アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

願いは叶うもの

2018-11-07 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

ヘッドマーク復活以前の寝台特急「あけぼの6号」。

国鉄がJRになる2年前の1985年になって、全国的にブルトレけん引機にヘッドマークを装着することとなった。実際には、九州内のブルトレが一番先に復活を果たし、独自のおわん型のマークがお目見えすることになる。やはりこうなると、アントンKは、今までのブルトレ撮影はいったい何だったのか、との思いが強くなり何ともやり切れず、全て撮り直しの気持ちが大きくなっていった。まさか、今日のように寝台列車自体が無くなっている時代がくるなんて思いもしない遠い昔話だが、いつでも撮影はできると思いつつも、毎年実施されるダイヤ改正をにらみながら、撮影計画を立てていき実行に移していった。基本的に夜行列車の撮影だから、条件は厳しく1年を通じて撮影可能なわけではなく、日の長い時期を狙った行脚が増えていった。しかしそんな自然を相手に、あれこれ撮影計画をたて、打ちのめされながら、再び挑む行脚は今にして思えば楽しいものだった。今より機材も不利だし情報も圧倒的にないが、苦労して挑み良い結果だった時の快感は今の比ではない。

掲載写真は、1日3往復体制だった時の特急「あけぼの」。ヘッドマーク復活直前のEF65PFもどこか寂しい表情のブルートレインだ。マーク復活の吉報が届いた時、願いはいつか叶うものなんだ、と手を合わせた思い出が蘇ってくる。

198410-14  1006ㇾ EF651051    あけぼの6号  東北本線:矢板付近


伝統ある国鉄特急色復活か!?

2018-11-06 20:00:00 | 鉄道写真(EC)

今まで秋田車両センターに入場していたE653系電車が、国鉄特急色(風?)になって出場し話題となっている。JR貨物の機関車が次々と国鉄色へと返り咲いている中、E653系が今度は伝統ある電車特急のクリームと赤のツートーンで出場したとのこと。特に深い意味などはなく、ブームに乗って塗り替えたということなのか。今のところ定かではないが、新しいバリエーションとしてファンの間でも話題になることは間違いないところだ。

一時、最後の国鉄特急型とされる185系も80系に似せた湘南色になったり、157系を真似た通称「あまぎ色」になり世間を騒がせた時期があったが、ちょうどそんな感覚で今回登場したと言ってもいいのではないか。羽越線を走る「いなほ」等に使用されると思いきや、水戸に転属し臨時使用とのことだから、この手がお好きな電車ファンには目の離せない存在になるのではないか。アントンKもお目にかかれることを心待ちにしているところだ。

掲載写真は、また時代もので恐縮だが、国鉄特急色の元祖とでも言うべき485系の「ひばり」。アントンKにとっては、この「ひばり」そして「とき」、「あずさ」が最も特急色の電車としては思い入れが深い列車なのだ。最も写真撮影に燃えていた時期に、一番身近に走っていた特急電車ということになるのだろう。こうして当時の写真を見返しても、国鉄型電車にはどこか「華」があり、質実剛健で特急たる風格がにじみ出ていた。今の特急型電車との最大の相違はこの部分にあり、残念だが目に見えないところで夢を描ける特急電車は無くなってしまった。

1982-03-17     特急「ひばり」  485系13連  東北本線:藤田-貝田にて


EF58+12系の宗教臨

2018-11-05 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

曇天の昼下がり、品川駅に宗教臨が到着する。

この頃は、いくらEF58が長い12系編成をけん引してきても、大した被写体ではなく、機番によってはフィルム消費を抑制するため、シャッターを押さない場面も多々あった。35mmでは36枚撮り、バケペンに至っては、何と10枚しかシャッターが切れない。こんな時代だったから、1コマ1コマ大事に撮影する気持ちは、今では考えられないほど深かった。ブローニフィルムの扱いも独特で、最後の駒に近ければ、光が入りやすくなり大事な1コマが台無しになるから、メインの駒は可能な限り後半で切るな、とは大変几帳面な先輩の教えであった。

今となっては無用の長物となり、こんな思いも懐かしく思い出されるが、現代のデジカメに至っても、どこか当時のカメラに向き合う心得のようなものをいつも考え、同じ気持ちで接していきたいし、可能ならば、より若い世代にも伝えていきたい。

電柱が林立し、編成も切れてしまうこの品川進入が、当時気に入って何度か足を運んでいる。次々とポイントをまたいで、ダブルクロスに入るゴハチの姿は、威風堂々としておりカッコよく映ったもの。ここでは、東京区の49号機を掲載してみる。

1978-10-15   8342ㇾ  EF5849    12系    東海道本線:品川にて


485系3000番台帰らぬ旅へ

2018-11-02 20:00:00 | 鉄道写真(EC)

この度、485系グループの中でも比較的新しいイメージのあった3000番台が帰らぬ旅へ出たということで、写真を掲載し回顧してみたい。

485系もまだまだ現役だった時代、青函トンメルを通過できる485系として生まれてきた3000番台だったが、当時は、これが485系?と思えるほど斬新に見えたことが思い出される。それまでの300番台などより、よりシャープなイメージで速そうに思えたものだ。実際青函トンネル内の最高速度に耐えられる構造に改造されているはずで、新幹線開通までの大きな担い手となっていた。

写真は、北海道までの連絡特急として北東北をかっ飛ばしている時代の「はつかり」号。何度か乗車もしたが、速度は高かったが、乗り心地は如何なものか、というレベル。まあ古い電車を改造して使っているのだから当然といえば当然で、主電動機MT54の高鳴りが胸を掻き立てた事が懐かしい。

2002-06-01      485系3000番台 はつかり   JR東日本/東北本線:岩手川口付近

 


夢空間の夢物語

2018-11-01 17:00:00 | 鉄道写真(EL)

今年も唯一の寝台列車と言える「カシオペア」の運転が無事終了した。この列車は今や団体臨時列車となり、JR東日本管内を不定期で運転している状況だ。北海道まで運転されていたのは、はるか昔の思えてしまうが、ブルートレインの北斗星が廃止になり、最後に残ったE26系カシオペアが未だに活躍していることの方が奇跡的なことなのかもしれない。来年以降の運転の発表はまだないが、きっとまた新たな企画で、我々を楽しませてくれるに違いない。編成を分割可能にして、短編成でも運転可能とし、非電化区間でも入線可能にしたら、さらに色気が出るのではないか。またそれに伴い、車体色をブルーにラッピングしてしまえば、重厚なブルトレの登場となる。何ていつも妄想を膨らませているが、結構現実的だと思うがどうだろう。

掲載写真は、今から10年前の寝台列車の最高峰、夢空間を使用した「さよなら夢空間北斗星」号。通常の24系列に3両だけ連結され使用されていた夢空間だったが、車体外観色は異なるものの、なかなか写真にすると、イメージ通りうまく撮影できず、難儀だったことを思い出す。やはり自らが夢空間の乗客となれば良かったのだが、そんな無謀は許されず、最後は自分が街明かりを遠めに見ながら、ディナーを頂いている、そんなイメージで撮影することにした。大きな窓から暖かそうなオレンジ色の灯りがこぼれて、まさにゴージャスな列車の象徴であることを悟り、この時かつて日本にやってきたオリエント急行の編成を思い出していた。

2008-03-01    8005ㇾ  EF8192 さよなら夢空間北斗星 JR東日本/東北本線:蓮田付近