日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

子どもを矯正していないか?

2019-12-01 05:18:00 | 発達応援
やっと冬らしくなってきました。今日は地元よりもっと冬を感じる関西方面へ来ています。

発達障害や自閉症のお子さんの取る行動の中には、こちらにはよくわからないものもがあります。

私はそんな行動を目の前にすると、「そうするのはどうしてだろう?」とか「この子の中でその行動にはどんな意味があるのかなぁ」などと考えます。

そして、その行動がそのとき起きている不快な何かから自分を守るためなのか、それとも自分に不足している何かを育てているのか、その場の何かに惹きつけられて思いや感情が発露してるのか、などと想像します。

危険でケガや命に関わらなければ、子どもには好きに動いていてもらいます。そして、その子のその行動を一緒に横でやってみたり、その行動と同等の遊びをしているとお子さんが嬉しそうに近付いてくることもあるし、そっぽを向かれることもあります。

さて、ここで様々な子どものとる行動を親御さんや支援する側の価値観のものさしに当てはめて、子どもの行動や心を読もうとすると、なんだかおかしなことになってくると、私は思っています。

親御さんや支援する側のものさしに合わなければ、子どものやっていることは、これ即問題行動と解釈されてしまう。それって変ですよね。

その行動が表面上見えなくなると良しとされ、親御さんも支援者も満足するのでしょうが、子どもの方は手足をもがれ、時としては、心も閉ざしてしまうこともあると思います。

子どもの行動には意味があって、他人の生命や財産を脅かさない限り見守り、一緒に味わう、そんな度量や余裕が大人の側には必要ではないかな、そんなことを考えることでした。