二日続けて大変面白いマーラーを聴いてきた。
昨日は、トリフォニーホール開館20周年記念のすみだ平和祈念コンサートの一環として、新日本フィルによるマーラーの第6番。もちろん指揮者は、音楽監督の上岡敏之。そして本日は、ホールを川越に移しての同一奏者、同一プログラムであった。こちらは、今シーズンの特別演奏会として催されたが、アントンKには、この川越にあるウェスタ川越というホールが初めてであり、どんな響きのホールなのか楽しみにしていたのだ。
場所が異なるが、同じ演奏会を2回聴くなんて奇異に感じるかもしれないが、たとえ同じ演奏家でもホールの響きで内容が変わってくるケースがままあるのだ。実際昨日と今日の演奏では、基本は同じ解釈での演奏だが、本日の方が、より大胆に表情付けがされており、楽曲の濃淡がより強調されていたように思う。座席の位置の影響もあるものの、指揮者との意思疎通もより的確になされて、この大曲に向かってオケにも余裕すら感じられていた。実際、今日の方がオケの鳴りがよくアントンKも満足の演奏内容であった。
アントンKにとって、このマーラーの第6は学生時代に耳にタコができるくらい再三聴いてきた楽曲だ。過去にも書いたが、世の中マーラーブームと呼ばれるような時代に突入する頃だから、マーラーの実演奏も徐々に増えてきた時代。古くは、カラヤン/ベルリン・フィルに始まり、ガリ・ベルティーニや、エリアフ・インバル、ジュゼッペ・シノーポリ。邦人では、若杉弘や朝比奈隆らの第6は実演奏に触れることができた。もちろんレコードも当時はそれなりに持っていて聴き込んでいたが、今回の上岡敏之の演奏は、過去のどの演奏とも違い、全く独自の経験のない響きの世界だった。
アントンKも近年の上岡の指揮振りから、今回のマーラー演奏もある程度想定して会場に足を運んだのだが、今回もその想定を大きく飛び越えてしまった。全体的にアコーギクが大変強調されている演奏といったらわかりやすいか。遅く溜めるところは、極端に遅く引っ張り、逆に快速に飛ばすところでは、感情的にかっ飛んでいく。相変わらず譜面の読みが深く新たな発見が我々に降りかかってくるのだ。
楽曲が膨大だから、思いつく箇所はいくつもあり、ここでは書き切れないが、特に印象深いところのみ記しておく。
このマーラーの第6交響曲には、全曲に渡りモットーの動機というものがあり、各楽器に現れてくるが、アントンKが一番印象深い個所は、第1楽章の展開部に入って、第1主題とモットーの動機が絡み合う部分での、VlaとVcの和音の極端な強調(譜面番号17~18)。同じくPkの強弱記号無視によるモットーの提示(譜面番号33の前)。また第1交響曲でも指摘されていたが、楽曲全体にわたりグリッサンドが嫌らしいくらいに誇張されていた。多数の打楽器のうち舞台裏指定の鐘やカウベルは、2階席(トリフォニーホール)、あるいは1階客席内(川越)に配置されていた。
今回のマーラーの第6交響曲は知っての通り、大がかりな楽員を要して演奏される楽曲で、管楽器群をはじめ打楽器群も大所帯となっているから、指揮者が一つ間違えてしまうと、外面的な音量だけでこれでもかこれでもかと聴衆を圧倒する音楽に化けてしまう。アントンKもこの手の演奏の経験があり、辟易としてしまってことが思い起こされるが、今回の上岡の演奏は、金管楽器を決して絶叫させることはなく(この点でアントンKは一部不満有り)、彼の得意技とも言うべき、オケ全体のバランス感覚に優れた演奏と言える。極端なブレーキとアクセルの加速減速は、好みが分かれるはずだが、アントンKには実に的を得たユニークな解釈として許容できる。
誰を聴いても似たような演奏が多く、過去にどこかで聴いたことのあるような内容の演奏がまかり通っている時代に、上岡敏之のような、独自性の強い、命がけともとれる演奏ができる芸術家は本当に貴重な存在だ。彼からますます目が離せない。そんな心境に今はなっている。
2017-03-11 すみだトリフォニーホール
すみだ平和祈念コンサート2017
上岡敏之指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
2017-03-12 ウェスタ川越 大ホール
特別演奏会
上岡敏之指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
マーラー
交響曲第6番 イ短調「悲劇的」
アンコール
マーラー 交響曲第5番より 第4楽章