◆壁の絵◆
◆自分の描いたdrawing(絵)が壁に飾ってあるところ。額縁に入ると私の絵も少し引き立つのだが、その額縁の右隣にある絵の様なものは切手シートである。郵便局で売られていて、80円切手の10枚つづりのもので、「日本の山」シリーズになっている。年金、簡保、あるいは公共事業に関わる財政投融資などの部分で、郵政事業は不透明なところが多く感じられ、私はかなり批判的なところがあったのだが、郵便局や郵便などの郵便事業に関しては不思議とそうは思わないのだ。切手も子供の頃の昔から集めることを趣味としていたヤツもいたし、デザインも凝ったものが多く、その印刷技術一つとってもかなりのレベルにないと作れないものが多い。切手ファンがいるのも頷ける出来栄えのものばかりなのだ。山シリーズは郵便局の壁に貼られているのを見てすぐに買った。選ばれた山も姿の良いものばかりだし綺麗に印刷されている。ところで、絵でも写真でも、「壁に飾る」という行為が、好ましい行為として人類にはあるのだが、私はこの行為をした途端にその絵や写真をほとんど見なくなってしまうのである。しみじみと毎日のように壁の絵を鑑賞する、などということは全くなく、前を通る時ちらりと見るくらいの、ただの通りすがりの人、と化すのである。絵というのは、昔から壁に飾られた姿をもって最終的な形という何か暗黙の了解めいたものが出来上がっていて、なんでもいいから、額縁に入れるくらいはするとして、壁に貼ったとたんに「できあがり!よし!」となって、OK出し、がされてしまうものなのかもしれない。仕上がったものはあまり見ない・・・。壁に飾ってある物のうち最もよく見るのは、カレンダーだったりする。あとは今や壁そのものと化した「薄型テレビ」というヤツ。これ、数ヶ月前についに買ってしまったのだが、どうせ買うならと少し大きめのものにしたので、大きな壁として私の前に立ちはだかっている。壁に向かって毎日数時間過ごすわけだ。今の時代、仕事場へ行けば行ったでパソコンという小さくはあるがやはり壁に向かわざるをえぬ人も多い。エルサレムの「嘆きの壁」という時間を超えたような壁もある。それとは趣は異なるがやはり、壁に向きあう時代、なのか。それとも人は昔からよく壁に向きあう生き物であったのか・・・。