はーい、げんきです。

遠くにいる友達に私的トピックスの紹介。話題はその時その時いろいろ。

殿中でござる

2017-11-07 21:44:51 | foods
 冬ですね
 ハロウィンがやっと終わったかと思ったら、もうクリスマスも終わる勢いですよ。
 早い、早いよ、日本
 今日は立冬でしたが、ちょっと暖かかったな。
 冬の入りとしては優しい入りですね。

 さておき。
 殿中でございます
 いや、忠臣蔵でなくてね。
 水戸銘菓、吉原殿中でございます。
 もち米から作ったあられを水飴で固め丸い棒のようにして、きな粉をまぶして、オブラートでくるまれているお菓子です。
 小さい頃は、普通におやつでしたね。
 茨城の子供達は、殿中で、オブラートを知ります。
 食べ方は色々?
 まず、オブラートをむき(むかなくても可)、子供の口にはちょっと太いので、つぶつぶをほじほじばらしながらいただきます。
 遊んでないで、さっさと食べなさい、というお小言を聞きつつ。
 やがて、オブラートはむかない方が持ちやすいことを学ぶわけです。
 そして少し大きくなると(主に)年末にやっている忠臣蔵というドラマ?を知り、殿っ、殿中でござるっ!の殿中は、吉原殿中のことと勘違いし、殿はおやつに殿中が食べたかったんだなあと、トンチンカンな事を思うわけです。
 多分、多くの人が子供の頃、殿中をバトンのようにギュッと握り持ち、殿っ、殿中でござる!遊び?を経験していることと

 もう少し大きくなると、今度は、吉原という遊郭があることを知ります。
 なるほど、吉原で好まれたお菓子だったのね、それを松の廊下で、と、もう一段階のカン違い発生。

 そして大人になると、漠然と、どうやら吉原殿中と、殿と、吉原は、特に関係が無いらしい、と理解するのですが、なんでこのお菓子が吉原殿中という名で水戸銘菓なのかは不明なまま一生を終えるわけです(←終える必要はありません

 そんなわけで。
 吉原殿中の名前の言われは、江戸時代、水戸藩九代藩主、徳川斉昭公の時代に、奥女中の吉原が残ったごはん粒を乾燥させ焼き、きな粉をまぶして作ったのが始まり、とされています。
 なるほど!
 吉原さんが殿中で作ってたのかっ!
 ふむふむ。
 そんな物、殿にお出しするなどもってのほかですが、きっと水戸の殿様は美味しいと言って召し上がっていたような気がするわ
 写真は亀印ので、各所に出回っているのは、これか、あさ川の物が多いですかね。
 私が小さい頃食べてたのは、多分、井熊総本家さんのだったのではなかろうか。字面的に

 家にいた頃は、黙っていても出てきたので特に何とも思いませんでしたが、松山に行ってから、無性に殿中が食べたくなったことがあって、でもあっちでは売ってなかったので実家から送ってもらったことがあります。
 今ではネットでもお取り寄せができますが、井熊総本家さんのHPを見てみたら、吉原殿中5本入り、6本入り(←この辺が普通の小売り)、12本、20本・・・75本入りまで
コメント
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