首都圏の鉄道網の歴史を振り返ると、昭和時代いや国鉄時代とはまるで変化していることに気づかされる。アントンKにとって、その最たる鉄道は東京地下鉄網だが、それ以外の多種多様な路線網にも圧倒されてしまう今日この頃。特にJRと私鉄の乗り入れ、JRと私鉄、私鉄と地下鉄など、3線4線の乗り入れは、今や当たり前となっている。通勤に鉄道を利用している身としても、極ごく限られた路線で、頭で便利になったことは何となく理解できたとしても、実際には着いていっていないのが正直な感想だ。
それを最も身体で感じたのは、東急東横線がメトロ副都心線との相互乗り入れを開始した時期だった。長年地元の足として乗車してきた東横線が、一気にバラエティ豊かなメジャー路線に成り上がった雰囲気がして、ちょっぴり寂しく感じた事を思い出す。メトロの電車ならいざ知らず、東武や西武の最新車両まで顔を見せ、我が物顔で東急線を闊歩するのだから、隔世の感は否めなかったわけだ。
ここで掲載する山手貨物線も、現在ではご承知の通り、多くに列車が乗り入れをして、本来の貨物列車は肩身の狭い思いだろうに。しかし移動手段としては、確実に便利になったことは間違いない訳で、過去の路線網など風化してしまうのだろう。
掲載写真は、まだ貨物線としての機能が残っていた時代の山手貨物線をいくEF15の貨物列車。当時は、新宿副都心の高層ビル群が、新しい東京の象徴とされ、何とかそれをバックに撮影出来ないか、線路端を探し回った。今にして思えば、まだ緑が多く、高い建物が少ない事に気が付く。貨物列車に並走した春闘で落書きされた103系山手線も懐かしいが、シャッターのタイミングが最悪で、当時からボツ写真だったもの。まだ駆け出し時代だから、周りまで見回す余裕など皆無だったのだろう。半世紀近く経った今、敢えて見直してみることにした。
1975-05-05 568ㇾ EF15 山手貨物線:代々木付近