日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

トップバッター「点群の組織化」

2016-02-23 21:40:00 | フォイヤーシュタイン
 満月は、昨日だったようだけど、
今日の月もとても美しいです。

 

 朝から雨で、昼前に日が射したと思ったら、また小雨降る曇り空。
でも、そのおかげで、雲と月が絶妙な掛け合いをしています。

 

 明日の朝、職場に向かうときには、この月が沈むのを追いかけて行くのかな。
こんな楽しみがある朝は、早朝の真っ暗通勤道もわくわくのツーリングに変わりますね。

 ふっしぎ~。

 今日は、月イチのSkypeでのフォイヤーシュタインの勉強会でした。

 そこで、このところずっと私の頭の中にある、
フォイヤーシュタインの教材で散らばった点の中から、
見本の形を見つけて線でつなぐ「点群の組織化」の意義について、一緒に考えてもらいました。

 色々な意見の中で、興味深かったのは、数学の話です。
数学を専門に学んだ方が、ものすごく端折ってわかりやすく、噛み砕いて教えてくださったのですが、
数学的に線の世界を見ると、
位相幾何学という、線も曲線もない世界があり、
射影幾何学という、直線と曲線が存在する世界があり、
ユークリッド幾何学という、辺の長さや角度を意識する世界があるそうです。

 これは、なんだか、子どもと点群をやっているときのようだな、と思いました。

 最初は、見本があっても見本は意味をなさず、ただ、思ったように点同士をつなぐだけだったのが、
見本を少し意識し、見本のように点を結ぼうとするものの、まだ、見本からはずれていき、
やっと、見本の形を意識して、見本の形に近づけるように線を引く段階まで来る。

 もっと具体的に言えば、いちばん最初は見本の正方形の線は、ただの黒い塊に過ぎず、
それが、正方形として、線で形が近づく、最終的には始点と終点がある、線が4本ある…、
というように、より、正方形に近くなる…、
「点群の組織化」をしている子どもの姿に重なるように思えました。

 そして、この世の中に存在しない「線」は大体の人々が共通の意味を持つ記号で、
その記号を用いて、自分と世の中を橋渡しする道具に「線」は成りうるから、
道具としての線で、世の中を抽象化していく練習に、「点群の組織化」は成りうるのかな、と思いました。

 見えない「線」という道具を使いこなして、
まずは、自分の目で見て、理解している範囲の見本の形を「線」で表す。

 すると、その子の見えているものと、見えていないものを、
「線」を通して、共通認識することができます。

 言葉の発達がゆっくりな子どもさんだと、
言葉を使わなくても、その子の見本への認識を予想し、理解することができます。

 フォイヤーシュタインのトップバッターの位置が、
「点群の組織化」である意味が、自分の中でしっかりと形になってきた、
意義ある勉強会でした。

 

 




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 珍道中の予感。 | トップ | 2度目の電話。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

フォイヤーシュタイン」カテゴリの最新記事