安倍晋三氏の遺志を継ごう
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」65/通算497 2022/7/8/金】昼寝から覚めたら安倍氏がテロに遭って意識不明だという。15時過ぎの共同通信によると、
<8日午前11時半ごろ、奈良市の近鉄大和西大寺駅前で街頭演説していた自民党の安倍晋三元首相(67)が、拳銃で銃撃された。奈良市消防局などによると、安倍氏は血を流して倒れ、救急搬送された。意識不明の状態で、心肺停止とみられる。警察当局は現場で男を取り押さえた。奈良県警は銃撃したとして殺人未遂容疑で奈良市の山上徹也容疑者(41)を現行犯逮捕した。政府関係者によると、山上容疑者は元海上自衛隊員とみられる>
毎日新聞によると日本では「首相経験者が襲撃されて死亡した事件は戦後に例がない」とこう報じている(最終更新 7/8 13:56)。
<戦前には伊藤博文元首相がハルビン駅で銃撃され、死亡した。このほか原敬首相が1921年に東京駅で刃物で刺されて死亡したほか、浜口雄幸首相は30年に東京駅で銃で撃たれた後、翌31年に死亡した。また、5・15事件(32年)や2・26事件(36年)でも犬養毅首相や首相経験者らが亡くなった。
戦後に首相や閣僚経験者、政党幹部が狙われたケースとしては、安倍晋三氏の祖父にあたる岸信介首相が60年に首相官邸で右翼活動家に刺されて重傷を負った。同じ年には、浅沼稲次郎・社会党委員長が17歳の少年に刺殺された。
近年では、92年3月に金丸信・自民党副総裁が栃木県内で講演後、拳銃で狙撃された。金丸氏にけがはなく、その場で右翼団体構成員が取り押さえられた。また、94年5月には首相を辞任した細川護熙氏が東京都内のホテルロビーにいたところ、右翼団体の構成員だった男性が天井に向けて拳銃を1発撃った>
現行犯逮捕された「山上徹也」の氏素性や動機は今のところ分からない。<奈良県警によると、山上徹也容疑者(41)は「安倍晋三元首相の政治信条に対する恨みではない」と供述している>(共同)という。「ビッグになりたい」という愉快犯、クズか?・・・襲われた方はたまったものではない。ちょっと前に小生の散歩コースではカリタス学園生徒が狙われたテロ事件があったが、予防する策はないものか、まったく悩ましいことだ。
安倍氏の本籍地は山口県。猛を奮い、誠を尽くして全力で実行する「二十一回猛士」の松陰先生と同じ長州藩だ。日本の保守派(自由民主人権法治護持、反中露北)の代表みたいなものだから、恢復してほしいが・・・
夕方、産経が「安倍元首相、搬送先の病院で死亡」(2022/7/8 17:49)と報じた。まったく残念なことだ。
古森義久先生が日本戦略研究フォーラム2022/6/20に「安倍晋三氏と岸田文雄氏の違い」を書いていたのを思い出した。今となってはまるで安倍氏へのレクイエムのよう。
<安倍晋三元首相に話を聞いた。その結果は対談として月刊雑誌の「正論」7月号に掲載された。対談のタイトルは「いまこそ9条語るべき」とされた。1時間以上にわたるこの対談では安倍氏は憲法から安全保障、国際情勢まで多岐にわたり、詳細に語った。
その内容の要点を紹介する前に、明記しておかねばならない点がある。それはこの対談が実は安倍氏がこの日本戦略研究フォーラムの最高顧問にこのほど就任したことを記念して、当フォーラム会長の屋山太郎氏が実施するはずだった。屋山会長は安倍氏とは旧知であり、同氏の父上の安倍晋太郎氏とも緊密な交流があった。だから非常に内容の豊かな対談が実現するはずだった。
ところが屋山会長が突然、体調を崩し、予定が変わり、私が僭越ながら当フォーラム顧問として代理を務めることになったのである。
しかし私も毎日新聞政治部の記者だった時代から安倍晋三氏との知己は長かった。とはいえ屋山会長の代理だから、この対談では冒頭から屋山氏が提起していた質問をまず安倍氏にぶつけた。それは安倍氏がアメリカのトランプ、バイデン両政権が打ち出した「自由で開かれたインド太平洋」という構想をその原案者としてどのように思いついたか、という問いだった。周知のようにこの構想は安倍氏が最初に主唱したのをアメリカ側が継承し、拡大したのだ・・・
しかしこの対談全体では安倍氏が最も熱をこめて語ったのは、やはり憲法改正という課題だった。私自身がアメリカ占領軍下で日本国憲法草案を書いた実務責任者チャールズ・ケーディス陸軍大佐(当時)に戦後、長時間インタビューして、往時の拙速な占領軍による憲法作りの実態を聞いた体験からの感想を語った。
当時のアメリカ側の日本国憲法の最大の狙いは「日本を永遠に非武装にしておくことだった」とケーディス氏は率直に述べていたから、そもそも日本を普通の主権国家ではない半国家に抑え込んでおくことが目標だったのだ。
そんな話をすると、安倍氏はケーディス氏の当時の動きをよく知っていた。そして改めて、憲法改正の必要を強調し、その理由として3点をあげた。
第一は、日本憲法は疑いなくアメリカ占領軍によって作られたのだから、日本国民が改めて自分たちで作るべきだ、という点だった。
第二はいまの憲法はあまりに古くなり、いまの時代に合わなくなった条文がある、という点である。そして第三は自分たちの手で憲法を書き上げるという精神こそが日本の新しい時代を切り拓く、という点だった。
安倍氏は憲法について語るとき、作成者のケーディス氏の個人的な動向や戦後の生活についてまでよく知っていた。そして緊急事態宣言などいまの憲法には規定のない欠陥部分を指摘して、詳細かつ、わかりやすく説明していった。
そのほか憲法と日本の防衛のズレについても集団的自衛権への制限に関して、みずから主導して成立させた平和安保法制の効用を一方で認め、他方でなお残る障壁について、これまた詳しく見解を述べていった。
安倍氏はこうした日本にとっての古くて新しい諸課題をきわめて詳細に説きながら、資料やメモの類は一切、使わず、私の方を正面から見たままで語り続けた。まさに自分の知識や発想をそのまま自分の言葉で表現してぶつける、という態度なのだ。これほど以前の、これほど複雑な物事の経緯をよく覚えているものだと感嘆させられた。
たとえば私自身との初顔合わせについても安倍氏が41年前に父親の晋太郎氏の外相秘書官として外務省にやってきた直後の勉強会だった、などという回想がさらりと出てくるのだ。その時期に毎日新聞記者だった私がアメリカでエドウィン・ライシャワー元駐日大使にインタビューして、米海軍艦艇は核兵器を搭載したまま日本の領海や港に入っており、日本の非核三原則にはウソがあるという言明を引き出して報道し、日米間で大騒ぎとなったときの外務省の反応も安倍氏はよく覚えていて、淡々と語ってくれた。もちろんメモなし、台本なしの言葉だった・・・>
真に安倍氏は稀有の政治家、惜しい人材だった。その遺志を継ぐ政治家がいるのかどうか・・・「民主主義国家においては、国民はその程度に応じた政府しかもちえない」と言ったのは松下幸之助だった。自分たちの憲法さえ創れない日本は、安倍氏亡き後、9条さえ改めることができない時代錯誤の国のままで、結局は中露北の侵攻を受けて亡国になるかも知れない。
「危機の時代には危機に相応しい人材が出る」「危機の中で人は成長し、危機の中で人は本物になる」という言葉がある。しかし、危機感を国民、民族が持ち、共有し、発奮しなければ強者の支配に屈し、やがては消滅することは南北アメリカを見るだけでも分かる。辛うじて残る先住民族は今や絶滅危惧種として「保護」されているだけだ。
内憂外患、日本も覚悟を固める時だ。戦争止めますか、それとも日本を止めますか? 安倍氏の遺志を継ごう!
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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【雀庵の「大戦序章」65/通算497 2022/7/8/金】昼寝から覚めたら安倍氏がテロに遭って意識不明だという。15時過ぎの共同通信によると、
<8日午前11時半ごろ、奈良市の近鉄大和西大寺駅前で街頭演説していた自民党の安倍晋三元首相(67)が、拳銃で銃撃された。奈良市消防局などによると、安倍氏は血を流して倒れ、救急搬送された。意識不明の状態で、心肺停止とみられる。警察当局は現場で男を取り押さえた。奈良県警は銃撃したとして殺人未遂容疑で奈良市の山上徹也容疑者(41)を現行犯逮捕した。政府関係者によると、山上容疑者は元海上自衛隊員とみられる>
毎日新聞によると日本では「首相経験者が襲撃されて死亡した事件は戦後に例がない」とこう報じている(最終更新 7/8 13:56)。
<戦前には伊藤博文元首相がハルビン駅で銃撃され、死亡した。このほか原敬首相が1921年に東京駅で刃物で刺されて死亡したほか、浜口雄幸首相は30年に東京駅で銃で撃たれた後、翌31年に死亡した。また、5・15事件(32年)や2・26事件(36年)でも犬養毅首相や首相経験者らが亡くなった。
戦後に首相や閣僚経験者、政党幹部が狙われたケースとしては、安倍晋三氏の祖父にあたる岸信介首相が60年に首相官邸で右翼活動家に刺されて重傷を負った。同じ年には、浅沼稲次郎・社会党委員長が17歳の少年に刺殺された。
近年では、92年3月に金丸信・自民党副総裁が栃木県内で講演後、拳銃で狙撃された。金丸氏にけがはなく、その場で右翼団体構成員が取り押さえられた。また、94年5月には首相を辞任した細川護熙氏が東京都内のホテルロビーにいたところ、右翼団体の構成員だった男性が天井に向けて拳銃を1発撃った>
現行犯逮捕された「山上徹也」の氏素性や動機は今のところ分からない。<奈良県警によると、山上徹也容疑者(41)は「安倍晋三元首相の政治信条に対する恨みではない」と供述している>(共同)という。「ビッグになりたい」という愉快犯、クズか?・・・襲われた方はたまったものではない。ちょっと前に小生の散歩コースではカリタス学園生徒が狙われたテロ事件があったが、予防する策はないものか、まったく悩ましいことだ。
安倍氏の本籍地は山口県。猛を奮い、誠を尽くして全力で実行する「二十一回猛士」の松陰先生と同じ長州藩だ。日本の保守派(自由民主人権法治護持、反中露北)の代表みたいなものだから、恢復してほしいが・・・
夕方、産経が「安倍元首相、搬送先の病院で死亡」(2022/7/8 17:49)と報じた。まったく残念なことだ。
古森義久先生が日本戦略研究フォーラム2022/6/20に「安倍晋三氏と岸田文雄氏の違い」を書いていたのを思い出した。今となってはまるで安倍氏へのレクイエムのよう。
<安倍晋三元首相に話を聞いた。その結果は対談として月刊雑誌の「正論」7月号に掲載された。対談のタイトルは「いまこそ9条語るべき」とされた。1時間以上にわたるこの対談では安倍氏は憲法から安全保障、国際情勢まで多岐にわたり、詳細に語った。
その内容の要点を紹介する前に、明記しておかねばならない点がある。それはこの対談が実は安倍氏がこの日本戦略研究フォーラムの最高顧問にこのほど就任したことを記念して、当フォーラム会長の屋山太郎氏が実施するはずだった。屋山会長は安倍氏とは旧知であり、同氏の父上の安倍晋太郎氏とも緊密な交流があった。だから非常に内容の豊かな対談が実現するはずだった。
ところが屋山会長が突然、体調を崩し、予定が変わり、私が僭越ながら当フォーラム顧問として代理を務めることになったのである。
しかし私も毎日新聞政治部の記者だった時代から安倍晋三氏との知己は長かった。とはいえ屋山会長の代理だから、この対談では冒頭から屋山氏が提起していた質問をまず安倍氏にぶつけた。それは安倍氏がアメリカのトランプ、バイデン両政権が打ち出した「自由で開かれたインド太平洋」という構想をその原案者としてどのように思いついたか、という問いだった。周知のようにこの構想は安倍氏が最初に主唱したのをアメリカ側が継承し、拡大したのだ・・・
しかしこの対談全体では安倍氏が最も熱をこめて語ったのは、やはり憲法改正という課題だった。私自身がアメリカ占領軍下で日本国憲法草案を書いた実務責任者チャールズ・ケーディス陸軍大佐(当時)に戦後、長時間インタビューして、往時の拙速な占領軍による憲法作りの実態を聞いた体験からの感想を語った。
当時のアメリカ側の日本国憲法の最大の狙いは「日本を永遠に非武装にしておくことだった」とケーディス氏は率直に述べていたから、そもそも日本を普通の主権国家ではない半国家に抑え込んでおくことが目標だったのだ。
そんな話をすると、安倍氏はケーディス氏の当時の動きをよく知っていた。そして改めて、憲法改正の必要を強調し、その理由として3点をあげた。
第一は、日本憲法は疑いなくアメリカ占領軍によって作られたのだから、日本国民が改めて自分たちで作るべきだ、という点だった。
第二はいまの憲法はあまりに古くなり、いまの時代に合わなくなった条文がある、という点である。そして第三は自分たちの手で憲法を書き上げるという精神こそが日本の新しい時代を切り拓く、という点だった。
安倍氏は憲法について語るとき、作成者のケーディス氏の個人的な動向や戦後の生活についてまでよく知っていた。そして緊急事態宣言などいまの憲法には規定のない欠陥部分を指摘して、詳細かつ、わかりやすく説明していった。
そのほか憲法と日本の防衛のズレについても集団的自衛権への制限に関して、みずから主導して成立させた平和安保法制の効用を一方で認め、他方でなお残る障壁について、これまた詳しく見解を述べていった。
安倍氏はこうした日本にとっての古くて新しい諸課題をきわめて詳細に説きながら、資料やメモの類は一切、使わず、私の方を正面から見たままで語り続けた。まさに自分の知識や発想をそのまま自分の言葉で表現してぶつける、という態度なのだ。これほど以前の、これほど複雑な物事の経緯をよく覚えているものだと感嘆させられた。
たとえば私自身との初顔合わせについても安倍氏が41年前に父親の晋太郎氏の外相秘書官として外務省にやってきた直後の勉強会だった、などという回想がさらりと出てくるのだ。その時期に毎日新聞記者だった私がアメリカでエドウィン・ライシャワー元駐日大使にインタビューして、米海軍艦艇は核兵器を搭載したまま日本の領海や港に入っており、日本の非核三原則にはウソがあるという言明を引き出して報道し、日米間で大騒ぎとなったときの外務省の反応も安倍氏はよく覚えていて、淡々と語ってくれた。もちろんメモなし、台本なしの言葉だった・・・>
真に安倍氏は稀有の政治家、惜しい人材だった。その遺志を継ぐ政治家がいるのかどうか・・・「民主主義国家においては、国民はその程度に応じた政府しかもちえない」と言ったのは松下幸之助だった。自分たちの憲法さえ創れない日本は、安倍氏亡き後、9条さえ改めることができない時代錯誤の国のままで、結局は中露北の侵攻を受けて亡国になるかも知れない。
「危機の時代には危機に相応しい人材が出る」「危機の中で人は成長し、危機の中で人は本物になる」という言葉がある。しかし、危機感を国民、民族が持ち、共有し、発奮しなければ強者の支配に屈し、やがては消滅することは南北アメリカを見るだけでも分かる。辛うじて残る先住民族は今や絶滅危惧種として「保護」されているだけだ。
内憂外患、日本も覚悟を固める時だ。戦争止めますか、それとも日本を止めますか? 安倍氏の遺志を継ごう!
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