こちらの本にも書いてあったと思うが、IT(インターネットだったか?)が発達しても紙の使用量が増えているそうである。この本の中では立花隆が「IT化で紙の使用量が減る」という内容のことを言ったらしいことが批判されていたと思う。今手元にこの本はないので必ずしも正確ではないかもしれない。
立花隆はもしかしたら「未来予測」として紙の使用量が減ることを希望的に予測して外れたということなのかもしれない。
自分の正直な感想としては、たしかに本も雑誌も相変わらず爆発的に増え続けているし、IT関連の本というのもたとえばブログがはやると本屋にブログ関連の本があふれかえるという具合で、ITが起爆剤となってかえってプリントアウトのみならず本などの発行部数に関しても激増しているように思われる。
自分としてはこうしたこと自体が何とも不思議というか、IT化というものが何だったのかという気にならなくもない。
もちろんいろんな分野で便利なことはあって、このブログもITの賜物であって自分はそうした科学技術に感謝してはいる。
しかし、『電車男』のようにもともとネット上にあった書き込みやブログなどを書籍化する動きも顕著であるのみならず、ネットで見られるものでもこの大ヒット作に限らず出版されたものを買う人はいるのだから紙の使用量はこれからも増え続けるであろうし、ITによって世の中が大幅に変わったとか、変わってゆくとまでいえるかどうかは自分には分からない。
それと自分としてはCDROMでの出版というのがどれぐらいあるのかしらないが、それが非常に少ないという気がする。
雑誌の付録としてのCDROMだったりやたらと高かったりするのが難点で、たとえば読売新聞の縮刷版はある時期のものに限ったものでも価格 945,000円 (税込)で、発売記念特価850,500円 (税込、 2005年3月末まで)ということだが、これはいくらなんでも高すぎで、図書館が買うことを期待しているようだが、図書館が買うにしてもやはり高い。
朝日新聞など他の新聞はこういうのがすでにあったのかどうかは分からないが、いずれにせよ図書館自体が無駄になっているところもあると私などは思うのだが、私が知ってるだけでも実際には都内のある区でさらに「中央図書館」が計画されている最中である。
ちなみに私は文化施設と名がつけばいわゆる「公共事業」についてまわるマイナスイメージが消えるように思うどころか、かなり悪いイメージを持つ。ただし、できてしまえば、それは利用させてもらうが、図書館やコンサート・ホールの類はとにかくこの国は多すぎると思っている。
つまりいわゆるIT革命などという言葉が具体的にどのような意味を持つのか自分は知らないが、少なくとも「紙の使用量は減らない」し、「本や新聞がネットによってその存在がおびやかされる」ということもない。
そしてこれは非常に重要なことだと思うが、本や雑誌をおいてある図書館も減らすところもあるのかもしれないが、自分としてはむしろ減って当然であって、でかい予算で新しく図書館ができるなどむしろIT化に逆行した流れだと思う(追記:題名とこのあたりの記述は直しました。あとでまた直すかもしれません)。
そもそもIT革命などといったところで、具体的に何を指すのか自分は分からないが、非常に分厚い本などがCDROMとして売られるようにならないのではどうしようもないと思う。
つまり歴史関係の学術図書や資料集成などというものは特にCDROMとして売ったほうが場所をとらなくていいと思うのだが、実際にはそういうことはなくて、厚ぼったい本がどんどん図書館が買うことを前提とした値段や部数で発行され、CDROMまでがそのような形になるのでは、少なくとも情報を得るという点に関しては人々が普通に暮らしていてえられる情報というものは相変わらず限られたままになると思う。
図書館に行けば情報がえられるというのはまことにそのとおりであると思うのだけれど、その「図書館に行く」という必要性、よりはっきり言えばその回数が減らなければIT革命とはなんだったのかという気がしなくもない。
もっとも「IT化」などというものは現在進行中なのであるから、これは自分が期待していることが行われていないとか、その速度がおそいというようなことなのかもしれないが、なかなか話がまとまらないが、いずれにせよ、自分が期待していたようにはIT化は進んでいないということだけは書いておきたい。
立花隆はもしかしたら「未来予測」として紙の使用量が減ることを希望的に予測して外れたということなのかもしれない。
自分の正直な感想としては、たしかに本も雑誌も相変わらず爆発的に増え続けているし、IT関連の本というのもたとえばブログがはやると本屋にブログ関連の本があふれかえるという具合で、ITが起爆剤となってかえってプリントアウトのみならず本などの発行部数に関しても激増しているように思われる。
自分としてはこうしたこと自体が何とも不思議というか、IT化というものが何だったのかという気にならなくもない。
もちろんいろんな分野で便利なことはあって、このブログもITの賜物であって自分はそうした科学技術に感謝してはいる。
しかし、『電車男』のようにもともとネット上にあった書き込みやブログなどを書籍化する動きも顕著であるのみならず、ネットで見られるものでもこの大ヒット作に限らず出版されたものを買う人はいるのだから紙の使用量はこれからも増え続けるであろうし、ITによって世の中が大幅に変わったとか、変わってゆくとまでいえるかどうかは自分には分からない。
それと自分としてはCDROMでの出版というのがどれぐらいあるのかしらないが、それが非常に少ないという気がする。
雑誌の付録としてのCDROMだったりやたらと高かったりするのが難点で、たとえば読売新聞の縮刷版はある時期のものに限ったものでも価格 945,000円 (税込)で、発売記念特価850,500円 (税込、 2005年3月末まで)ということだが、これはいくらなんでも高すぎで、図書館が買うことを期待しているようだが、図書館が買うにしてもやはり高い。
朝日新聞など他の新聞はこういうのがすでにあったのかどうかは分からないが、いずれにせよ図書館自体が無駄になっているところもあると私などは思うのだが、私が知ってるだけでも実際には都内のある区でさらに「中央図書館」が計画されている最中である。
ちなみに私は文化施設と名がつけばいわゆる「公共事業」についてまわるマイナスイメージが消えるように思うどころか、かなり悪いイメージを持つ。ただし、できてしまえば、それは利用させてもらうが、図書館やコンサート・ホールの類はとにかくこの国は多すぎると思っている。
つまりいわゆるIT革命などという言葉が具体的にどのような意味を持つのか自分は知らないが、少なくとも「紙の使用量は減らない」し、「本や新聞がネットによってその存在がおびやかされる」ということもない。
そしてこれは非常に重要なことだと思うが、本や雑誌をおいてある図書館も減らすところもあるのかもしれないが、自分としてはむしろ減って当然であって、でかい予算で新しく図書館ができるなどむしろIT化に逆行した流れだと思う(追記:題名とこのあたりの記述は直しました。あとでまた直すかもしれません)。
そもそもIT革命などといったところで、具体的に何を指すのか自分は分からないが、非常に分厚い本などがCDROMとして売られるようにならないのではどうしようもないと思う。
つまり歴史関係の学術図書や資料集成などというものは特にCDROMとして売ったほうが場所をとらなくていいと思うのだが、実際にはそういうことはなくて、厚ぼったい本がどんどん図書館が買うことを前提とした値段や部数で発行され、CDROMまでがそのような形になるのでは、少なくとも情報を得るという点に関しては人々が普通に暮らしていてえられる情報というものは相変わらず限られたままになると思う。
図書館に行けば情報がえられるというのはまことにそのとおりであると思うのだけれど、その「図書館に行く」という必要性、よりはっきり言えばその回数が減らなければIT革命とはなんだったのかという気がしなくもない。
もっとも「IT化」などというものは現在進行中なのであるから、これは自分が期待していることが行われていないとか、その速度がおそいというようなことなのかもしれないが、なかなか話がまとまらないが、いずれにせよ、自分が期待していたようにはIT化は進んでいないということだけは書いておきたい。