日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

物語。

2015-01-26 12:50:04 | 日記
 家から見える隣の家の庭の木に、なにか、つぼみがびっしり。
去年のことを思い出すと、そこにはたわわに実った梅の実があった気がします。
もうすぐ、梅の花も咲き始める季節なのですね。

 食べ物の好き嫌いが多いと
大人になってからも色々な人との食事の場面で気をつかったり、つかわれたり、
面倒な気がしますね。

 私は今は、「嫌いな食べ物は?と聞かれると、
「食べたことのないもので、嫌いなものはあるかもしれない」と答えるくらい、
食べ物で嫌いなものはありません。

 でも子どもの頃は、かぼちゃやにんじんといった、
水分が少なくて甘い野菜が苦手で、よくお皿に最後まで残しているか、
嫌なものはさっさと片付けようと、
いっぺんに口に入れて、飲み込めずに苦労したりしていました。

 残すことは許されておらず、だらだら食べていると怒られるのですが、
最終手段は、母が食べさせてくれていました。

 そのとき、母がとった方法は、
私の口をトンネルに見立てて、
「はーい、新幹線が来ましたよ~。ビューン!」などと言いながら、
子どもの口のサイズにした、かぼちゃやにんじんを新幹線に見立てて、
私の口に運んでいました。

 私は自分の口がトンネルになる楽しさと
未だ乗ったことのない、歌にもなっていた新幹線へのあこがれで
いつの間にか、にんじんやかぼちゃを食べ終わっていました。

 もう一つの方法は、にんじんやかぼちゃがうちにやってきた物語を
母が語りながら私に食べさせるやり方ですです。
そういわれても、?でしょうが、まぁ、次のような感じでした。

 畑にはにんじんさんがたくさん植えてあって、
そのうちの1本が、今日はまゆこ嬢ちゃんに食べてもらうために引き抜かれました。
そのにんじんは、にんじんのおかあさんに
「ちゃんとおいしく食べてもらってね!そしたらおかあさんも嬉しいわ」と言われて、
「おいしくたべてもらうぞ~!」とはりきってやってきました。
ところが、まゆこ嬢ちゃんはにんじんさんを食べてくれません。
もうこのままでは、明日ゴミに出されて、キンコンカンです。
(当時、我が家の辺りはキンコンカンと鐘の音でゴミ収集車がきていたので)
にんじんさんは「ああ、にんじんのおかあさん、ごめんね、食べてもらえないよ~」と
にんじんさんは泣き出しました。

 この辺で、私も家のにんじん畑を思い出し、
そこでのにんじん親子の別れが、まるで自分の別れのように感じて、
おいおい泣いて、「食べる~、食べる~。」と言っていました。

これは、魚バージョンやお米バージョンと残すものによって、
主人公が変わるのですが、話の大筋は全部一緒だったと記憶しています。
で、毎回、私は泣いて、食べることになるのです。

 母の作戦勝ちですね。

 こういうことを母に話すと、ちっとも覚えていなくて、
「まぁ、そんな悠長なことを私してたかねぇ。
とにかく、食べるのが遅かったからねぇ、あんたは」と言われます。

 たしか、そういうことをしてもらって、色々な食べ物を食べていたのだけど、
私の妄想かしら…、と母の反応を見ると不安になります。

 給食でもたもたしていた小学1年生の子どもに、
「新幹線が通りますよ~、口開けて~~」としたことがありますが、
これは、結構、楽しそうに食べてくれました。

 色々と自分の手間がかかった子どもの頃の経験が役に立つこともありますね。


 
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生活の中の習慣。

2015-01-25 14:05:00 | 日記
 珍しく、朝寝をしてしまいました。
日が高くなり、休みの半分は終わっています。
よく寝て、すっきりですが、なんかもったいないなぁ。

 食事の時は、茶碗をきちんと持つとか、
どんぶりもちゃんと持って食べないと「犬食いをしない!」と怒られたり、
肘を開いて食べないの!とかご飯茶碗に醤油や納豆をべたべた付けないなどなど、
子どもの時に、色々なことを言われながら食事をした記憶があります。

 たぶん、そのときは「うるさいなぁ~」と思ったと思いますが、
今は、自分もなるべくご飯の茶碗が汚れないようにとか、
えらく、肘開いてご飯食べる人だなぁ~と他人の食事を見て思ったりするので、
すっかり習慣として身に付いてしまっているのでしょう。

 また、布団を敷きながら、
親戚のおばあさんで、シーツの耳の部分がきちんと布団の下に織り込まれていないとか、
シーツがピシッとシワなくできていなくて、
「やり直しなさい」と言う厳しいおばさんがいたなぁ~とよく思い出したりします。

 私が子どもの頃は、
子どもはこども、大人は大人と子どもと大人の線引きがはっきりしていた気がします。
ですから、大人が話しているところに子どもがのこのこ行ったりすると、
「子どもはあっちに行っておきなさい」と言われたり、
少し耳や口の早い子どもが話に割って入ろうものなら、
「大人の話に口を出さない!」とぴしゃりと怒られたりしていました。

 そして、口やかましい大人たちは、
自分が子どもに注意をすることは、子どもが将来できて当たり前にならなくちゃ困ること。
だから、できていないことを注意するのは当然と、
自信たっぷりに迷いなく注意をしていた感じがします。

 だからこそ、できていないことに恥ずかしさを感じながら、
シーツの敷き直しをしたり、肘はすぼめてご飯を食べたり、
いらないことには口を出さないと心がけたり、聞いていても聞いてない風にしたりと、
言われたことは、直すようにしながら、自分の習慣になっていったのだと思います。

 今は、「将来人としてできて当たり前のこと」という概念は存在しているのでしょうか。
それとも、眠れればよし、消化されて血となり、肉となれば良し、すべては平等という時代なのでしょうか。

 色々なことの共通認識って、薄らいできている感じがしますね。
そうやって、文化とか伝統というものは、個々人の足もとからぐだぐだになって、
やがては崩れて、風の前の塵となり~となってしまうのかなぁ~と、
ふと思うことです。

 
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漢方アロマ。

2015-01-24 22:28:43 | アロマテラピー
 一度、アップした記事が、どこいっちゃんだか。
こんなこともあるんですねぇ

 ちょっとした自分の体の不調は、自分でどうにかしたいなぁ~と、
薬膳養生やアロマについて学んで、自分なりに活用しています。

 私のアロマの師匠の先生である、三夜子先生の構築された漢∞蘭アロマについて、
今日は勉強しに行ってきました。

 今日は東洋医学の考え方の基本を学び、
今の自分に合う漢方アロマのブレンドオイルを作りました。

 やり方は、至って簡単で、2本のブレンドオイルの匂いを嗅ぎ、1本選びます。
更に、選んだ1本と別のもう1本を嗅ぎ比べ、どちらか1本選びます。
更に、更に、もう1本プラスして、最終選考です。

 私の場合、「火」のブレンドと「水」のブレンドの嗅ぎ分けでは、「火」を選び、
「火」のブレンドと「土」のブレンドでは、「土」を選びました。

 この「土」のブレンドは、消化器系の活性を助けてくれたりするので、
ちょうど、朝から胃が動いていない感じの私にはぴったり!って思いました。
また、香りがスパイシーで、近頃ハマっている、チャイマサラの香りを彷彿とさせるのも好みでした。

 ここで、昼食を摂ったのですが、メニューにカレーがあり、食べたくなって食べると、
スパイシーでおいしくて、ぺろりと完食。

 そして、午後、今度は「土」のブレンドと「金」のブレンドを嗅ぐと、
あんなに魅力的だった「土」のオイルは香りを感じられず、
甘く、濃厚な「金」のブレンドオイルがとてもすぅ~っと入ってきました。

 で、私の今日の一本はベースが「金」のブレンドオイル。
そこに荊芥(けいがい)と黄芩(おうごん)という生薬精油をプラスして、
私のオリジナルのブレンドオイル1本ができました。

 香りというのは不思議なもので、普段好きな香りでも、
体調によって、ちょっと遠ざけたくなる香りもあるし、
思いもよらない香りを自分でチョイスすることもあります。

 で、自分がチョイスした香りは、そのときの自分の状態を助けてくれる感じがします。

 アロマトリートメントの時に、漢∞蘭アロマも紹介しながら使ってみようと思います。

 また、この漢∞蘭アロマは、テンションが下がらず、衝動的になっている子どもや
気持ちが落ちすぎている子どもたちにも、気持ちを中庸にしていく助けになるのではないかと
考えています。

 とりあえず、今夜は寝る前に、本日作ったオリジナルブレンドを塗って、眠りましょう。

 
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情報。

2015-01-23 22:04:46 | 日記
 サッカー、負けちゃって。
にわかサッカー観戦者ですが、「あーーー」と、
テレビに向かって残念がりました。

 先日、知り合いが、
「電子レンジって、どうなんだろう。電磁波がね~。」とか
「牛乳は摂らないようにしてる。色々本に書いてあったり、ネットでもあるし。」とか言っていて、
へぇ~、そうかぁと思いながら聞いていました。

 私は電子レンジも使うし、牛乳も好きだし、そういうことはあまり気にしていません。
でも、電磁波でからだの具合がおかしいと感じる人は避けた方がいいだろうし、
牛乳が自分のからだを蝕むと思えば、無理して摂らなくて良いのでは、と思います。

 自分が何か、いやだなぁ~、とネガティブに感じれば、

ネガティブな結果で戻ってくる気がするし、心持ちも良くない気がします。

 私は冷凍の肉まんは、蒸し器で蒸します。
なぜなら、私はその方が皮がしっとりして、むわっと熱くておいしいと感じるから。

 でも、冷めた珈琲は、さっさと温めて飲みたいので、
電子レンジでチンして飲むこともあります。

 こってりとしたココアが好きなので、牛乳も飲んでいます。

 私は風邪をひくと、お米しか食べたくないのでご飯だけ食べています。
風邪をひいていないときも、自分が食べたい物をできるだけ、
肉やら野菜やらとバランスは考えつつも、食べたい物を食べています。

 ただ、夫のからだは私と同じ食べ物を欲しているか定かでありません。
出された物を「おいしい」と言ったり、黙って黙々とだったりで、食べています。

 本当に正しいことって、どんなことかよくわからないので、
とりあえず、自分が好きにやってるのが心持ちが良いのでいいか、とやっています。

 情報も私のようなものには、有益何だか、どうなんだか。
そんな気がすることです。

 

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状況判断。

2015-01-22 15:51:40 | 発達応援
 末っ子猫の梅ちゃんに、「遊んで!」と激しく要求されています。
遊びたいのは山々ですが、先に済ませておきたいこともこんもりあるので、
事情を話すと窓際で寝る体勢になってくれました。
聞き分けの良い猫です。
飼い主ばかですねぇ。

 毎日している早朝の仕事。
今、通常6人でしている仕事を5人でしなくてはならないので、
時間制限のある仕事ではあるし、押し気味ながらもがんばっています。
 
 そして、できるだけ早く、6人の時と同じ時間内で終わらせるため、
自分の仕事が終わったらどの仕事を先にするか、
それぞれが見通しをたてて、普段とは違う段取りで動いたり臨機応変、
みんなでムダなく動けるようにしています。

 しかし、どうしても見通しをたてることが苦手、
普段とは違うことになると、傍目からも目が泳ぎ、
右往左往して、焦りが募るというタイプの方もいらっしゃいます。

 ご本人も自覚があり、
「次はこれ、って言ってもらえるとわかるのだけど、
自分で判断して、と言われるとわからない。
でも、聞こうとしても忙しそうだし、あせちゃうのよねぇ。」
と言われます。

 その方は、後片付けの時も戸惑われることが多いそうで、
物の置き場所が、わかりづらいと言われます。

 見ていれば、いつも決まった場所にあるのだけど、
その決まった場所というのは、「だいたい、壁際のところ」だったり、
「だいたい、保冷バックと台車のあいだ」だったりするところの、
「だいたい」の定位置。

 この「だいたいの定位置」という感覚がわからないようで、
「だいたい、いつものとこででいいですよ。」と言われると、
通り道の真ん中などに放置していかれて、
後で注意を受けて、ふぅ~っと落ち込んでいらっしゃったりします。

 また、端っこから同じ物を集めて片付けていても、
どさっと、取り残しがあって「ここもだよ~」と言われて、
「えっ!そんなところにも有りましたか!?」とこれまた、本人もびっくりされていたり。

 見ていると、「次これをお願いします」などと言われると、
今の仕事をぱぁ~っと手放して、「次にお願いされた仕事」に移られてしまったり、
自分が気になった物を確認して、今やっていたことがぴゅ~っととんでしまったりしているような感じです。

 こういう行動をみていると、
やはり、今まで接してきた子どもたちと重なり、
あの子たちは、仕事をして、自分で生活することをつかみ取っているかなぁ~と、いう思いがよぎります。

 学校で習う勉強と生活や仕事で必要とされる感覚。
このギャップが大きくても、なかなか、仕事をして行く時に窮屈な思いをしますね。

 自立についてや感覚、バランスということを朝から考えることでした。

 


 
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