アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

ED75重連の雄姿

2014-03-19 20:00:00 | 10年前の足あと

さて2004年2月分。この時は、東北線のED75狙いで遠征をしている。

当時はまだ、EH500の影でナナゴの運用も数本残っていた。特に、白河以南が撮影効率がよく、ブルトレと兼ねてよく訪ねたもの。ED75も一次更新色の白ブタは、過去、撮影に耐えられないで自ら棄権したこともしばしばあったが、この頃になると、二次更新車も増えてきて、撮影意欲が戻ってきた。特に、写真の1028号機は、JR貨物も、JR東日本のレインボー専用機の向うを張ったのか、サイドに形式を大きく描いたスペシャル塗装になり、ファンを驚かしたことも懐かしく思える。追っかけこそしなかったが、なぜかコイツに出会うと嬉しかったもの。オリエントサルーン色の711・751・767と並んで思い出の多いカマである。ナナゴは、小ぶりの機関車だったが、重連総括で激走する姿は格好よかった。

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2004(H16)-02-06    ED751028+        JR東日本/東北本線:豊原-白坂


10年前の南松本にて・・

2014-03-17 21:00:00 | 10年前の足あと

今年になって10年前シリーズは滞ってしまった。準備はしてあったので、出来ている所から順に掲載させて頂く。

10年前の2004年は、EF64とED75の貨物、それと東西のブルトレを中心に狙っていたようだ。ようだというのは、今こうしてポジを振りかえるからであって、実際10年前にそのような意識があって行動していたかはわからない。あまりはっきり覚えていないから、いい加減なものだ。

2004年1月は、長野へ2回ほど撮影に行っている。仕事を週末に絡めて、長野へ入り、南松本に立ち寄りながら、松本の街に泊まり、翌日早朝から西線やあるいは、篠ノ井線へ行くパターンだった。この日も、松本へ行く前に南松本へより、カマの確認ついでに撮影した1コマ。もちろん、まだロクヨン0番代が幅を利かせていたが、更新色が増えていく中、国鉄色が3台(うち2台は重連)並んでいたので力んで記録したことを思い出す。現在は、ロクヨン1000番代とEH200の停泊所に変わっているはずだ。

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2004(H16)-01-16                  JR東日本/篠ノ井線:南松本にて


広上淳一の「巨人」を聴く

2014-03-16 20:30:00 | 音楽/芸術

今日は、朝から随分と春めいていて、空気も緩み心地よい日和だった。そんなこの季節らしい日の中、京都市交響楽団の東京公演を聴いてきた。最近、特に関西では実力を上げてきたと言われている京都市響は、アントンKにとっては初の実演奏になる。同じ関西でも大阪フィルは、30年以上の長きに渡り実演や、CDなどにも触れてきたが、その大フィルを、最近関西オケでは抜いたのではないか、などと言った記述を読んだものだから、今日の京都市響の存在は気になっていた訳である。

プログラムは、前半にラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、そして、後半は、マーラーの交響曲第1番「巨人」といったもの。どちらも聴きごたえのある曲だから、大変楽しみにしていた。

今聴き終わってみて、まず言えることは、思いのほかオーケストラの能力は高いということだ。これだから、大フィル云々言われる訳だな、と理解できたのだが、今日の演奏を聴いただけでは、まだよくわからないパートがあったことも事実だ。特に、木管パートのFlやObについては、もっと雄弁であってほしい。今日の2曲では、なかなか聴こえてこなかった(席は、1階15列センター)。マーラーでは、時には官能的に演奏してほしい個所が多々存在するわけだが、やはりそういったところで、音色が届かないのは致命的である。その逆で、金管群は、音の鳴りも素晴らしく、特にHrは分厚く存在感があり、お気に入り。弦楽器群も積極的な演奏で、聴衆を楽しませていたように思う。

ただ個人的な見解になるが、指揮者の広上淳一氏の指揮振りに馴染めず、ちょっと辟易してしまうところがあった。もちろん音楽だけに集中していればいいのだが、あまりの大ぶりと、オーバーアクションに対して逆に冷めてしまう自分自身がいやになるほどだ。要は、指揮者の体温の上昇に周りがついていけないような雰囲気を感知してしまったということ。確かに、2曲とも独特な演奏解釈であり、特にマーラーについては、ユニークであり、熱演で好演奏だったことは認めよう。フィナーレのコーダでの圧倒的な音量と最後へ向かってのたたき込みはどうだ!今思っても熱く素晴らしいものだったが、この程度のものは、過去にも経験がある訳で、やはり指揮者の独自性がまだオケに浸透していないような違和感を覚えてしまった。広上氏も、このオケの常任指揮者としてはまだ日が浅いとのことなので、これから期待がさらにもてると言うことなのだろう。

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ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 OP18

マーラー 交響曲第1番 二長調「巨人」

アンコール~R.シュトラウス

京都市交響楽団 東京公演   at  サントリーホール

指揮者 広上淳一

ピアノ  ニコライ・ルガンスキー


「あけぼの」定期運行終了

2014-03-15 20:30:00 | 鉄道写真(EL)

今日は、ダイヤ改正日。新しく生まれるもの、そして終わるものとが交差する区切りある日。夜行寝台特急「あけぼの」も改正日をまたいで、上り下りとも終着駅を目指して無事に運行を終了した。

昨晩上野駅には行けなかったので、本日東十条まで見届けに行ってきた。沿線の道路や陸橋は、鉄チャンや、また一般の方々で埋め尽くされ、異様な雰囲気を醸し出している。それぞれ思い思いにカメラをセットしその時を静かに待っているファンたちも、今朝はどこか寂しそうに見える。そんな中、いつもと変わらぬロクヨンが見えてきた。惜別の思いを込めて皆さんと一緒にシュート・・

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2014(H26)-03-15         9022レ EF641052 あけぼの        JR東日本/東北本線:尾久-赤羽


クラシックの楽しみ

2014-03-13 20:00:00 | 音楽/芸術

クラシック音楽の醍醐味はどんなところにあるのだろうか。

若い頃からよく考えていることだが、それは、まさに演奏行為にあると言わざるを得ない。同じ楽曲が演奏家たちによって全く別の光を当てられ、今まで聴いたことのない感動を与えられる。これこそが、クラシック音楽の楽しみと考えている。

アントンKにとって、その演奏行為によって衝撃を受けた、いや人生に光を与えられた指揮者は、数多くいるのだが、今こうして考えてみると、まず、ハンス・クナッパーツブッシュ(クナ)であり、セルジュ・チェリビダッケであり、そして我らが朝比奈隆という巨匠たちになる。クナの時代にもし自分が生きていたら、おそらく何を置いてもオーストリアまで出掛けていたかもしれない。現在残されている、貴重な録音(今となっては良い録音とは言えないが・・)を聴くだけで、こんなに気持ちが高ぶるのだから、是非とも実演奏に触れてみたかった。

日本にファンが多いセルジュ・チェリビダッケは、録音嫌いで有名な指揮者。今でこそ、かなりのCDが世に出ているが、生存中は、ビデオ撮影の一部に限られており、レコード録音はほとんど存在しなかった。そういう意味では、かのヘルベルト・フォン・カラヤンとは対照的だ。アントンKは、最初NHK-FMのライブ放送で、彼の演奏を聴き、度肝を抜かれた思い出がある。確か最初はドヴォルザークの「新世界より」だったと思うが、その解釈が今までの経験とはまるで違い、新しい発見がそこここに聴きとれたのだ。当時のスピーカから出てくる音に手に汗握って興奮していた若き思い出である。その後、86年のミュンヘン・フィルとの来日時に初めて実演奏に触れて以来、彼の虜になり、以後90年、93年の来日時は、プログラム全て追っかけをしてしまった。当然このころから、チェリの影響でブルックナー観も変化してきた訳だが、それにしても、彼が言っていた「レコードは音楽ではない。実際の30~40パーセントしかスピーカからは伝わらないと・・」と言っていたことが、今さらながら良く判る気がしている。確かに、実演でのあの空気感とでもいうか、微妙な感覚、目に見えないものとか、聴こえないものがチェリの演奏会にはあったし、決して録音ではそのようなものは感じられない。もう二度と実演には接することができないと思うと大変残念に思えてならない。

写真は、チェリビダッケの指揮において印象的なポーズ。左手でピストルのような形を作り、的確な指示をオケに出すことが多く見られた。