家から見える隣の家の庭の木に、なにか、つぼみがびっしり。
去年のことを思い出すと、そこにはたわわに実った梅の実があった気がします。
もうすぐ、梅の花も咲き始める季節なのですね。
食べ物の好き嫌いが多いと
大人になってからも色々な人との食事の場面で気をつかったり、つかわれたり、
面倒な気がしますね。
私は今は、「嫌いな食べ物は?と聞かれると、
「食べたことのないもので、嫌いなものはあるかもしれない」と答えるくらい、
食べ物で嫌いなものはありません。
でも子どもの頃は、かぼちゃやにんじんといった、
水分が少なくて甘い野菜が苦手で、よくお皿に最後まで残しているか、
嫌なものはさっさと片付けようと、
いっぺんに口に入れて、飲み込めずに苦労したりしていました。
残すことは許されておらず、だらだら食べていると怒られるのですが、
最終手段は、母が食べさせてくれていました。
そのとき、母がとった方法は、
私の口をトンネルに見立てて、
「はーい、新幹線が来ましたよ~。ビューン!」などと言いながら、
子どもの口のサイズにした、かぼちゃやにんじんを新幹線に見立てて、
私の口に運んでいました。
私は自分の口がトンネルになる楽しさと
未だ乗ったことのない、歌にもなっていた新幹線へのあこがれで
いつの間にか、にんじんやかぼちゃを食べ終わっていました。
もう一つの方法は、にんじんやかぼちゃがうちにやってきた物語を
母が語りながら私に食べさせるやり方ですです。
そういわれても、?でしょうが、まぁ、次のような感じでした。
畑にはにんじんさんがたくさん植えてあって、
そのうちの1本が、今日はまゆこ嬢ちゃんに食べてもらうために引き抜かれました。
そのにんじんは、にんじんのおかあさんに
「ちゃんとおいしく食べてもらってね!そしたらおかあさんも嬉しいわ」と言われて、
「おいしくたべてもらうぞ~!」とはりきってやってきました。
ところが、まゆこ嬢ちゃんはにんじんさんを食べてくれません。
もうこのままでは、明日ゴミに出されて、キンコンカンです。
(当時、我が家の辺りはキンコンカンと鐘の音でゴミ収集車がきていたので)
にんじんさんは「ああ、にんじんのおかあさん、ごめんね、食べてもらえないよ~」と
にんじんさんは泣き出しました。
この辺で、私も家のにんじん畑を思い出し、
そこでのにんじん親子の別れが、まるで自分の別れのように感じて、
おいおい泣いて、「食べる~、食べる~。」と言っていました。
これは、魚バージョンやお米バージョンと残すものによって、
主人公が変わるのですが、話の大筋は全部一緒だったと記憶しています。
で、毎回、私は泣いて、食べることになるのです。
母の作戦勝ちですね。
こういうことを母に話すと、ちっとも覚えていなくて、
「まぁ、そんな悠長なことを私してたかねぇ。
とにかく、食べるのが遅かったからねぇ、あんたは」と言われます。
たしか、そういうことをしてもらって、色々な食べ物を食べていたのだけど、
私の妄想かしら…、と母の反応を見ると不安になります。
給食でもたもたしていた小学1年生の子どもに、
「新幹線が通りますよ~、口開けて~~」としたことがありますが、
これは、結構、楽しそうに食べてくれました。
色々と自分の手間がかかった子どもの頃の経験が役に立つこともありますね。
去年のことを思い出すと、そこにはたわわに実った梅の実があった気がします。
もうすぐ、梅の花も咲き始める季節なのですね。
食べ物の好き嫌いが多いと
大人になってからも色々な人との食事の場面で気をつかったり、つかわれたり、
面倒な気がしますね。
私は今は、「嫌いな食べ物は?と聞かれると、
「食べたことのないもので、嫌いなものはあるかもしれない」と答えるくらい、
食べ物で嫌いなものはありません。
でも子どもの頃は、かぼちゃやにんじんといった、
水分が少なくて甘い野菜が苦手で、よくお皿に最後まで残しているか、
嫌なものはさっさと片付けようと、
いっぺんに口に入れて、飲み込めずに苦労したりしていました。
残すことは許されておらず、だらだら食べていると怒られるのですが、
最終手段は、母が食べさせてくれていました。
そのとき、母がとった方法は、
私の口をトンネルに見立てて、
「はーい、新幹線が来ましたよ~。ビューン!」などと言いながら、
子どもの口のサイズにした、かぼちゃやにんじんを新幹線に見立てて、
私の口に運んでいました。
私は自分の口がトンネルになる楽しさと
未だ乗ったことのない、歌にもなっていた新幹線へのあこがれで
いつの間にか、にんじんやかぼちゃを食べ終わっていました。
もう一つの方法は、にんじんやかぼちゃがうちにやってきた物語を
母が語りながら私に食べさせるやり方ですです。
そういわれても、?でしょうが、まぁ、次のような感じでした。
畑にはにんじんさんがたくさん植えてあって、
そのうちの1本が、今日はまゆこ嬢ちゃんに食べてもらうために引き抜かれました。
そのにんじんは、にんじんのおかあさんに
「ちゃんとおいしく食べてもらってね!そしたらおかあさんも嬉しいわ」と言われて、
「おいしくたべてもらうぞ~!」とはりきってやってきました。
ところが、まゆこ嬢ちゃんはにんじんさんを食べてくれません。
もうこのままでは、明日ゴミに出されて、キンコンカンです。
(当時、我が家の辺りはキンコンカンと鐘の音でゴミ収集車がきていたので)
にんじんさんは「ああ、にんじんのおかあさん、ごめんね、食べてもらえないよ~」と
にんじんさんは泣き出しました。
この辺で、私も家のにんじん畑を思い出し、
そこでのにんじん親子の別れが、まるで自分の別れのように感じて、
おいおい泣いて、「食べる~、食べる~。」と言っていました。
これは、魚バージョンやお米バージョンと残すものによって、
主人公が変わるのですが、話の大筋は全部一緒だったと記憶しています。
で、毎回、私は泣いて、食べることになるのです。
母の作戦勝ちですね。
こういうことを母に話すと、ちっとも覚えていなくて、
「まぁ、そんな悠長なことを私してたかねぇ。
とにかく、食べるのが遅かったからねぇ、あんたは」と言われます。
たしか、そういうことをしてもらって、色々な食べ物を食べていたのだけど、
私の妄想かしら…、と母の反応を見ると不安になります。
給食でもたもたしていた小学1年生の子どもに、
「新幹線が通りますよ~、口開けて~~」としたことがありますが、
これは、結構、楽しそうに食べてくれました。
色々と自分の手間がかかった子どもの頃の経験が役に立つこともありますね。