アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

「ホリデーパル」という名の20系客車

2019-09-18 21:00:00 | 国鉄時代(カラー)

しつこくまた20系客車で更新する。

20系客車も正調ブルートレイン、特急「あさかぜ」に始まり、全国を駆け巡っていた時代から、「銀河」「天の川」といった急行列車の時代へと変わり、晩年は、団体列車などの波動用としての活躍に狭められていった。アントンKは、その過程にカメラを向けられたことは、こうして振り返ればとても幸運だったと思う。ちょうど国鉄時代末期からJRへと変わっていく時代と重なり、まさに鉄道界の激動の時代を迎え、そして通り過ぎてきたことに気づくのだ。最もシンプルに、好きだから撮影してきた車両だから、少しでも多くのシーンを残したいという気持ちは当時からあったが、毎度のことながら、中々満足のいく画像は残せていない。撮影している現場では、いつの日も気持ちは変わらず向かっていたはずだが、画像にして封じ込めてしまうと時間の経過とともに、そして年齢とともに想いが変化してしていることに驚かされている。自分のことでさえ、そうなのだから、増して他人様にはいったいどう映っているのだろうか。ま、気にかけるほどの余裕も持ち合わせていないが・・

団体用として広島に配属され活躍をした20系客車。お座敷やサロンカーなどが流行り出した時期と重なり何を考えたのか、あのブルトレの20系をご覧のようなホワイトカラーへと変身させ、我々ファンの度肝を抜いた。現在なら、ネット上ですぐに拡散され、画像はいち早く確認することができるだろうが、当時は雑誌媒体でしか解らず、上京を首を長くして待ったものだ。しかしなぜここで撮影したのだろう。全く記憶が飛んでしまった。変わり果てた20系を見てがく然とした結果だろうか。まだ真新しいEF65PFに牽かれてきたのは、最後部の電源車のみ原色を保つ20系ホリデーパル。重厚で優美なイメージは吹き飛び、ただ走行音だけは、20系客車そのものだったことを思い出している。

1991-12-3  回8026ㇾ  EF651123 20系10両 ホリデーパル JR東日本/東海道本線:平塚付近

 


20系「あさかぜ」~EF65PF栄光の晴れ姿

2019-09-15 15:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

20系客車を続けている。

こうして過去の画像を遡って、自分の鉄史の端くれとしてブログに挙げているが、思い出は多いものの、気に入った写真が少ない事に気づかされている。どんなに撮りたい被写体でも、天候が思うようにいかなかったり、時間的制約があったりと、1枚の写真から色々湧き上がってきて懐かしい。そんな中からまた1枚掲載してみる。

アントンKには、20系客車というと、どうしても九州ブルトレ、それも「あさかぜ」のイメージが大きい。動くホテルと言われ、当時憧れの的になったのは、まさしく特急「あさかぜ」の20系客車ではなかったか。まだ「あさかぜ」がEF65P型時代、続けてやってくる「さくら」「みずほ」の14系寝台よりも、編成美が重厚であり、より深い歴史を感じたものだった。しかし、「あさかぜ」の20系にこだわったのもつかの間、後継の24系がデビューし機関車もEF65PF型へとスイッチされて、「あさかぜ」からは20系客車は撤退してしまい、かろうじて多客時に運転される「あさかぜ51号~52号」のみ20系が使用された。この臨時あさかぜには、後年までヘッドマークの装着はなく、一見20系使用のEF65PFの牽く団体列車に見えてしまい写欲が下がっていたが、当時1日限定で、ヘッドマークが付けられたことがあった。これは月刊誌の企画で、EF65PFの追跡ルポがあり、特別な計らいのもとヘッドマーク装着が許され実現した日があったのである。掲載写真はまさにその限定日、東京を目指す「あさかぜ52号」の晴れ姿。EF65PFと20系もベストマッチングに感じてしまう。

1984-08-11   8012ㇾ EF651100 あさかぜ52号  東海道本線:横浜付近


ある日の鉄道少年

2019-09-13 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

早朝から東京駅や上野駅を目指し、長距離列車の到着をホームで待つ。鉄道少年ならだれでも一度は経験があるのではないか。普段は本でしか見ることが出来ない、機関車や客車たち。お昼間、品川や尾久で止まっているのは、電車の中から覗き見た事はあるが、目の前で走っている姿を見てみたい。こんな動機が最初の気持ちだったのではないか。

上野駅は移動が大変だった。何しろ橋上ホームと地上ホームがあり、夜行列車が着くたびに行ったり来たり・・もちろんエスカレータなるものはあるはずもなく、ひたすら階段を上下した遠い日。時刻表から行動スケジュールをメモり、純粋な気持ちで列車に会いに行った。幼いかもしれないが、雑念などなく、単純だったアントンKが愛おしい。こうして昔の画像を掘り起こすことで、あの頃の気持ちが少しずつ蘇る。決して若返ることはないのだが・・・

東京駅12番線、13番線ホーム先端。早朝、ここへは言わずと知れた九州ブルトレが入線してくる。「出雲」「瀬戸」「あさかぜ」。全てはまだ20系客車の時代。ブルトレ黄金時代なのである。そんなこととは当時思いもせず、夢中で客車を見入っていたアントンK。もちろんEF65P型にはそれぞれヘッドマークが掲げられ、そのマッチした顔立ちに憧れた。機回しでその電機が客車から切り離され、美しいナハネフ22の前面が現れた。思わず見惚れたのは言うまでもない。

それにしても、今から思えば特急ホームらしからぬオンボロなホームだ。多分工事中か何かだと思われるが、現在の巨大ターミナルを思えばまさに隔世の感である。

1976-10-12    16ㇾ「瀬戸」&14ㇾ「あさかぜ1号」     東海道本線:東京駅


美しい編成美を放つ20系客車

2019-09-12 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

20系客車を続けて取り上げている。

ブルートレインの元祖である20系客車の何が好きかと改めて考えてみると、大きな窓に丸い高い屋根、バランスのとれたサイドシルエット、何とも軽々しい走行音など、個々に言えばキリがないくらいだが、一言で言えば「編成美」の優雅さということになるのか。ある程度の長編成で機関車に牽かれた時、まるでヨーロッパの古い客車を彷彿とさせるようなたたずまいに感じる。後継の14系24系もスタイルは受け継がれてはいるが、やはり洗練されたこのスタイルには敵わないのではないか。

ここでは、DD51が牽引している20系客車の姿を掲載してみる。わかとり国体が開催された1985年、その催しへと向かう夜行列車として運転された「北陸わかとり」号。カマ次位が珍しくナハネフ23の切妻が覗いている。晩年雨どいの下の白いラインが消されて2本線になってしまったが、やはり原色であるこの塗装がピカイチということがわかる。凸型とのコントラストもカッコいい。

1985-10-19 回9022ㇾ DD511026  20系7両  山陰本線:米子-伯耆大山


夢の組合せ「EF5861けん引20系客車」

2019-09-11 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

全国にある色々な機関車が、大好きな客車を牽いているところを撮影したい。こんな欲望が昔は写欲の中心にあったことが多かったアントンK。10系寝台客車に始まり、61系お座敷編成やグリーン車の編成。20系客車を始めとするブルートレイン用の客車編成。これらの気に入った客車たちが、全国各地に配置されている機関車にけん引されているシーンを撮影することだ。だから、常にその被写体は臨時列車とは限らず、定期列車でも、自分の好きな客車編成であればいつも注目していたのだ。

10系寝台車やお座敷編成は、今から考えると早々に引退して次のジョイフルトレインと呼ばれる客車たちにバトンを渡しているから、思うようには撮影は出来なかった現実がある。しかしアントンKの次なるターゲットは自然と20系客車へと移行していった。定期列車や多客臨をも含めて20系使用の列車も残存していた時代だったが、この後、老朽化のためか一部の団臨用を残して急速に消えてしまうことになるのだ。当時は20系使用列車と言えば、東海道線の急行「銀河」が代表格であり、宮原機関区のEF58  に牽かれて東上する列車はいつも魅力的だったが、とうとう東京区のEF5861がけん引した実績は無かったように思う。季節臨で保管された51号~52号にはよく姿を現したものだが、こちらは14系座席車であり、あまり面白みが無かったのである。こうなると、怖いもの見たさということは無いが、滅多に見られないロクイチ+20系という被写体を撮りたくなるのが鉄チャンの限りなき欲望というもの。そのチャンスを静かに待っていたことを思い出す。そしてついにその時が到来するのである。20系客車の疎開回送列車がEF5861けん引に抜擢され、いかにも泣き出しそうな空模様中、根府川を通過していった。確かに茶色いゴハチが20系を牽いてきたことは間違いないが、カマ次位のカニ21+カニ21が気に入らず、ドボンしたことをこの画像を見て鮮明に思い出してしまった。こんな小さなエピソードも、今となっては良き思い出に変わっている。

1982-11-16  回7111ㇾ  EF5861     20系10両    東海道本線:根府川にて