アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

コバケンの舞台裏

2017-08-09 15:00:00 | 音楽/芸術

小林研一郎の最終リハーサルを見学する機会があったので行ってきた。

これは、フェスタサマーミューザ2017の一環で、夏休みの期間、在京オーケストラや地元の学生オケを交えた音楽祭であり、音楽の街川崎を大きく牽引しているイベントなのである。比較的安価なチケットで色々鑑賞できる絶好の機会なのだが、マチネが大半であり、今のアントンKには少し行きづらく毎年残念に思う事が多い。

今年はそんな中から、たまたま公開リハーサルの時間に間に合う事ができ、ぎりぎりにはなったが会場へ飛び込んできた。アントンKの聴き方は、昔から同じで、一つの楽曲をどのように演奏するかに興味が集中する。だから、自分の中では、レパートリーが狭く、この歳になっても幅が広がらず苦慮しているが、ある程度聴き込んだ楽曲については、それなりに自分の考えや理想形を持ち合わせている。こんな理由から、本番演奏よりリハーサル時に指揮者が何を要求するのかがいつも関心事になる訳だ。

指揮者小林研一郎の演奏は、10年以上前になってしまうが、日本フィルとの演奏会に集中的に通った時代があった。いつも情熱的な指揮振りで聴衆までも巻き込んでしまう彼の指揮姿は、圧倒的でいつも感動する演奏会だったことを思い出す。レパートリーは広いとは言えないが、毎年自分の気に入った作品のみを繰り返す演奏スタイルは、奥が深く、解釈も年々変わるため新しい発見も多い。

今回は、コバケンの十八番ともいえるベルリオーズの「幻想交響曲」のリハーサルだった。総譜こそ譜面台に置いていたが、全て暗譜でオーケストラを自在に扱う。オケには譜面番号で指示しながら進めていたが、もうすでに仕上がっている状態の練習なので、音響自体はおそらく本番さながらだと思う。ポイントでの音の大きさの調整を細かく行ったようだった。

それにしてもコバケンの指揮振りは、リハーサル時も情熱的だった。かつてはよく唸りながら指揮して、その声がCD録音に入っている場面が多々あったが、現在はどうなったのだろう。この練習時には、昔より唸りは無くなったが、エネルギッシュな棒さばきは相変わらず。時にオケを止めて、歌って見せたり、「夢心地で・・」「気持ちを持って・・」と目に見えないことを要求し実践していく。不思議なもので、オケが完全にその言葉に反応して明らかに音色が変化するのである。コバケンの「有難うございます!」「感謝します!」「ナイス!」等々真摯な対応は見ていて気持ちよく、オケも益々モチベーションが上がるのが見てとれた。

最初舞台に現れた小林研一郎は、ジャージに身を包み、どこかいつもより小さく見えてしまった。そのコバケンも今年77歳。もう指揮者で言えば中堅ではすまず、いよいよ巨匠と呼ばれる年齢が近寄っている。いつまでもお元気で我々に感動を伝えて頂きたいとあらためて思い返した。ほんの束の間の時間だったが、アントンKもどこか元気にエネルギーが注入された気分で会場を後にした。

2017-08    ミューザ川崎シンフォニーホール

 

 


小田急7000系ロマンスカーの行方

2017-08-06 10:00:00 | 鉄道写真(私鉄)

小田急江ノ島線に7000系の団臨が走るとの情報を頂いた。たまたま仕事の都合がついたので、沿線まで見に行ってきた。

小田急線と言えば、何と言ってもロマンスカーは有名で、昔からアントンKにも馴染みのある特急電車だった。かつては、東武1720系「けごん」とともに小田急3000系(SSE)、3100系(NSE)とお世話になったもの。もっともその時代はアントンK自身幼少期の時代であり、家族で日光やら箱根へ旅行する目的で乗車している。特に小田急ロマンスカーは、アクセスしやすかったこともあり、鉄道好きになってからも撮影のため出かけたことが多々あった。

今回撮影した7000系ロマンスカーは、現在小田急線ロマンスカーでは最古の車輛。引退が近いと聞いている。前面展望デザインもさることながら、アントンKのようなオールドファンは、昔からのオレンジとグレーの塗装が懐かしい。しかし今回思ったのは、やはりこういった観光列車は、営業時に撮影、記録したいということだ。前面には、どこか楽しげな乗客達が顔を覗かせ、誇らしげなヘッドマークとともに連接音を聞きたかった。どっか抜け殻状態のロマンスカーであり、写真としては魅力半減となってしまった。もっとこういった被写体からは情感を写しだしたい。最近そんなふうに思うのである。

2017-08         小田急7000系(LSE)ロマンスカー     


デジカメで夜間撮影に挑戦

2017-08-05 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

鉄道撮影で、フィルム時代には不可能だったことの一つに夜間走行写真の撮影がある。昔は陽が落ちてからの撮影は、駅でのバルブ撮影と相場が決まっていた。しかしデジカメ主流の現代では、場所を選べば夜間走行写真の撮影も可能な時代。いやはや何とも・・・

アントンKもデジタルカメラを導入し、少しそのカメラにも慣れてきた頃、夜間走行写真を試した時期がある。少しでも明るく撮影するために、場所の選択は重要だが、明らかな事はフィルムカメラにはない世界がデジカメにはあるということ。少々無理しても、ある程度の写真は撮影できるのだ。後は撮影者が撮った写真に対しての許容範囲の問題だろうと思う。これは人それぞれ求めるものが違うから断定はできないが、アントンKには、まだ求めるものは撮影できていないのが現状だ。

年齢とともに目も悪くなり、普段は感じないが若い頃よりも見え方が変わってしまった現在、日進月歩のデジカメの性能には敵わない。自分の目で見た光景よりもデジカメの画像の方が情報量が多く、何でもそこに写っている。極端に言えば、夜に撮った写真がお昼間の写真のように写っているのだ。これはもう人間様の目の性能をはるかに越えてしまい、アントンKの考えるカメラの領域を逸脱している。いつの時代も見たままの光景を、そこにある場面を、そしてその時の想いをそのまま写し留めるのがカメラのはずなのに、どこか時勢の流れを受け、歪んできているように思えてならないのである。

今は無き、戸塚の大踏切で撮影したブルトレ「富士・はやぶさ」。目の前の光景をそのまま撮りたいと、テストを繰り返したがイメージ通りには行かず、ここへは出向くこともなくなり、やがてこの踏切も駅周辺の開発が進み消えていった。

 

2009-01-15     1レ   EF6643 富士・はやぶさ    戸塚付近

 


遠くの汽笛を想いながら・・

2017-08-03 22:00:00 | 鉄道写真(EL)

写真の整理を進めていると、忘れかけていた画像と巡り合うことがままある。不思議なもので、そんな写真でも当時の状況や想いをすぐに思い出せる場合があり、PC作業の手を留めて見入ってしまう。いずれ自分だけの小さな想いだから時間とともに忘れていくのかな、と少し寂しくもなってくるが、そうなる前に今後はここで少しでも書き留めておこうと思う。

最晩年、東京と九州を結んでいた寝台特急は、混結列車の「富士・はやぶさ」だった。例外なく春のダイヤ改正でその運転が廃止され、伝統ある名列車達は消えて行った。今回の掲載は、その「富士。はやぶさ」下り最終列車の思い出のシーン。

ファンで溢れ返った横浜駅ホームに陣取り、しばし列車の到着を待ったが、いつもとはかなり違う雰囲気に自分も飲み込まれ、変に緊張していたことが思い出される。定刻、ロクロクのライトが見え長い汽笛とともにホームに滑り込んできた。思いのほかゆっくりゆっくり近づいてきたロクロクは、HMも誇らしげに見え、檜舞台に上がった役者のよう。運転室には、5~6人の緊張した面持ちの乗務員達が見え、最終列車といことを意味していた。

今回は通り過ぎた後姿のものを掲載。速度が遅過ぎて背後が流れていないが、今はこれはこれでよかったと思っている。なわを張り、何百人ものファンが待つホームへと威風堂々入線するブルトレ「富士・はやぶさ」は、最後の最後まで我々に思い出を残してくれた。

2009-03-13  9001レ  EF6653 富士・はやぶさ   横浜駅にて