“戦狼”中露を経済封鎖すべし
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」131/通算563 2023/1/28/土】25日に多摩川土手をチャリ散歩していたら耐えられない寒さで、逃げるように帰宅した。冷え切ってしまい、クシャミ連発、鼻水タラタラ。困った時のカミ頼み、カミサンは・・・看護学校の同期会で外出、待てど暮らせど帰ってこない鉄砲玉。嗚呼無情。
この過酷というか滑稽な状況の中でも物書きしたり読書したりするのは「やり残したくない」という焦りがあるからだが、マスクの中はクシャミ鼻水でタラタラ、ベッドに横たわってもベチョベチョ、「俺が勝つか、インフルエンザウイルスが勝つか」、いささか消耗戦。
「消耗戦」とか「持久戦」・・・考えただけでどっと疲れる。先が見えない一進一退。ヂヂイになると「一退」ばかりが常態になるが、若い時はたとえ牛歩の日々でも「一進」はあったし、青春とか現役時代はそういう前進の季節だったのだなあと思い出す。気力体力が充満し、風邪をひくなんてほとんどなかった。
小生が記者・編集者の現役時代は締め切りに追われて午前1本、3時に1本、6時に1本書くことは珍しくなかった。もっとも取材は済ませているからノートや資料を見ながら、読者が分かるように上手に書き上げるという「仕上げ作業」なのだが、早朝からヒーヒー、ハーハーしながら悪戦苦闘していると5時、6時あたりには「もうダメだ、限界だ!」となる。
で、飲み屋に行ってモツ煮込みを肴にホッピーのレモン酎ハイ、ビール、日本酒ダラ燗あたりを飲んで、一息ついたら会社に戻って最後の記事を仕上げるか、土曜か日曜に休日出勤して仕上げることになる。土日連休はあまりなかった。
特に編集部は締め切りがあるから土日でも出社する人はいた・・・当時は。「過労死」なんていう言葉はなかったし、体調を崩すと「自己管理できない奴」とバカにされた時代だった。それは今の視点、価値観、流行から見ると異常だろうが、高度成長、バブル経済、イケイケドンドンという時代だったのだ。「消耗戦」でも頑張れば報われるという野趣に溢れた時代で、結構みんなヒーヒーしながらも楽しんでいる風情はあった。「毎日が夜討朝駆け、ストレスから病気になっちゃってさあ」なんて誇らしげに言う人もいた(彼は結局、過労死寸前で父君に発見され入院したが、それ以降の消息は途絶えた)。オー、モーレツ!、このCMが人気を博した1969年頃はみんなモーレツだったなあ。
今は「過労死、ダメ!絶対!」のようだが、これという資源のない日本が戦後世界で先進国になれたのは、銃をカタログに代えて世界中に吶喊していったビジネス戦士の貢献があったからだとも言える(深田祐介「日本商人事情」など)。
企業のみならず国家間の戦争もかつてはガチンコの激突だった。ところがアメリカはベトナム戦争で、北ベトナムに対しては日本でやったような無差別大量虐殺・破壊、絨毯爆撃、核攻撃を避けた。空爆は軍事関連施設のみを対象としていた。米国は自国将兵の死傷を恐れてガチンコの消耗戦を避け「空爆で敵の戦争インフラを破壊し、敵の疲弊を待つ」戦略だった。その結果、北ベトナムの「非対称戦争≒ゲリラ戦」に負けたのだ。
<非対称戦争:相手と同じ戦術では勝利が困難な交戦集団が、相手にとって予想も対抗も困難な別の手段によって戦闘をしかけることで戦われる。一般にはテロやゲリラ戦という言葉で認識される場合が多い>(WIKI)
ゲリラ戦を理論家した毛沢東によれば、「敵が出れば引く、敵が引けば出る」を繰り返し、敵を翻弄し、疲弊させたところで一気呵成に敵を駆逐するのだと言う。ベトナム戦争で米国は厭戦世論もあって長期の正規戦、消耗戦をできずにゲリラ戦に翻弄させられ、結局敗退したが、アフガニスタンでも同様な経緯で敗退した。バイデンの唐突で粗野な後先を考えない撤収により多大な被害をもたらしたことは「米国は恐れるに足らず」というイメージを世界に拡散させたことは間違いない。
2021年1月20日にバイデン政権が発足して以降、中露北はチャンス到来とばかりに攻撃的になった。1年後の2月24日からのプーチンによるウクライナ侵略は、「ヘタレの民主党バイデン米国は恐れるに足らず。バイデンは何もできまい、キーウは1週間もあれば制圧できる」とプーチンは思っていたようだが、そうさせたのはバイデンの杜撰なアフガン撤収だったろう。
今、日本にとって最大の脅威は“戦狼”を自称する習近平中共で、習は2022年8月に軍に命じて日本のEEZ内である与那国島や波照間島の周辺に5発の弾道ミサイルを撃ち込んだ(八重山日報2022/12/24など)。日中戦争は既に始まっているという見方もある。
中野剛志氏(通産・経産官僚、評論家、思想家)著「中国が仕掛ける『ハイブリッド戦争』に日本が抵抗できない理由」DIAMOND online 2021/11/27から。
<【「平和」と「戦争」の境界をなくす“恐るべき戦略”】我が国は「平和惚け」と揶揄されるように、戦後70年以上にわたって、戦争の可能性について真剣に考えてはこなかった。しかし、いよいよそれでは済まされなくなってきた。
21世紀の戦争の形態は「ハイブリッド戦」であると言われている。「ハイブリッド戦」とは、誰が戦うかや、どんな技術を用いるかといった形態の境界をなくし、正規軍のみならず、非正規軍、無差別テロ、犯罪など、多様な手法を複合的に用いるような、多面的な姿をした戦争のことを指す。
要するに、今日の戦争は、もはや正規軍同士の武力行使には限られなくなったということである。この「ハイブリッド戦」を最も得意とするのが中国だ。
中国のハイブリッド戦は、古くは孫子に起源をもつ中国固有の伝統であり、特に毛沢東の戦略思想に基づくものであった。毛沢東とその同志たちは、1920年代から40年代にかけて、列強との全面戦争を引き起こすことなく勝利するための戦略を研究した。
その結果、西洋において「平和」とされる状態と「戦争」とされる状態の間を利用するという戦略が有効であるという結論に至ったのである。それは「平和」と「戦争」の境界を無くすという、まさにハイブリッド戦であった。中国は、この毛沢東のハイブリッド戦の戦略思想を受け継いでいる。そのように見ると、中国の特異な行動の意味が、よく理解できるであろう。
例えば、中国は、アメリカとその同盟国との戦いにおいて、平時と戦時の区別をしない。だから平時において、情報戦、サイバー攻撃、知的財産権の窃取など、様々な手段による圧力や制裁、法的・準法的措置などを継続的に実施しているのだ。
また、中国のハイブリッド戦は、間接的であり、じわじわと漸進的に遂行され、準軍事組織や民間組織を広範に活用する傾向にある。さらに、敵にとっては必ずしも重要ではない地点や辺境地帯から始まるという特徴もある。今日、その典型が、尖閣諸島や南沙諸島に対する中国の執拗な行動にみられる。これらの特徴は、明らかに、毛沢東の戦略思想を反映している。
毛沢東のゲリラ戦は、地方の占拠から始まり、次第に町そして都市へと漸進的に拡大するものだった。これは、都市部など戦略的に重要な拠点から占拠するという西洋の戦略思想とは正反対の発想である。
中国のハイブリッド戦は、長期間にわたって忍耐強く遂行され、決定的な敗北を避けつつ慎重に進められる。これもまた、短期決戦によって、決定的な勝利を得ようとする西洋の戦略思想とは対照的である。
【狙われている日米安保の「死角」】このような特異な性格を持つ中国のハイブリッド戦に対して、アメリカやその同盟諸国は、うまく対応できていない。
というのも、アメリカとその同盟諸国は、戦時と平時を峻別し、武力を行使して行うもののみを「戦争」とみなし、戦争というものは可能な限り短く終わらせたいと考えがちだ。しかも、中国のハイブリッド戦に対抗するという明確な戦略を持ち合わせておらず、そのための手段も乏しい。
それゆえ、アメリカとその同盟諸国は、中国のハイブリッド戦による攻撃を受けても、それを「平時」とみなして見逃してしまう。ゆえに、対抗措置も後手に回りがちになる。実際、アメリカは2010年代の半ばまで、中国の台頭は平和的なものだと信じ、中国の軍事大国化を看過していた。
さらに中国はハイブリッド戦の一環として、アメリカとその同盟諸国の経済界やマス・メディア、あるいは政治家たちが、中国との関係を悪化させるのを恐れるように仕向けている。
特に経済界は、中国市場に対して多額の輸出や投資を行って莫大な利益を得ているため、中国との関係を良好に保つよう、自国の政治に強く働きかけるであろう。要するに中国は、その巨大な市場をアメリカに勝利するためのハイブリッド戦の武器としているのだ。
中国のハイブリッド戦による攻撃をほぼ日常的に受けているのが日本である。それが端的に現れているのが尖閣諸島にほかならない。2012年9月11日に日本が尖閣諸島の魚釣島など三島を国有化して以降、中国公船は、ほぼ毎日接続水域に入域するようになり、領海侵入も頻繁に発生している。
また、2018年7月、中国海警局が人民武装警察部隊に編入・増強され、2021年1月には、海警局の武器使用を認める法整備が行われた。中国は、海警局という非軍事組織を利用するハイブリッド戦を日本に対して仕掛けているのだ。
これに対して、日本はアメリカに、日米安全保障条約が尖閣諸島に対しても適用されるという確認を再三求めてきた。だが、そもそも、日米安保条約は、ハイブリッド戦に対応できるようになっていないのである。
日米安保条約は、第五条において「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」と規定している。
しかし「武力」攻撃であるか否か曖昧なハイブリッド戦に対しては、日米安保条約が適用されるか定かではない。また「日本国の施政下にある領域」とあることから、尖閣諸島が中国の占拠によって日本の施政下にあるとは言えなくなった場合にも適用されない可能性がある。
このため、平時と戦時を曖昧にするハイブリッド戦に対しては、日米安保条約に基づくアメリカの対応は遅れ、後手に回るだろう。それこそが、中国の狙いなのである。要するに、我が国がその安全保障の要とする日米安保条約とは、前世紀の戦争を前提としており、21世紀のハイブリッド戦には通用しない代物だということだ。
さらに根本的な問題がある。ハイブリッド戦には平時と戦時の区別はない。そのハイブリッド戦を中国は遂行している。ということは、中国にとって今はすでに戦時中だということだ。これに対して我が国は未だ「平時」にあると思い込んでいるのである>(以上)
「サラミ戦術」を思い出した。識者によると「小さな行動の積み重ねで、時間と共に自分に有利な戦略的環境に変化させる。中国の国境戦略や海外工作はサラミ戦術で、気が付けば相手国は身動きが取れなくなっている。南太平洋の島嶼諸国への勢力拡大の工作もサラミ戦術である」。
台湾、日本、フィリピン、ベトナム、豪州、インドなどは狡猾な“戦狼”中共のサラミ戦術に日々脅かされている。最早「遺憾砲」を連発してもまったく効力がないことは誰もが知っている。無為無策で拱手傍観していれば中共の思う壺だ。
中露などゴロツキ国家を抑制する第一弾として自由民主陣営はサラミ戦術的な経済封鎖を進めるべし。こちらも物資不足なるだろうが「欲しがりません、勝つまでは」と踏ん張らなければ中共の属国、亡国になってしまう。皇国の興廃この一戦にあり、命懸けで戦おうぜ、同志諸君!
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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【雀庵の「大戦序章」131/通算563 2023/1/28/土】25日に多摩川土手をチャリ散歩していたら耐えられない寒さで、逃げるように帰宅した。冷え切ってしまい、クシャミ連発、鼻水タラタラ。困った時のカミ頼み、カミサンは・・・看護学校の同期会で外出、待てど暮らせど帰ってこない鉄砲玉。嗚呼無情。
この過酷というか滑稽な状況の中でも物書きしたり読書したりするのは「やり残したくない」という焦りがあるからだが、マスクの中はクシャミ鼻水でタラタラ、ベッドに横たわってもベチョベチョ、「俺が勝つか、インフルエンザウイルスが勝つか」、いささか消耗戦。
「消耗戦」とか「持久戦」・・・考えただけでどっと疲れる。先が見えない一進一退。ヂヂイになると「一退」ばかりが常態になるが、若い時はたとえ牛歩の日々でも「一進」はあったし、青春とか現役時代はそういう前進の季節だったのだなあと思い出す。気力体力が充満し、風邪をひくなんてほとんどなかった。
小生が記者・編集者の現役時代は締め切りに追われて午前1本、3時に1本、6時に1本書くことは珍しくなかった。もっとも取材は済ませているからノートや資料を見ながら、読者が分かるように上手に書き上げるという「仕上げ作業」なのだが、早朝からヒーヒー、ハーハーしながら悪戦苦闘していると5時、6時あたりには「もうダメだ、限界だ!」となる。
で、飲み屋に行ってモツ煮込みを肴にホッピーのレモン酎ハイ、ビール、日本酒ダラ燗あたりを飲んで、一息ついたら会社に戻って最後の記事を仕上げるか、土曜か日曜に休日出勤して仕上げることになる。土日連休はあまりなかった。
特に編集部は締め切りがあるから土日でも出社する人はいた・・・当時は。「過労死」なんていう言葉はなかったし、体調を崩すと「自己管理できない奴」とバカにされた時代だった。それは今の視点、価値観、流行から見ると異常だろうが、高度成長、バブル経済、イケイケドンドンという時代だったのだ。「消耗戦」でも頑張れば報われるという野趣に溢れた時代で、結構みんなヒーヒーしながらも楽しんでいる風情はあった。「毎日が夜討朝駆け、ストレスから病気になっちゃってさあ」なんて誇らしげに言う人もいた(彼は結局、過労死寸前で父君に発見され入院したが、それ以降の消息は途絶えた)。オー、モーレツ!、このCMが人気を博した1969年頃はみんなモーレツだったなあ。
今は「過労死、ダメ!絶対!」のようだが、これという資源のない日本が戦後世界で先進国になれたのは、銃をカタログに代えて世界中に吶喊していったビジネス戦士の貢献があったからだとも言える(深田祐介「日本商人事情」など)。
企業のみならず国家間の戦争もかつてはガチンコの激突だった。ところがアメリカはベトナム戦争で、北ベトナムに対しては日本でやったような無差別大量虐殺・破壊、絨毯爆撃、核攻撃を避けた。空爆は軍事関連施設のみを対象としていた。米国は自国将兵の死傷を恐れてガチンコの消耗戦を避け「空爆で敵の戦争インフラを破壊し、敵の疲弊を待つ」戦略だった。その結果、北ベトナムの「非対称戦争≒ゲリラ戦」に負けたのだ。
<非対称戦争:相手と同じ戦術では勝利が困難な交戦集団が、相手にとって予想も対抗も困難な別の手段によって戦闘をしかけることで戦われる。一般にはテロやゲリラ戦という言葉で認識される場合が多い>(WIKI)
ゲリラ戦を理論家した毛沢東によれば、「敵が出れば引く、敵が引けば出る」を繰り返し、敵を翻弄し、疲弊させたところで一気呵成に敵を駆逐するのだと言う。ベトナム戦争で米国は厭戦世論もあって長期の正規戦、消耗戦をできずにゲリラ戦に翻弄させられ、結局敗退したが、アフガニスタンでも同様な経緯で敗退した。バイデンの唐突で粗野な後先を考えない撤収により多大な被害をもたらしたことは「米国は恐れるに足らず」というイメージを世界に拡散させたことは間違いない。
2021年1月20日にバイデン政権が発足して以降、中露北はチャンス到来とばかりに攻撃的になった。1年後の2月24日からのプーチンによるウクライナ侵略は、「ヘタレの民主党バイデン米国は恐れるに足らず。バイデンは何もできまい、キーウは1週間もあれば制圧できる」とプーチンは思っていたようだが、そうさせたのはバイデンの杜撰なアフガン撤収だったろう。
今、日本にとって最大の脅威は“戦狼”を自称する習近平中共で、習は2022年8月に軍に命じて日本のEEZ内である与那国島や波照間島の周辺に5発の弾道ミサイルを撃ち込んだ(八重山日報2022/12/24など)。日中戦争は既に始まっているという見方もある。
中野剛志氏(通産・経産官僚、評論家、思想家)著「中国が仕掛ける『ハイブリッド戦争』に日本が抵抗できない理由」DIAMOND online 2021/11/27から。
<【「平和」と「戦争」の境界をなくす“恐るべき戦略”】我が国は「平和惚け」と揶揄されるように、戦後70年以上にわたって、戦争の可能性について真剣に考えてはこなかった。しかし、いよいよそれでは済まされなくなってきた。
21世紀の戦争の形態は「ハイブリッド戦」であると言われている。「ハイブリッド戦」とは、誰が戦うかや、どんな技術を用いるかといった形態の境界をなくし、正規軍のみならず、非正規軍、無差別テロ、犯罪など、多様な手法を複合的に用いるような、多面的な姿をした戦争のことを指す。
要するに、今日の戦争は、もはや正規軍同士の武力行使には限られなくなったということである。この「ハイブリッド戦」を最も得意とするのが中国だ。
中国のハイブリッド戦は、古くは孫子に起源をもつ中国固有の伝統であり、特に毛沢東の戦略思想に基づくものであった。毛沢東とその同志たちは、1920年代から40年代にかけて、列強との全面戦争を引き起こすことなく勝利するための戦略を研究した。
その結果、西洋において「平和」とされる状態と「戦争」とされる状態の間を利用するという戦略が有効であるという結論に至ったのである。それは「平和」と「戦争」の境界を無くすという、まさにハイブリッド戦であった。中国は、この毛沢東のハイブリッド戦の戦略思想を受け継いでいる。そのように見ると、中国の特異な行動の意味が、よく理解できるであろう。
例えば、中国は、アメリカとその同盟国との戦いにおいて、平時と戦時の区別をしない。だから平時において、情報戦、サイバー攻撃、知的財産権の窃取など、様々な手段による圧力や制裁、法的・準法的措置などを継続的に実施しているのだ。
また、中国のハイブリッド戦は、間接的であり、じわじわと漸進的に遂行され、準軍事組織や民間組織を広範に活用する傾向にある。さらに、敵にとっては必ずしも重要ではない地点や辺境地帯から始まるという特徴もある。今日、その典型が、尖閣諸島や南沙諸島に対する中国の執拗な行動にみられる。これらの特徴は、明らかに、毛沢東の戦略思想を反映している。
毛沢東のゲリラ戦は、地方の占拠から始まり、次第に町そして都市へと漸進的に拡大するものだった。これは、都市部など戦略的に重要な拠点から占拠するという西洋の戦略思想とは正反対の発想である。
中国のハイブリッド戦は、長期間にわたって忍耐強く遂行され、決定的な敗北を避けつつ慎重に進められる。これもまた、短期決戦によって、決定的な勝利を得ようとする西洋の戦略思想とは対照的である。
【狙われている日米安保の「死角」】このような特異な性格を持つ中国のハイブリッド戦に対して、アメリカやその同盟諸国は、うまく対応できていない。
というのも、アメリカとその同盟諸国は、戦時と平時を峻別し、武力を行使して行うもののみを「戦争」とみなし、戦争というものは可能な限り短く終わらせたいと考えがちだ。しかも、中国のハイブリッド戦に対抗するという明確な戦略を持ち合わせておらず、そのための手段も乏しい。
それゆえ、アメリカとその同盟諸国は、中国のハイブリッド戦による攻撃を受けても、それを「平時」とみなして見逃してしまう。ゆえに、対抗措置も後手に回りがちになる。実際、アメリカは2010年代の半ばまで、中国の台頭は平和的なものだと信じ、中国の軍事大国化を看過していた。
さらに中国はハイブリッド戦の一環として、アメリカとその同盟諸国の経済界やマス・メディア、あるいは政治家たちが、中国との関係を悪化させるのを恐れるように仕向けている。
特に経済界は、中国市場に対して多額の輸出や投資を行って莫大な利益を得ているため、中国との関係を良好に保つよう、自国の政治に強く働きかけるであろう。要するに中国は、その巨大な市場をアメリカに勝利するためのハイブリッド戦の武器としているのだ。
中国のハイブリッド戦による攻撃をほぼ日常的に受けているのが日本である。それが端的に現れているのが尖閣諸島にほかならない。2012年9月11日に日本が尖閣諸島の魚釣島など三島を国有化して以降、中国公船は、ほぼ毎日接続水域に入域するようになり、領海侵入も頻繁に発生している。
また、2018年7月、中国海警局が人民武装警察部隊に編入・増強され、2021年1月には、海警局の武器使用を認める法整備が行われた。中国は、海警局という非軍事組織を利用するハイブリッド戦を日本に対して仕掛けているのだ。
これに対して、日本はアメリカに、日米安全保障条約が尖閣諸島に対しても適用されるという確認を再三求めてきた。だが、そもそも、日米安保条約は、ハイブリッド戦に対応できるようになっていないのである。
日米安保条約は、第五条において「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」と規定している。
しかし「武力」攻撃であるか否か曖昧なハイブリッド戦に対しては、日米安保条約が適用されるか定かではない。また「日本国の施政下にある領域」とあることから、尖閣諸島が中国の占拠によって日本の施政下にあるとは言えなくなった場合にも適用されない可能性がある。
このため、平時と戦時を曖昧にするハイブリッド戦に対しては、日米安保条約に基づくアメリカの対応は遅れ、後手に回るだろう。それこそが、中国の狙いなのである。要するに、我が国がその安全保障の要とする日米安保条約とは、前世紀の戦争を前提としており、21世紀のハイブリッド戦には通用しない代物だということだ。
さらに根本的な問題がある。ハイブリッド戦には平時と戦時の区別はない。そのハイブリッド戦を中国は遂行している。ということは、中国にとって今はすでに戦時中だということだ。これに対して我が国は未だ「平時」にあると思い込んでいるのである>(以上)
「サラミ戦術」を思い出した。識者によると「小さな行動の積み重ねで、時間と共に自分に有利な戦略的環境に変化させる。中国の国境戦略や海外工作はサラミ戦術で、気が付けば相手国は身動きが取れなくなっている。南太平洋の島嶼諸国への勢力拡大の工作もサラミ戦術である」。
台湾、日本、フィリピン、ベトナム、豪州、インドなどは狡猾な“戦狼”中共のサラミ戦術に日々脅かされている。最早「遺憾砲」を連発してもまったく効力がないことは誰もが知っている。無為無策で拱手傍観していれば中共の思う壺だ。
中露などゴロツキ国家を抑制する第一弾として自由民主陣営はサラミ戦術的な経済封鎖を進めるべし。こちらも物資不足なるだろうが「欲しがりません、勝つまでは」と踏ん張らなければ中共の属国、亡国になってしまう。皇国の興廃この一戦にあり、命懸けで戦おうぜ、同志諸君!
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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