アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

ブルトレ「あけぼの」~ED75牽引の頃

2013-11-13 20:30:00 | 鉄道写真(EC)

何かと今話題のブルトレ「あけぼの」の写真を・・

かつて「あけぼの」は、山形新幹線の工事のため、陸羽東線経由で運転されていた時代があった。写真は、陸羽東線で新庄に着き、ED75へとスイッチして秋田を目指す「あけぼの」。ここは、先月C61の運転があった秋田の南側に位置しており、かなり山深い区間だ。先月のSL運転時には訪問できず涙を飲んだが、現在は秋田新幹線も通過するため標準軌に改軌されている区間のはずだ。当時は、あまり撮影地の情報もなく、国土地理院の白地図を買いこみ検討したもの。「あけぼの」の時間帯は、基本北へ向かう列車には、列車の顔に光が入らず撮影地に苦労した思い出がある。

当時のスタイルは、ペンタ67にモノクロが基本。晴れたら、ニコンにポジを入れて併用して撮影していた。ED75についても、この地では700番代は当り前の時代。まだ秋田区のED75牽引のローカル客レが残っていた。どちらかといえば、当時からED75では1000番代が好みだったが、今こうして見ると700番代もしまっていてカッコ良く見える。

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1993(H5)-05-30      1001レ ED75714  「あけぼの」     JR東日本/奥羽本線:峰吉川-羽後境

                             Nikon  F3P  MF Nikkor  300mm f/2.8S  RVP(+1/3)

 


秋山和慶のブルックナーを聴く

2013-11-12 21:00:00 | 音楽/芸術

急に思い立ち、秋山和慶氏のブルックナーを聴いてきた。

一頃に比べれば、ブルックナーに関しては実演が減り、いわゆる「暗黒時代」に入ったのかと言えるかもしれないが、やはり、そこは聴衆をも魅了する魅力的が指揮者が不在であるということにつきる。30年前の80年代、この頃は、日本にはマーラーブームが訪れており、その陰に隠れてブルックナーの演奏も徐々に増えていった時代。その牽引者は、間違いなく朝比奈隆であり、このアントンKも完全に虜になったひとりである。しかし、2001年に朝比奈氏が亡くなると、いよいよブルックナーは口を閉ざしてしまったのだ。クラシック音楽の分野は、CDでいくら再生しても、何かわからずじまいなことが多く、特にこのブルックナーに関しては、贅沢な話、実演ありきである。実際に足を運んで大変感動した演奏会が、後にその日の演奏会がCD化されて、期待してCDを聴いたときも、まったくと言ってよいほど印象が違っていた経験が何度となくある。記憶の中の演奏とは違い、何度がっかりしたことか・・・

かなり横道にそれてしまったが、そんなブルックナー演奏、今回は70歳を過ぎ、「巨匠」の風貌すら最近覗える指揮者秋山和慶氏だ。彼のブルックナーは、CDでの8番以外経験がない。そのときのまじめで実直な演奏が今日は聴けるのか、はたまた年齢を重ねて変わっているのか、これが聴きどころであった。

この日のオケが、音大生ということもあるのか、基本は以前とは変わらない、まじめでキッチリと音楽を作り上げていくタイプの演奏内容だった。テンポは速めのインテンポですっきりまとめるといったもの。解釈としては、ノヴァーク版のごく一般的な演奏といえる。おそらくほぼ譜面通りに指揮していると思われるが、音楽大学生のオケということもあり、出てきた音色は、瑞々しく大きく、しかし叙情的なポイントもあり、全体として素晴らしい演奏を繰り広げていたように思う。第1楽章や、第2楽章に現れる、ブルックナーの囁きや、問いかけにおける、木管楽器群には、多少不満は残ったが、それでもオケについては、指揮者によく就いていった印象を持った。この秋山氏のブルックナー、オケがやはり学生だから、やりたい事や言いたい事を抑えたのかもしれないが、ごくオーソドックスな解釈に留まり、予感は当たってしまった。

今回は、指揮者の芸術性よりも、現代の音大生の技術レベルの高さを再認識する機会となった。

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2013(H25)-11-11 ~ミューザ川崎シンフォニーホール  

第4回 音楽大学オーケストラ・フェスティバル

 ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調

   秋山和慶 指揮

   洗足学園音楽大学管弦楽団

   

 

 


蒼い時・・

2013-11-11 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

朝の下り列車を午前中に、午後からは上り列車をメインの撮影に切り替え、R19を行ったり来たり一日移動しながら撮影を繰り返す。こういった撮影は、確かに効率は上がり、それなりの満足感は得られるが、一つの場所に熟慮が足りず、適当な思いで撮影するケースが多くなる。朝の一発目ならともかく、以後のコマは、どれも同じに見えてしまう。やはり、こういった撮影は、そろそろ卒業かな、って思う。もっと、木曽の秋を目で楽しみ、新そばに舌鼓を打つくらいの余裕があっても良いか。

写真の下り列車撮影の頃は、日没で、山の稜線に日が入るところだった。先ほど撮影して、帰路についていたのに、今撮った貨物列車と併走してしまい、しまいには追い抜いてしまった。ならば、もう一発という気持ちが沸き出るのは鉄チャンの証。すかさずハンドルを切り、午前中撮影した須原に入って通過を待った。日が山に隠れてしまったから、露出はダウン、普通に撮影はできないという判断で、流し撮りをしてみた。背景の紅葉も、手前のすすきも、思いのほかイメージ通りにはいかなかったが、カメラの設定ミスで、画面全体が蒼くなり、この時の雰囲気が伝わったので掲載してみる。これから、いくつも峠を越えて松本まで走るロクヨンの力強さが感じられたら幸いだ。

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2013(H25)-11-09    81レ  EF641041+1042     JR東海/中央西線:須原-大桑

 


秋の西線~ロクヨン重連の魅力

2013-11-10 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

秋晴れが期待できたので、土曜日は中央西線に躍り出た。

ようやく朝の下り列車の運転が開始されたようで、まずはそれ狙いでスケジュールを組む。しかし、その目的の下り列車が運転される保証はなく、万が一ウヤだった時の逃げ場はない。少なくとも心の逃げ場だけは作っておかないと、ストレスだけが溜まることになるか、こんなことを考えながら深夜の高速を西へ向かう。岐阜に入ると、空も白々明るくなってきて、快晴であることがわかると、自然とアクセルにも力が入り、現地に一目散に向かった。すでに2台の車が止まっていたが、そのお一人は、撮影地でよくお見受けする方だった。先月は、秋田で、その前は山形、いつかは北海道の島松でお会いしたから、びっくりしたもの。撮りたいものが似ていると言ってしまえばそれまでだが、面白いようにお会いするので、ご縁のようなものを感じるが、ちょっと気味悪いくらいだ・・・

 通過時間が近づくにつれ、鉄チャンが集まり、目的の列車の運転はあるなと察しはついたものの、それにしても大分集まってきた。ザッと20人くらいか。というのも、やはりネタガマというべき、重連の前が国鉄色とのこと。凄い時代になった。天気も手伝っているだろうが、国鉄色が運用に入ったというだけでこの人気、比較的地味な中央西線が活気づく訳だ。随分と気温が下がっているように感じたが、そのお蔭か綺麗な朝日が照りつけ、定時でやってきたロクヨン重連を斜光線の申し分のない状況で撮影することができた。背後の山々は紅葉が始まっており、また線路端には、柿の実がなっていたが、やはり本日一発目は望遠でドカンとやってしまった。まあこれを撮りたくて遠路走ってきたのだから・・・

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2013(H25)-11-09    6883レ  EF641012+1004       JR東海/中央西線:武並-恵那

 


EF64の牽く24系団臨

2013-11-08 21:00:00 | 鉄道写真(EL)

この秋には、各地で24系を使用した団臨が目白押しで、毎週末のように走っている印象だ。今月もこの後計画があるようだが、昔と比べて客車は、24系が団臨使用になっている。もっとも団臨として今までポピュラーだった12系・14系はほぼ無くなり、当然お座敷のような客車も無く、あるのは24系だけになったから仕方がない。機関車の訓練のために牽引する客車も24系客車を使用する時代だ。このままだと、客車そのものが消滅して、牽引する客車を失った機関車も淘汰されてしまうだろうことは容易に想像できる。カマ屋さんには暗黒時代の到来かもしれない。

ついこの間まで、「夢空間」などという特別な客車も存在し我々ファンを楽しませてくれた。一度も乗車することはなかったが、24系に連結されて、全国を走っていた頃が懐かしく思い出される。写真は、夢空間を最後部に連結し中央東線で運転された団臨。梅雨空の中、EF64の一般型が10両編成の寝台車を従えて勾配を力走してくるシーンは迫力があった。

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2005(H17)-06-08      9411レ   EF6442   24x10    JR東日本/中央東線:大月-初狩

                           Nikon  F5  AF-S  Nikkor 80-200mm  f/2.8D  RVP100+1