講演会終わりを入り口で出待ちしてた李。
さて、南雲さんはお話の中で現在の支援に対する本質に幾度となく触れられました。
例えば、支援は弱い者を救うためにあると思うけれど、一部の支援は弱者を弱者に留め置く支援をしているのではないか、ということ。
また、支援でやったことを「今日はこんなことやりました」と記録に残すけれど、その記録に残したものは、支援者のやったことの記録に過ぎないということ。受けてきた支援が子どもの中に自立の助けとなり、根付くという意味で記録となっているか、ということ、等々。
改めて、これまでの支援が向き合っていたものが、人ではなく、制度を活用し、対価を生み出すシステムとしての側面が強かったのではないか、と私は思いました。
だから、支援のシステムを利用して、世の中を自由に生き抜いているつもりだったのが、「不要不急以外は自粛」と言われ、まさか、自分の日常が崩れて行くなんて!とパニックに陥らないように、南雲さんが何度も繰り返された「自分の頭で考える」ことが本当に大切なのですね。
そうは言っても、今後も「支援」というシステムはなくはならないでしょう。
でも、これまでのように「家族の息抜き」としてやお手頃に利用できるレクレーションとしての支援では、成り立たないと思います。
これからの支援は、南雲さんのお話にあったように将来的には外す前提で、子どもたちは、失敗してもチャレンジを繰り返し、試行錯誤も子ども自身がしていくことが大切なのではないでしょうか。
もちろん、障害の重さによっては、支援を外すことは難しいかもしれません。
それでも、子ども自身の「どう生きるか」「どう生きたいか」を重視して個々人が自分の歩む道を選べる支援であって欲しいものです。
ところで、昨日のお話に通じることを以前、浅見さんと南雲さんがお話されています。ここも多くの方々に読んでいただきたいので紹介しますね。
さて、今回、お二人のお話を聞きながら、たとえ、それ良心に起点していた支援だとしても、他者に日常を預けることで得る安定が、実はとても不安定なことを感じました。
そして、先の見通しが立たない世の中と言われ、明日のスケジュールは変更があっても、子どもの育ちのみちすじには、変更はありません。
周りの大人は、南雲さんの言われたように自分の頭で考えて、しっかりと子どもの育ちに向き合いながら、楽しく共に主体性を育んでいくことが、新型コロナ後の社会で生き抜く土台になっていくのではないかなぁと思いました。
そして、最後にご紹介です。
5月31日 栗本さんの本講演があります。
テーマは「感覚過敏、治るが勝ち」です。
感覚過敏、邪魔になりませんか?
支援を外し、己の主体性を存分に発揮しましょう。
楽しみな講演会です。