アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

北アルプス便り

2017-03-05 18:00:00 | 鉄道写真(EC)

我が愛車も3回目の車検を終え、このダイヤ改正に合わせたようにめでたく出場、手元に戻ってきた。今回は、今までにないくらい調整や消耗品交換が余儀なくされ、費用も時間もそれなりに必要になった。現在アントンKが車に求めるもの。それは、走る、曲がる、止まる、積める、そして寝られる、である。まあこの考えは、ここしばらくは変わらないつもりでいるが、自分の身体の事も徐々に考える年齢になってきたから、当然ながら次回のマイカー選びにも影響するだろうか。すでに地球を7周ほど走ってきているが、まだまだ自分の欲するところには、全く影響がなく、最近は多少くたびれてきた車輛にますます愛着が湧くようになってきた。

そんなこんなで、週末は車検上がりの愛車で試運転を兼ねて長野を廻ってきた。長野に入るのに今回は東京から東名高速を使い、神奈川→静岡→愛知→岐阜経由で廻り、最終時点は北アルプスが望める白馬まで北上した。ざっと1000kmの走行で、指摘箇所のチェックを確認したが、特に問題もなく一安心。今はまだ数年は乗り続けられる気持ちになっている。

掲載写真は、長野県北部、大糸線のローカルE127系電車。早朝から快晴に恵まれて、夜明けを待たずにロケハンを慣行。朝日が北アルプス連邦に当たり始めると、その美しさに自然とため息が出る。久々の雪晴れを堪能し心の保養をした思いだ。

しかしこの界隈の北アルプス連峰は本当に美しい。中でも八方山から連なる唐松岳~五龍岳~鹿島槍ヶ岳は男性的でカッコ良く、どうしても鉄道写真に写し込みたくなった。無理くりの構図になってしまったが、この食パン電車のようなE127系も、こうして見るとマッチして見えるから不思議なものだ。

2017-03       JR東日本/大糸線:信濃森上付近


ED75更新!Oh my God!

2017-03-04 10:00:00 | 鉄道写真(EL)

引き続き最近のスキャン画像から……

掲載した写真のED75は、昔から好きな機関車で、機会を見つけては晩年まで撮影していた機関車だろうか。長年撮影していると、とにかく台数が多く全国的に配置というイメージが付いていたが、この機関車も例外になく減少の一途をたどった。

そんな中、ナナゴにも更新機が現れ、真紅のキリリとした車体にメスが入ってしまった。写真のような車体下半分が無造作に白く塗られてしまい、一気に魅力を失った。この時は、遠征のついでとはいえナナゴの重連、数を減らしつつある未更新の前補機を祈ってセットしたものの、カーブから見えたのは、なんと更新機の重連。まさにオーマイガー!の心境だった。

その後さらに二次型更新ともいえる塗色が登場したが、やはり日本の風土に根付いた今で言う国鉄色が一番マッチしていることは言うまでも無い。


伊那松島区にて

2017-03-02 18:00:00 | 鉄道写真(EL)

ようやく20年くらい前の写真をスキャンし始めている。牛歩のごとく進まないが、もう記憶から忘れかけている画像も多々発掘できて、それはそれで楽しい時間だ。ただし、ポジ原版で見る画像と、PCに取り込んだ時の画像の色合いが著しく違い困惑している。少なくとも、原画の退色も進行していることはあるものの、PCの液晶画面から見る画像は当時とは印象が異なる場合が多いようだ。まあこれも、現代のPCソフトを使えば、復元出来るのだろうが、とてもそこまで手が回らないのが実情だ。あれこれ考えず、まずは画像のデータ化に専念しようと思っている。

先週末撮り込んだ分より1枚。

この日は、飯田線の伊那松島機関区の撮影会に出向いている。復元したED18が旧客を牽引する列車が目玉だったようだが、ここでは機関区に取り込まれたED18、そしてなぜかEF58の「かもめ」の並びの写真を載せてみる。当時は旧型電機として認識していたこの二台だが、時代も流れて今では、古典電機とでも呼ぶべきか。今見てもED18は凛々しい形をしている。このED18やED19は、晩年飯田線の貨物列車で撮影できたが、もっと足を運ぶべきだった。

撮影記録を見ると、飯田線の行きがけと帰りがけに、中央線でEF64の貨物列車をやはり狙っていた。当然ながら、ロクヨンゼロ重連で、前出にも書いた通り、この時代は結構集中的に撮影している。今もこのくらいの執着力と精神力が保たれていれば・・・

2002-03-24   ED182  &  EF58122   飯田線/伊那松島区にて


篠ノ井線の貨物列車

2017-03-01 10:00:00 | 鉄道写真(EL)

現在も篠ノ井線には上下数本の貨物列車が設定されているが、使用する機関車は平成生まれのEH200に変更されている(一往復EF641000の運用有り)。このEH200になかなか魅力を見い出せないでいるアントンKだが、今後色々な場面で出会う機会が増えれば、思いも付かない気持ちに変わってくるかもしれない。

掲載写真は、当時(1997年)集中的に撮影していたEF64の0番代。現存している1000番代より、同じ形式ながら形態が随分と違っていて、こちらの0番代の方が好みだった。優等列車を牽引して脚光を浴びるというよりは、貨物列車を2台手を組んで山奥を黙々と走る地味な機関車のイメージがあり、そういった縁の下の力持ちのような存在がまた好きだった。晩年、ヘッドマークを装着して寝台特急「あけぼの」まで牽引するところまで上り詰めたが、あくまでもつなぎの運用のようで長続きはしていない。

現在唯一の0番代である37号機は、どんな状況なのだろうか。このまま自然消滅するのではなく、現在の茶色一色を元通りの塗色に戻して最後の花道を飾ってもらいたいと思うのは、アントンKだけではあるまい。

1997-02-14    5462レ   EF6424+62    JR東日本/篠ノ井線:聖高原付近