上野-大宮間の繋がりで、もう1コマ思い出の画像を掲載したい。
アントンKの幼少期は、親戚が埼玉県大宮市にいたため、年に数回この区間を列車で移動することがとても楽しみだったことを思い出す。赤羽から京浜東北線を使わず、親にねだって東北本線の列車に乗ったのだ。今にして思えば、非冷房の115系初期車だったが、運が良いと客車列車が赤羽のホームに入ってきて興奮したもの。大宮までは、ほんの20分くらいだったが、客車特有の走行音に驚嘆し憧れ、デッキで揺れに耐えながら楽しんだ。そして今度は大宮から川越線へと乗り換えるのだが、当時はキハ35系でのんびりと行く。しかしこの川越線にも客車列車が残っていて、何度となく乗車した記憶がある。(ただしSLではなくDE10だったはず)
鉄道撮影を本格的に意識し始めたのは、昭和50年になってからだから、EF56やEF57がかろうじて最後の活躍をしていた時期だった。当然のことのように、EF57という電機には心を奪われ、撮影にのめり込んでいったが、その撮影場所もおのずと列車移動がしやすい上野-大宮間が多かったのだ。近年では、周りの景色も様変わりしてしまい、撮影には不向きのポイントも多いと聞く。ただ線路端にいるだけで、この区間は飽きることを知らなかった。こんなことを書いていると、若き日が蘇ってくる思いがしてくる。
急行「津軽」と言えば、アントンKには、奥羽線廻りの青森行き急行列車だが、お若いファン方には電車特急の愛称名と記憶されているのか。急行「津軽」は、とても歴史のある列車だが、アントンKが知っているのは、先ほど書いたゴーナナ時代からで、10系寝台車を連ねた急行列車だった。この急行「津軽」も、時代とともにけん引機や客車が変更され、電車化される前は14系客車に変貌していた。掲載写真は、その急行「津軽」の客車時代の最末期、1990年8月に撮影したもの。お盆の時期数日間ヘッドマークを掲げて運転された時のものだ。もう8月になると、日の出もだいぶ遅くなり、列車に日を入れることに苦労したが、その苦労が伝わってくるようなお粗末な画像を出してしまう。走行写真にこだわったゆえの、失敗例としてご笑覧頂きたい。翌9月からは、14系客車に変わって583系電車が急行「津軽」として運転され、何とも切ない気持ちだったことを振り返っている。
1990-08-15 402ㇾ EF651017 急行「津軽」 JR東日本/東北本線:蕨付近