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東海道線の荷物列車が、EF58からEF62に変更されるとの情報に衝撃を受け、それまでに撮り溜めた画像を確認しながら、気持ちを奮起させていた若き時代。あれほど当たり前に走っていた機関車が一気に引退するという衝撃と合わさるように、どうしてEF62が東海道線?というアンバランスさにも衝撃を覚え、今にして思えば国鉄時代における大変印象深い出来事だった。
機関車移行の前段階として、残されたEF58が下関一か所に集められて運用を開始していた頃、それまでのゴハチの番号への拘りは過去のものとなり、余命のあるカマが最後の力走を見せた。下関と言えば、関東から最も遠い地であり、そこからはるばるやってくるゴハチにエールを送るため、EF62に代わるまでの間、可能な限り線路端に立とうと思った若き日々。今回は、そんな中から1枚掲載してみる。
以前にも掲載し記事にもしていると思うが、アントンKにとって新子安は荷物列車の撮影に好都合だった。仕事の都合上、絶えず新子安には出入りしており、カメラさえあれば気軽に撮影出来た訳だから、今から思えば夢のような日常だったのである。この駅での撮影のために、バケペンの300mmを用意し、冬場の晴天日は特に気合を入れて臨んだもの。毎日のことだから、曇天や雨降り、また臨8111ㇾの運転日にも当たることもあったが、こんな時期でも、大勢のファンで溢れるようなことは無く、和気あいあいに撮影していた印象だった。掲載写真は、京浜東北北行に被られる瞬間を捕らえたゴハチの荷物列車。よくよく考えれば、この京浜東北線に至ってもE233系→209系→205系→103系と4世代も前の話なのだから、時間の経過に驚くばかりだ。
1984-03-06 荷33ㇾ EF58 138 東海道本線:新子安
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