学生時代に憧れのカメラ「PENTAX 67」を手にしてから、被写体のアップばかり練習していた時期があった。こんなことも、モノクロのネガファイルを振り返らないと忘れてしまっていた事だが、こうしてブローニフィルムを眺めていると、当時の撮影光景が不思議と思い出される。
その当時は、所有していたレンズといっても限られていて、バケペンのレンズでは、標準の105mmと中望遠の200mmの2本だけで撮影していた。現代のようにズームレンズが当たり前となり、撮影地にレンズの長さを合わせるのではなく、撮影地に行ってから、所有しているレンズに合わせてポイントを決めていたこともどこか懐かしく感じてしまう。なるだけ被写体を画面一杯になるように構図を決めてシャッターをベストのタイミングで切る練習だ。
アントンKは、昔から基本的に三脚は使用せず、手持ちでの撮影がほとんどだったが、こういったドアップ写真も手持ちが多い。掲載した583系の「はくつる」も手持ちで撮影している。もちろん三脚の利点は重々承知しているつもりだが、即効を要する判断や機動力を総合的に考えると、手持ちが有利に感じている。
この写真は、バケペン200mm。つまり35mm換算で100mm相当で撮影。同じ場所で105mmでも撮影しているが、アップ度は上がるが、被写体が変に歪んで写ってしまい好みにそぐわない。この場所ではこの中望遠食らいの構図が583系らしさが出せているのではないかと思う。被写体深度の浅いバケペンだから、ピントを置く位置はシビアであり、細心の注意を払うのがこのピント合わせの部分だろうか。連写で慣れてしまった今のアントンKには、もうこれは撮れない構図だろう。
これらは言ってみれば、カメラの個性、癖のようなものだから、使う側がカメラに歩み寄り、そのカメラに慣れる以外に使いこなせなかったとも言える。そしてもう一つ、バケペンの個性で思い出されることは、視野率の悪さだ。80~90%(忘れてしまった!)とも言われたバケペンの視野率。これも撮影者がカメラに合わせて撮影したものだ。つまり、ファインダー内で被写体を納めて撮影したのでは、現像後の画像に物足りなさが残り、被写体がはみ出すくらいでシャッターを切ってちょうど良かったのだ。性能の良いデジカメに慣れた今のお若いファンには想像できないだろうか・・・
そして最後にもう一つ。バケペンの最大の個性は、シャッター音ではないか!
「バシャッ!」
ちょっと文字では表せない個性的な音が大きく響き、撮影地でもその存在感は絶大だったことを思い出す。シャッタースピードに関わらず、同じシャッター音だから、ファインダーギリギリでのシャッターは、被写体が飛び出てからも音が残っていると思われるほどラグがあったと感じていた。こんな個性丸出しのカメラは、もう今後生まれないだろう。
短期でモデルチェンジを繰り返す現代のデジタルカメラは、どこか家電と化してしまった。全てが平均以上であり、誰が撮っても綺麗に撮影できる。これはこれで素晴らしいことだが、このバケペンのようなある意味じゃじゃ馬的な個性的なカメラを思考錯誤しながら使い、何千何万とそのカメラを構えることで、カメラボディに自分が乗り移るような感覚も生涯にわたり貴重な体験になるのではないだろうか。はるか昔の写真をみて、そんな事を思ったのである。
1986-05-05 6013M はくつる3号