人の気持ちは目的と結果によって支配される
昨日は、3ケ月ぶりに藤沢の眼科に行ってきたが、休みの間の月曜日
とあって待合室に入り切れないほどの人で混んでたが、私は事前に予
約していたので、さほど気にせず受付を済まして、混雑を避けて入口
の外で待っていたら10分程で呼ばれた。やはり事前予約の利点だと、
多少の優越感を抱いて中へ、診察前に眼圧・眼底・視力の検査を行い、
「診察に呼ばれるまで待合室でお待ちください」と言われた。たまたま
空いてた席に座って待っていた。
ここまでは良かったのだが、それから待つこと30分、予約時間は既に過
ぎていたが「まぁ~これだけ混んでいたら診察も押してるんだろうな~」
と、この時点ではまだ気持ちの変化はなく多少の余裕さえもあった。
更待つこと30分、自分の気持ちが徐々に変化していくのがわかる。あと
10分だけ待とうと思って我慢する。結局呼ばれなかったので、中へ入っ
て近くの技士の方に事情を話すと、思った通りの答えで「あと少しお待
ちください」と云われ、やむなく再度待合室へ、そのときの私の気持ち
は検査時とは全く変わって怒りを通り越して諦めに近い心境になってい
た。
5分程して名前が呼ばれ、やっと診察の前に椅子へ、そこには順番を待つ
人が4人いて私は5番目、結局私が視察を受けたのは更に30分後で、終わっ
て処方箋を貰い、隣の薬局で点眼薬を貰って出るのに2時間半の時間が過ぎ
ていた。
その時の私の気持ちは不思議と穏やかで苦笑するほど落ち着いていた。
原因の大部分は診察の結果であり「以前と殆ど変わりなく、特に悪化してる
ことも無いので、また4ヶ月後に見せてください」と言われ安心したことで、
長時間待たされた怒りは薄れていたのだ。
今回のことで私自身は、2時間半の短時間の中で様々な気持ちの変化を体験し
た。結局は本来の目的の『目の診察を受ける』ことで結果して安心感を得るこ
とができたことで、余裕・我慢・不満・不安・諦めなどの気持ちの変化は、持
続的なものではなく、単なるその時点での気持ちに過ぎないのだと思ったのだ。