越したことは無いけれど、それが絶対条件ではないでしょうね
  寧ろ席亭になってから強くなるということもありそうだという話をしたいのです。

 その前に席亭になっても強くなりそうも無い人もいるという話から
  私が上級クラスの頃、一年発起して町の碁会所を訪ねました。
 普通の家を改造したような形・・・土間で靴を脱いで座敷に上がるタイプの碁会所で、寺子屋みたいな長い机が並んでいる形で、タタミに座布団と言うスタイル
 戸を開けると何人か打っていましたが、座敷の真ん中に大の字になって寝ている老人・・・それが席亭でした。
 碁会所というものは戸を開けるのにエネルギーが要るところです、、、まして級位者にとっては。
  何も揉み手をして迎えて欲しいとは言いませんが、かなり印象が悪い
 そしてぶっきらぼうに「どのくらい?」と訊かれて「多分2級くらいです」と答えると「では、アノ人と打って」と指名されました。
 マア、ほったらかしにされたわけではないからまだ良いですが、しかし席亭自身は自分の相手と碁を打つのに熱心で・・・
 こういう人って、ある程度強くて、、、自分が打つことに気をとられていて、、、級位者など目に入らないタイプ、、、更に悪口を言うと力碁で筋ワルで勝ち負けに拘る(根拠薄弱ですが)。
 
 席亭って、教えることもあれば客の世話をする部分もあり、その客の世話と言うところが問題でしょう。
 商売柄対局数が増えるでしょうから、そういう実戦で鍛えられるところはあるはずです。
 仮に10時間営業で、3局程度打ったとすると、年間では凄い数になります。
 また、打たないまでも目にする対局は更に膨大な数です。
  囲碁が好きで席亭になったのでしょう、だから打ちたくてたまらないタイプの席亭も居ます。
 
 囲碁が好きだから席亭になるわけで、そこまでは問題はありません。
  さて、しかし席亭がそれほど棋力が高く無い場合、、、高段者みたいに教えるということは出来ないわけです。
 それでも自分と同じくらいのひとの相手をしたり、あるいは高段者に教えてもらうという形でお付き合い願う。
 そしてこの時の囲碁に対する気構えが大事ですね。
 絶対条件として「良い碁を打ちたい」と考えることのようです
  それは単に勝ち負けではなく、気持ちの良い碁と言うか・・・
 例えば”馬鹿な手を打って相手をがっかりさせない”と言うか・・・
  綺麗な碁と言うか・・・どうもうまく言えないのですが「勝っても負けても気持ちの良い碁」「この人とはまた打ちたい」と思われるような・・・
 ともかくそういう碁を志すと、対局・観戦の経験値とあいまって必ず棋力が上がるはずですね・・・アマチュアとしてはこれ以上は難しいという人は上がらないでしょうが。

 突然席亭話をしましたが、実はある人からどうしたら強くなれるかを尋ねられて、その答えの一部です。
 本当に確実に強くなれる方法があれば苦労しないし、自分がやって人には教えませんがね。
 誰でも席亭になれるわけではないし、せいぜい仲間うちでの世話人くらいにはなれる程度、、、それも難しいならば”心は席亭”で相手を楽しませる良い碁を目指すことでしょう。
 囲碁を打つ事の充実感を味わえる碁を目指すことを忘れないという事なんだろうと思うわけです。
 そして本当は”偉そうに人に言う前に自分でやれ”と言う訳で、逃げ道が無いように、自分で公言したと言う事実を残すために、、、
  

将を射んと欲するものはまず・・・

2008-06-02 18:22:05 | Weblog
 昨日はスカパーの無料開放デイなので、何か面白いものはないかと探していたら、「チャングム」のチャンネルに行き会いました。
 そうあのチャングムです、NHKで何度も見せていただいた
 地上波でBSで、吹き替え版、日本語スーパー付き編集版、日本語スーパー・ノーカット版
 最後は「この場面はカットされていた場面だね、これでなくてはストーリーとして成り立たない」などともうチャングム評論家でした。
 マア、物語は好きですが、既に何度も見ているので当分は見る気にはならないでしょう。
 それはともかく我が家のバアサマには韓ドラ大好きファンの友達が居るので、いろんな物語のCDセットを借りてきます。
 1枚のCDに3,4話入っているとして、5枚組以上10枚組くらいは普通ですから、全て購入するのは大変ですね・・・脇道です
 マア、その友人は恩恵に浴するわけですが
 私は、それほどご相伴には与らないのですが・・・一話見ると全部見たくなるというところがあるので、、、オールオアナッシング。
 
 今借りている物語に囲碁の場面がありました
 これははじめての経験ですね
 NHK大河の篤姫で囲碁の場面があり、梅沢さんが指導らしいですが、私は韓ドラでは初めてです
 父親が家で一人で並べている場面
 ここの娘を目的として、父親に取り入ろうとする下心のある場面
 あるいは娘の彼氏も・・・父親に「君も碁を打つのかね」と訊かれて「最近碁を習っています」、「そうか、今から初めて間に合うのか」というような会話があり娘の兄から「最近の若者は、打ちませんよ」という助け舟
 それに対して父親が「この頃は若い名人が居るんだよ」・・・
 こういう場面と会話がありました。

 日本の時代劇などでは、居間・書斎で書見台に囲碁の本を置いて、碁を並べるのは・・・それほど珍しいシーンではなかったはず
 それに、娘の父親に取り入るためには囲碁を憶えようとするような・・・お話ではよくある設定です。
 ですから、こういう場面は懐かしい、昔の形のホームドラマのムードを感じました。
 尤も、対局の手数が30から40手くらいで、碁の内容はストーリーとは全く関係ない感じでした。
 また父親が一人で並べているのも序盤戦のムード、それと石の持ち方とか置き方が・・・これは韓国では日本ほど「持ち方」「石の置き方」に拘らないのか、それとも個人差が大きいものなのか、あるいは役者さん・監督さんが余り重要視していないのか。
 ともかく碁を打っている場面と言うのは分かる
  但し日本の中でのストーリーなら失敗のシーン・・・しかし韓国なら問題ないのか・・・分かりません。

 ただ、娘の父親に取り入るのに「お酒と囲碁」というところは、古典的?なホームドラマですね(悪いと言っているのではありません)
 こういう場面、娘を持つ父親なら想像しませんか?
 いつか、若者が現れて「娘さんを下さい」という恐ろしい場面です。
 私の場合酒の相手はいらないから、取り入るとしたら囲碁オンリーですが・・・
  こういう場面は恐ろしくもあり夢でもある。
 しかし無残に砕かれた夢です
 婿さんになる若者は何も言わなかった!
  娘は母親に根回ししていたらしく「この人と結婚します」でオシマイ。
 「反対」の余地は全くなし
 「賛成」という許可(空々しい・・・追認)か父親一人孤独の道を選ぶかの選択肢しかないわけで、婿さんから「囲碁を教えて下さい」など全く無し

 それはそうでしょう、戦で言えば本丸は既に落城しているのに、オヤジという外堀など殆ど意味が無い、、、
 マアしかし、考えて見ればこれも因果応報かもしれない
  昔々、私もバアサマも若かった頃、初めて実家に行って初対面での第一声が「披露宴はやりたくないのですが良いでしょうか?、日取りは3月で良いですか」
 今、考えると冷や汗物ですね
 自分の家のことを考えると、神前結婚をせざるを得ないのですが、、、はなっから結婚に反対されるなどと思っても居ない態度・・・」
 それを考えるとまさに「歴史は繰り返す」
 しかし、お父さん囲碁を教えて下さい」なんて言って欲しいナ・・・夢のまた夢
 早く言わないとジイサマはボケてしまうかも知れないのに


何でも有り!

2008-06-01 13:29:29 | Weblog
 今朝は鳴り響く音楽の音で目が醒めました
  保育園・小学校・中学校が直ぐ側にあるから、私は自分の部屋に居ながらにして行事・催し物の度に、耳で参加させられています、、、いや”世の中の動き”に参加させて頂いている。
 しかし、今朝の音楽は小学校の運動会のマーチではなく、保育園の行事のたびに1日中エンドレスで20回は聞かされるアラレちゃん音頭でもなく、、、ハワイアン。
 これはもう決まっている
  家のバアサマが通うハワイアン教室の課題曲のおさらいに違いない
 この曲は数ヶ月前から何回と無く、いや100回以上は聞いているはずで、曲の良し悪しはともかく耳についている。
 休日の家事が一段落して、自分の部屋で踊っているに違いない。
  趣味と軽い運動を兼ねて踊っているらしいが、どうやら今朝はこれに私・ジイサマを起こす為でもあるらしい。
 休日なので私は眠ったのが早朝・空が白んできた頃なのですが、朝10時ともなれば睡眠時間が6時間はあるので、起こしても良い頃・あるいは自然に目が醒める頃と考えているのだろう。
 このあたりの呼吸が流石に古女房だと妙に感心してしまいますが、、、
  ともかく、一旦ベッドを抜け出して、洗面所に行って水を一杯飲んで、、、これが間違いだった。
 また温もった布団に戻ろうと思っているならば甘い期待で、戻りたいならベッドから抜け出してはいけなかったのだ、、、
 数分後に部屋に戻ると、布団は全てベランダに運び去られ、「掃除しますから大きなものは片付けておいて」と宣言が待っていた。
 全くハワイアン音楽で油断させられていた。

 マアここで文句は言えません
 一言でもブツクサ言ったならば「この天気に干さなくてどうするの」「自分で部屋の掃除をしたことが無いくせに」という雷が落ちるのは間違いない
 こういうときは図書館に避難するに限るのです。
  図書館はコミュニティの館内にあり、私にとっては「本」であり「囲碁クラブ」であり緊急避難施設でもあるのだ
 丁度本を返さなくてはいけない本もある(本当は昨日だったのですが、雨なので1日遅れ)。
 出かける際に「今日は暖かい?」と女房殿に聞くのが習慣になっている。
 その日の天気・気温などで着る服を決める(厚着か薄着かだけですが)
 部屋の中ではやや涼しいのだけれど、表の陽射しを覗うとどうもよくわからない
 「家の中に居ると涼しいけれど、外は結構暑くて今日は午後に25度くらい」という返事です・・・ジーンズにジャケットで。
 ところが表に出ると、確かにジャケットの人もいるし、上着を脱いで手に持っている人もいる。
 長袖のシャツにベストの人もいれば半そでのTシャツ1枚の人もいる、、、これは「真冬用以外は何でもあり」みたいな日のようです。
 全く、まさに「好きな格好で良い」のサンプルみたいな日らしい
 もし、この人たちを写真に撮ったら、、、その写真からは服装だけでは季節が判断できないですね、、、どうも不思議な1日無いなりそうな、、、こういう日は判断が難しいから案外風邪をひくかもしれないから要注意かも

 ところで図書館の閲覧コーナー、ソファが並んでいるところのには、同じような年恰好のオジサンたちが多いような気がします、、、皆似たような境遇だろうか、、、そう思うと妙に連帯感が湧いて来る。
 今日は4冊借りましたが、そのうちの1冊が
「再現!人気連載! なるほど!ひかる手筋」 日本棋院 2006年3月
 これは週間碁で連載していた「ひかる手筋」「地中に手あり」「終盤の手筋」を纏めたものということです。
 1問ずつはそれほど難しいものではないから、気楽にページをめくるのには良さそうです。
 難しい問題にチャレンジすることで自分を鍛えようとするには、少し物足りないかも知れませんが、私としてはもう一つの目的を設定しました。
 要するに、比較的易しい=ということは、基本的なあるいは実戦によく出てきそうな問題が多いはずだから、そういう形に敏感になることを期待。
 マア別の見方をすると、複雑な・難解な場面は実際に出会っていても見逃しているかもしれないという心配は大いにあるわけですが、、、
 ともかく、少なくとも問題の潜んでいる形に敏感になる・そして正しい解決法を取る・・・それが目的です。
 そして、なるべく早く正解に到達する・・・時計で打っている以上これも大切なことでしょうね。

 ところで図書館の囲碁の書棚の中に「廃れてしまった戦法」という背表紙を見つけて、第1感「きっと面白い本に違いない」と思ったのですが・・・手にとって本を開いたとたんにがっかり、、、そう、将棋の本でした。
 「戦法」と言う表現で気が付かなくてはいけなかったかも、これが囲碁なら「布石」とか「構想」だったでしょうね。
 さて、がっかりしながら目を転じると「9手詰め」「7手詰め」などのタイトルの本がある。
 しかしこれも囲碁の詰め碁ではなくて詰め将棋の本でした。
 囲碁にも「1手の詰め碁」「3手の詰め碁」はあるけれど、7手とか9手とかなるとわざわざ断りそうも無いですね
 ともかく囲碁コーナーに将棋の本が混ざっている
 まさに今日は何でも有りの日らしい