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名も無きねこに

一年

2008-07-29 23:19:19 | わたし
実家に戻ってきて一年が経った。
戻る前は、早いうちに仕事を見つけて、再び一人暮らしをするつもりだったが、
現実はそれと程遠い。

先週から薬の処方が変わり、睡眠導入剤がなくなって、睡眠薬が倍に増えた。
一二ヶ月あまり眠れない状態が続いていたのは解消されたのはいいのだけれど、
今度は起きれなくなった。

病気は良くなっているとは思えないが、
パートでもいいから何かしら仕事をした方がいいのかもしれない。
今のままではゼロの人間だ。
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反射的了解拒否反応 生育環境に依存

2008-07-19 03:06:02 | わたし
前々職の知り合いの送別会に出席した。

噂に聞いていたのと違い、次の職が見つかっての退職ではなく、
ひとまず休業するとのことで、その先のプランは本人の口からは特に聞けなかった。
彼らしいといえば、彼らしい最後だった。

それに引き換え、職場には、冗談抜きに3x6の計算が出来ない、
つまり小学二年生の必修項目も習得せずにこれまで生きてきたスタッフが残っている。

しかも、士気が高いどころか、
仕事は教えられない限りできなくてあたりまえという姿勢で居残っている。
それで、一日必死になってアルミ缶を集めて回る人の百五十倍近い賃金を得ている。

フェアじゃない。
全くフェアじゃない。

わたしの世代では、九々は勉強させられて、
できなかったら終業時間後の居残りが当然の扱いだった。

わからない。
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『蟹工船』 読了

2008-07-18 14:40:38 | わたし
派遣労働者問題の絡みで最近一部で話題になっているという、
小林多喜二の『蟹工船』を青空文庫で読んだ。
わたし自身、派遣の身で無賃の徹夜作業や月300時間労働を
強いられた経験が思い出され、読んでいて、
まあ搾取されるのは面白くないよなと共感できるところもあった。
けれど、小説としての出来はいいとは思えない。

死人が出るほどの劣悪な環境で労働させられる貧困者層と、
大企業から派遣されてきて軍と癒着してぬくぬくと暮す監督の姿の、
これでもかと言わんばかりの対比は、
教訓めいた人形劇を見るようなぎこちなさがある。
当時の世情を知らないのだから、実際にそうだったといわれてしまえば、
そうですかとしかいえないのだが、
搾取する立場の人間を単なる悪としてしか描いていないのは、
話を平板にしてしまっている。
登場人物の台詞にも、これがこうなって、次にこうなって、
と階級闘争を発生させるために順を追って事件を発生させようとする
不自然さがうかがわれる。
また、三人称の視点から描写をしているにもかかわらず、
常に労働者側の悲惨さを訴えかけるような言葉の選び方も鼻につく。
カタカナの擬音や、倒置の多用なども、
昭和初期の探偵小説に似た安っぽさを感じる。
どうにも、わたしの性に合わない。

プロレタリア文学の作品は、昔国語の授業で読まされた、
葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』しか他には知らないが、
あちらの方が出来が良かった気がする。
小林の他の小説や、他の作家のものも読んでみないとわからないが、
全部が全部こんな調子で書かれているのだとすると、
プロレタリア文学は思想を宣伝する道具としての意味はあっても、
文芸としてあまり質が高くなかったのではないかと思ってしまう。
幸い、青空文庫には他にも読めるものがいくつもあるようなので、
機会を見て読むことにする。
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読むこと

2008-07-17 04:39:32 | わたし
ここ何日か、素人の小説書きが集まるサイトをながめていた。
理解してくれる相手を求めて自分の作品の読み手を探す者もあれば、
プロの物書きとして身を立てるため、読者や他の作者の意見を広く求める者もいる。
大体、利用者はその二手に分かれる。

投稿された作品には、批評という形で感想文をつけられるのだが、
それを読んでいて、「趣味志向」に対する「プロ志向」の攻撃的な姿勢が目に付いた。
プロの作家が書いたものでさえ、一般の読者から批判の雨を受けるのだから、
そのような場所で作品を発表する以上、
プロが甘んじて受ける以上の酷評に耐えるのが「当然」だという立場から、
あくまでも趣味としてひっそり物を書いて読み手との親密な交流を願う
書き手達を、容赦なく攻撃して排除すべきぐらい考えているようだ。
そこには、「自分がこう思うから」と「当然」という言葉の勘違いがある。
批評を依頼してもいない見も知らぬ相手に、一方的に物差しを振り回されて、
何人かの書き手が追放されてしてしまったようだ。

無論、酷評する連中の言も全く的外れということも無く、
いくつか読んでみた作品には読むに耐えないものもあった。
しかし自称プロ志向の連中の批評も、良くない作品に対しては、
感情に任せに「駄文」と一言で切り捨てて、
大した論理構成も無い感想文を並べているだけで、
その点自覚が無い分始末に悪い。
何がどうして駄文となって、それをどう改善すればよい作品につながるか、
そんな議論も出来ないようでは、誰にとっても得るところが無い。
むしろ、趣味でやっていきたい人々にとっては、
そんな余計な批判をする書き手など、神経質で攻撃的な闖入者にすぎない。

また、そうしたプロ志向の人々が書いたものも、
二千字程度の短編なのに誤字脱字があったり、
ひどいものは一人称の統一ができていないという、
小説では初歩的なミスを犯しているものもある。
それで、どうして、人様を非難する気になるのか。
「自分はこれだけ懸命に書いているのに、
こんなちゃらちゃらした奴らなんか物を書く資格なんか無い」と、
大方そんな程度の根性で批評をしているのだろう。

中には自前の小説論を得々として連載している輩もいる。
持論の展開はそれはそれで結構。
だが、さまざまな前提に矛盾があり、
論として構成が行き届いていないにもかかわらず、
「プロ」の作家による『文章読本』で相当の紙数を
割り当てているような話題に対しても、
わずか一千字程度で話を終わらせて次々と主題を変え、
単に「ボクはこうおもいます」という小文が重ねられているだけで、
新しい読み方のひとつも提案できないでいる。
これまでにさまざまな『文章読本』が書かれてきて、
その上で、いまさら屋上屋を架すような小説論を展開する狙いがわからない。
そして、そういった書き手に限って、趣味の書き手を攻撃する急先鋒だったりする。

書くという行為は自己表現であり、
表現されるものが自己である以上、
そこには読み手とのずれが生じる。
そのずれている部分を、
正しい・正しくないという議論に持っていってしまうあたりに、
攻撃的な書き手の思考の未熟さがある。
ずれていると感じる部分に対して提示できるのは、
可能性の問題であり、正・誤の問題ではない。
自分の感覚とずれているから「誤り」という一言で
片を付けてしまえると思い込んでしまっているのだとすれば、
それはあまりにオメデタイ話だ。
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入院勧告 蒸し暑さ

2008-07-02 20:49:50 | わたし
昔の知り合いのブログを見てみたら、
うつが悪化して医師から入院を勧められているようだった。
結婚を考えていた相手と別れたのが原因なのだろうけど、
それ以降は本人の選択によるものでもあるし、
他者に依存する傾向が強い性格だから、
孤独に耐え切れなくなっているのだろう。

わたしもこんな状態だし、
彼も彼で自分のことしか考えられない人物なので交渉を絶ったが、
苦しんでいる様子が文面から察せられ、声をかけるべきかどうか悩む。
アクセス解析とやらをしているようなので、
うかつに書き込むとこちらにまで追っかけてこられそうで、
それを考えるとやはり接触をためらう。

昔、別れた相手が自分のブログを見ていることをログの解析でつきとめると、
彼は自分から切り出した別れ話を反故にして、再び交際したいと何日も
執拗にコメントをやり取りした。
望みが叶わないと分かった途端、悪口雑言の限り――相手が母子家庭だという、
当人達の交際と無関係の事まで引き合いに出して――を尽くして、
元交際相手を手ひどく罵っていた。
相手は自分より一回り以上年下の未成年なのに、
自分が大人の対応を出来ないようでは、
仮に復縁しても、いつか相手は離れていったろう。

しまいには彼女がブログを見続けているのを
ネットストーカー呼ばわりして、
警察のサイバー犯罪窓口に相談していたのは、
傍から見てかなり疑問に思った。
彼自身、検索エンジンか何かで何日にもわたってあちこち調べて、
元交際相手の日記をWeb上で見つけ出して、
その内容をチェックしていたようだし。
相手をストーカー呼ばわりする自分の方が、
よほど粘着質な行動をしているとは考えなかったようだ。
そもそも公開された場所に置かれたものを閲覧するだけで
相手をストーカー呼ばわりする思考は、被害妄想がひどい。

元交際相手とのやりとりを見て以来、
彼とは距離を置くようにしてしまったが、
それも彼の精神に悪影響を与えてしまったかとも思う。
医師が入院を勧めるということは、
かなり悪い状態にあるのかも知れない。
同情はする。
けれどもわたし自身、精神病院に通っている身の上で、
依存してくる人間を受け入れるだけの精神的な強さは持ち合わせていない。
手を差し伸べることで、さらに深い淵に引きずり込まれてしまえば、
わたしもまた病状が悪化する。

自分の弱さと彼の弱さに、
どうしようもない蒸し暑さに似た、嫌悪の念を感じる。
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2008-07-01 19:03:21 | わたし
ここ二三日、母がよく咳をしている。
マスクをかけず所構わず咳をし、
用便後もろくに手を洗わずに丁寧に菌を撒き散らした父の影響だ。
腫瘍の治療のため放射線を浴びつづけてから、
彼女の免疫力は低下して、風邪程度でも治りが悪い。
先年、兄嫁の父が肺炎で急逝したのが思い出され、心配になる。

両親も心配だが、そもそもわたしがこんなだから、
彼らに迷惑がかかっているのだ。


年齢と無職をキーワードにネットで検索したら、
わたしと同じ年齢で職歴無しという人が、
これからどうして職を求めたらよいかと相談を求めている掲示板を見つけた。

世間の風同様、回答者達の声は手厳しい。

その年齢になるまで何をしていたのか。
自分のやりたい仕事を見つけようなんて、現状認識が甘くないか。
プライドばかり気にして自己分析をする気が無いのか。
アルバイトなり何なりでひとまずお金を稼いで家を出て自立したらどうか。
両親に迷惑をかけて心苦しくないのか。

それに対し、ときおり質問者からの返答がある。
アルバイトやパートに就いて当座の資金を調達するということは望まず、
基本的には現状維持で正社員の口を見つけたい、そのために資格取得を云々・・・
といったところで、また回答者達から砲火を浴びる。
厳しいながらも真摯に質問者の事を考える者もあれば、
感情的に社会のゴミと切り捨てるだけの者もいる。

批判、批判、批判、弁明、批判、批判・・・

感情論もまた世間のありかたの一部だろうし、
その他大勢の真剣な回答はどれも正鵠を射ている。

バックグラウンドに多少の差はあれ、彼もわたしも似た問題を抱えている。
どちらも動く前に考えてしまい、
考え込んでしまうことで身動きできなくなっている。
まずは雇用形態によらず、何でもいいから仕事に就いてしまって、
それを長く続けることが肝心なのだ。
そして、わたしは今、その一歩を踏み出せないでいる。

コメントの応酬から目を離せなかったが、
質問者からは就職したという報告も無く、
最後の書き込みの日付はおよそ一年前になっている。
彼は今、どうしているだろう。
一歩踏み出したか、それとも蹲ったままか。
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『エンデュアランス号漂流』 読了

2008-07-01 04:25:41 | わたし
病院には必ず何かしら読むものを持っていくが、前回は『文章読本』がもう少しで終るところだったので、途中、某大型古書店に寄った。
あまり頭を使わない小説がいいかなと思って文庫本をながめていたところ、『エンデュアランス号漂流』(アルフレッド・ランシング 山本光伸訳 2001 新潮文庫)が目に付いた。普段ノンフィクションの類は全く読まないが、この本の元になった大英帝国南極横断探検隊に取材したドラマをかつて見たこともあり、以来「エンデュアランス号」の名は頭の片隅に残っていた。

帰りの電車の中で読み始めたら夢中になって、家に帰ってからも眠るのを忘れて読みきってしまった。

1914年、南極点到達でノルウェーに遅れをとった大英帝国の威信回復のため、冒険家サー・アーネスト・シャクルトンは南極大陸横断計画の実行を呼びかけた。各方面からの援助を何とか取り付け、エンデュアランス号を完成させたシャクルトンは27名の隊員とともにイギリスを発った。
一行を乗せた船は大西洋を縦断、ブエノスアイレスを経由して、サウスジョージア島に立ち寄り、さらに南極を目指す。しかし南極上陸を前に、ウェッデル海で氷盤にすっかりとりかこまれ身動きが取れなくなった。
そのまま漂うこと十ヶ月、ある日亀裂の入った氷盤は、船体を圧し潰し始めた。止む無く船を放棄した隊員たちを待っていたのは、更なる漂流生活と自然との戦いだった。

今よりはるかに遅れた技術水準の装備で、文明社会から離れた多湿酷寒の環境で、生還できないだろうという絶望と隣り合わせの状況を一年以上も耐え抜いた隊員たちの生活は、想像を絶する。それでもなお氷と海を相手に懸命に戦う彼らの記録を読んでいると、100年も昔、こんな男たちが本当にいたのかと、心に迫るものがある。

探検隊の誰だったかが残したこんなことばが、胸に焼きついた。
「我々はこの厳しい自然を相手に勝つことは決して出来ない。ただ出来るのは、負けないでいることだけだ。」
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