アントンKが鉄道写真を始めた頃は、首都圏では前出のEF10や、何度も話題にしているEF57が東北線でかろうじて最後の活躍をしていた時代だった。鉄道写真といっても、何をどう撮るかという観点から考えれば、本当に多岐に渡って選別できるだろうが、当時のアントンKは、車両は全て撮影対象といってもよく、普段から見慣れた電車から、雑誌でしかそれまで見たことのなかった車両まで興味は尽きなかった。しかし次第に好みが出てきて、撮影の核が決まってきたと思う。その一つが寝台特急列車で、長年撮影に中心に据えていた列車たちが無くなった現代を思うと、やはり寂しくやり切れない気持ちが湧いてくる。
普段は中々お目にかかれなかった交流電機や交直流電機にも興味があって、いつもチャンスを伺っていたことを思い出す。上野まで乗り入れていた常磐線の客車列車はEF80けん引で、機会を作っては貨物列車や団臨などを牽くハチマルに一喜一憂していたことも懐かしい。同時に、真っ赤な交流機も一目で好きになり、1年の内季節を決めて福島に出向いた時代は、自分の中では宝物になっている。
今回はそんな中から、ED71型の客車列車を掲載しておく。ご存知のようにED71は、後継のED75によって淘汰を余儀なくされてしまった機関車だった。当時は、すでに全機が稼働してはおらず、かなり運用も減少していた印象がある。確か松川以南には乗り入れが無くなった時代。福島を中心に北は白石くらいまでだったか。かろうじて貝田越えの重連ED71が撮影出来たことはラッキーだったと思っている。何キロにもおよぶ25‰の上り坂を重連で越えるED71は、ED75とは違い非力に見えるが力強ったイメージが今でも残っている。掲載写真は、朝夕に残存したED71のよる区間普通列車の松川からの折り返し回送列車。運転区間はとても短いものの、編成は立派なもの。これが国鉄時代とも言えるか。この時は前照灯原型の若番が登場して嬉しかった。
1982-10-15 回1525ㇾ ED71 7 東北本線:松川-金谷川