アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

20系を牽いたC571「やまぐち」号

2019-09-10 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

復活蒸機のパイオニアであるSL「やまぐち」号は、1979年にデビューしたから今年で40周年を向かえたことになるが、この間、国鉄が民営化され、そして全国に蒸機復活の狼煙が上がったのはご承知の通り。オリエント急行が来日した1988年にD51498が復活、北海道では函館山線に夢にまで見たC623が走り出した。ついこの間と思っていた磐西線のC57180でさえ、今年で20周年というから、本当に月日の経つのは早いものだ。

山口線に蒸機が復活するとの情報が飛び込んできた時、現役時代の蒸機を知らないアントンKは、とても複雑な心境になったことを思い出す。まだ鉄道写真そのものが駆け出しの時代で、諸先輩方から現役時代の蒸機撮影の話をたくさん聞かされていたが、ようやく自分も蒸機の撮影ができるという嬉しさに溢れたのである。ただ、なかなか気軽に遠征できる地ではなく、限られた機会でどこまで感じられるか不安に思ったこともあったのだ。今まで何度となく山口線への遠征は果たしたが、いつも感じることは、蒸機の撮影は、鉄道の中でも難しい被写体だということで、自分でどう撮るか、を明確にして挑まないと何とも中途半端に終わってしまう。一番手強い相手が蒸機ではないか、と思えてしまうのだ。それだけに、奥が深く求めるような画像が撮影出来た時の達成感は、何より大きいと言える。多々アイディアが浮かぶうちに腰を据えてじっくり撮影したいものだ。

ここでは、山口線に20系の団臨が入線した時の画像を掲載しておく。20系と言っても、当時は末期の時代にあたり、団体用のホリデーパルと名付けられた20系で、この頃外観こそ原型を保っているが、車内は改造されている。蒸機が20系を牽くと、現地に着くまで大そう興奮して向かった思い出があるが、ご覧の通り20系の4両編成では、あの往年の本線を闊歩した優雅な面持ちであるはずもなく、拍子抜けしてしまった思い出がこの画像から蘇ってくる。被写体としては希少ではあるが、求めるものではなかった典型的な例となった。

1984-07-31  9522ㇾ C571  20系ホリデーパル編成  山口線:津和野-船平山


ブルックナーよ、永遠に・・

2019-09-08 19:00:00 | 音楽/芸術

今月からいよいよ新シーズンが始まった新日本フィルの定期演奏会。同じプログラムを場所を変えて2回演奏するスタイルは今までと同じだ。注目している指揮者、演奏者が好きな楽曲を続けて2回も演奏するとなれば、何をおいても駆け付けたくなり、それがアントンKの生きている証となる。

今回は、シューベルトの第4交響曲、ブルックナーの第7交響曲というプログラムであり、シーズンを通して全曲を取り上げるというシューベルトと、シーズンごとに積み重ねているブルックナーという、今後のシーズンを占う上でも重要な演奏会だった。幸いにも2度足を運ぶことが出来たアントンKだが、総じて印象的だったことは、指揮者とオーケストラの幅が狭まり、意思疎通がさらにスムーズだったように感じられた。相変わらず、指揮者上岡敏之氏の求める音色は今までよりもさらに細かく、音楽の、いや小節の個々に至るまで緻密に表現されていて、我々聴き手側も油断は出来ない。それがシューベルトにおける速いパッセージであったり、やさしい歌であったり、ブルックナーにおける響きのバランス感覚であったりと、楽曲全てにおいて行き届いているのだ。

このブログでも、上岡氏のブルックナーについて何度も触れてきたが、今回は第7交響曲について書き留めておきたい。上岡氏のブルックナー演奏は、これまで第3、第6、第9と新日本フィル。第7をウッパタール響で聴くことが出来た。第4についてはCD録音のみで、これで実演では2度目の第7ということになる。これまで上岡氏のブルックナー演奏に接するにあたり、アントンKが感じたことは、楽曲を作曲の背景、その時代までをとことん読み込み、演奏に加味して自分流のスタイルを築き上げているということ。ブルックナーには多種の版が存在しているから、なおさら勉強を重ねてきたことがわかる。しかし、時に改訂版から付け加えて補強している演奏もあったが、ここまでやってしまうと、本質から離れていくように思えてならないのだ。長年好きで聴いてきたブルックナーだから、四の五の言わず好きには違いないが、演奏の優劣を考えると想いも変わってくるのである。

しかし今回の第7交響曲については、かなり伝統的な(この表現が正しいかどうかはわからないが)演奏スタイルになっていたと思われた。ハース版使用と、今回はプログラムに明記されていたが、実際はかなりノヴァーク版からの手入れが散見できたと思っている。それは、第1楽章のコーダの速度感であったり、アダージョ楽章の頂点でのティンパニの追加、そしてアダージョ終結部における弦楽器のピッチカートの位置。またフィナーレ主題のアコーギクなどが思い当たる。しかし今回の演奏においては、そんな細かいことは大して問題にならず、どこをとってもハーモニーの美しさやオケ声部のバランス感覚は、近年稀にみる響きだった。昔、チェリビダッケがこの第7をサントリーホールで演奏した時、オーケストラの各パートの響きが全て聴き取れ、絶句した想いを思い出してしまった。どんなに音楽が大きく膨れ上がっても、譜面の音符一つ一つが見渡せるような響きなのである。だから、そこここに新たな発見があり、新鮮さとともに深く音楽にのめり込むことが出来たのだった。ウッパタール響との演奏は、演奏時間が長かったことが話題にもなったが、今回は時空を超えた世界観を持ち、あっという間70分間だったのである。

新日本フィルの演奏者たちに目を移せば、いつものことながら木管楽器群は抒情的で素晴らしく、ブルックナーの素朴さが感じられ嬉しくなった。金管楽器に関しても、いつもは誇張を嫌う指揮者上岡氏だったが、アダージョ楽章の頂点までの登坂でのTpの表情や、フィナーレ楽章の第3主題のHrnの後拍による絶叫は印象的で、上岡氏の新たな気持ちを垣間見た気分だ。そして一番感動したのは、弦楽器群による意味のある主張で、これには毎度のことながら、コンサートマスターである崔文洙氏のご尽力の賜物に違いない。聴こえないくらいのピアニッシモから、弓を持つ手が速さで見えないくらいのトレモロまで、ダイナミックレンジの音幅は限界をゆうに超えている。しかもアダージョ楽章のテーマでは、すすり泣くような深い憂いに満ちた音色で聴衆に迫り、スケルツォでは、伴奏であるはずの弦楽器が、指揮者の要求通りに、あの下降音形をマルカートで明確に弾き切り、その立体感は未体験ゾーンだったのだ。この辺のコンマス崔氏の弾きっぷりは、感情をあらわにしてオケ全体をけん引していたのだった。大きな身体がエキサイトしてさらに艶っぽい音色が発せられる時、アントンKはいつも勇気を頂いているのである。演奏中、ほんの一瞬でもそんな場面に出くわしたのなら、アントンKにとって至福を味わえる一瞬になる。辛い事の方が多い日常で、その一瞬を思い出すことで、次に進めるような気がしているのだ。演奏を通して多々心を頂いている気持ちになるのである。

感動的な演奏にまだ心が興奮している。聴き終わっても、またすぐに聴きたくなるのがブルックナーの音楽だ。こんな素晴らしい音楽を届けてくれた尊敬すべきプレーヤー達に感謝したい。そしてブルックナーよ、永遠に・・・

新日本フィルハーモニー交響楽団 定演ジェイド

9月5日 サントリーホール

新日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会 サファイア

9月8日 横浜みなとみらいホール

シューベルト  交響曲第4番 ハ短調 D417「悲劇的」

ブルックナー  交響曲第7番 ホ長調 (ハース版)

指揮    上岡 敏之

コンマス  崔  文洙


飯田線を走った古典型電機たち

2019-09-07 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

以前、EF10型電機の撮影のため、飯田線を訪ねた時の記事は書いていると思うが、今度は飯田線でも北側を走っていたD級電機の撮影に出向いた時の画像を出しておく。もっとも、今見ても、全く納得できる写真がなく、投稿することをずっと躊躇していたものばかり。ただ撮影しただけのものなので、お目を汚すことをお許し願いたい。

北側の飯田線にも、今思えば結構な本数の貨物列車の設定があったと記憶している。稼働しているED19はすでになく、ED18が細々と動いていた時期だった。当然ながら、これら古典電機に変わるED62が改造を終えて(ED61からの改造)入線してきている訳で、当時は憎きED62と目の敵にしていたことを思い出す。掲載写真は、乗車中の165系電車の窓越しから、ユニットサッシを全開にして撮影した飯田線の電機たち。ED62には荷が無く単機のようだったので、運よく新旧電機の並びが撮影できた。南アルプスはガスに煙っているが、ローカル線を往くこういった小編成の貨物列車など、今では見られず、懐かしさがこみ上げてくる。

1976-07-21  287ㇾ  ED182     飯田線:七久保駅にて

 


番号マニアの多い「機関車ファン」~EF581

2019-09-06 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

機関車ファンには、番号にこだわりのあるファンが多いことに気が付く。これは、いつの時代も同じようで、人気のある番号は、ファン垂涎の的となっているのだ。一概に機関車の番号といっても、その番号によって形態が異なり、ゆえに人気がある車番や、単純にトップナンバー1号機だったり、901号機の試作機だったりと、ファンの興味は深く底なしなのである。

アントンKはと言えば、やはり機関車撮影時には、機番は気に掛ける方ではあるが、やはりそれも時代とともに、いや年齢とともに二の次になってきてしまった。昔は、どんなに悪条件でも撮影することに燃えていた時期もあったが、今ではそこまで無理はしたくない。気分の良い時に、良い条件で撮影できたらと、かなり緩くなってしまったのだ。現代では、撮影したい機番も簡単にSNSで捕まえられる時代だし、その気になれば収集は容易いはずだが、へそ曲がりのアントンKは、それではどうも面白くなく納得できない。今は、無我夢中で撮影に出ていた当時を懐かしんでいる方が幸せを感じてしまうのだ。

今回は、機関車番号の記事から、EF58のトップナンバーが牽く荷物列車の画像を掲載。お若い鉄道ファンの方々からすると、ゴハチのトップナンバーだなんて羨ましく思われるかもしれないが、当時は、浜松区の中でも最大公約数的扱いだった。ご覧のように、黒エッチゴム小窓化され、この形態のゴハチは、他にもうんといたから、偶然遭遇したからといって、あまり喜びなどは感じなかった思い出がある。

1983-01-15  荷32ㇾ  EF581      東海道本線:藤沢付近にて


孤高の指揮者 セルジュ・チェリビダッケ

2019-09-04 20:00:00 | 音楽/芸術

本日9月4日は、アントン・ブルックナー(1824-1896)の誕生日だ。それを祝って毎年オーストリア・リンツでは、この時期ブルックナー・フェスが開催されているようだ。ザンクト・フローリアンの教会での演奏会を中心に主要作品が演奏されることだろう。いつかアントンKのこの時期、旅してみたいが、現実的にそんなことは可能だろうか・・今はまだ夢のまた夢といったところ。実現に向けて日々精進していきたい。

現地に行かなくても、誕生日に合わせてかどうかは別として、この時期ブルックナーの演奏会が集中している。アントンKは、当然のことながら新日本フィルの第7交響曲へ足を運ぶが、音楽監督の上岡敏之氏も4年目に突入し、新たな発見を期待したいところ。今から楽しみで仕方がない。

今回の掲載写真は、大好きだったルーマニアの指揮者セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)の来日時のときのもの。彼もブルックナーの音楽を重要なレパートリーとして置いていた指揮者の一人なのである。日本にも昔からのチェリビダッケ・ファンは多いと聞いているが、アントンKも1970年代のFMラジオから流れてきた楽曲を聴いて、その演奏内容にくぎ付けになり、その演奏こそチェリビダッケの演奏だと後から解ったのが最初の出会いだった。それまで名前すら聞かなかったのは、レコード録音が少なく(実際には当時無いに等しい)、録音でも演奏そのものに触れる機会は、生演奏しかなかったのだ。このブログでも過去に何度か書いているが、初めて実演奏に触れた1986年の来日時のブルックナーの第5で、完全に彼の音楽の虜になってしまった。なぜチェリビダッケは録音を残さないのか、という命題が、実演奏を鑑賞することで少しわかった気がしたから、以後来日時には、どうしても都合をつけて会場まで足を運んだのだ。具体的には次の機会に譲るが、記憶がうる覚えになる前にに書き残すつもりでいる。

1993-04-26     東京池袋:芸術劇場にて