アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

鉄(くろがね)の鉄路、今日も行く

2019-10-21 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

台風による貨物列車の運休が続き心配だ。そんな心配をよそに、また週末にかけて新たな台風が接近していると聞く。いったい今年の秋はどうなってしまうのか。これも地球温暖化による要因の一つだとしたら、やはり将来への不安は拭い去れない。

天気が悪く、また次々と野暮用が重なり思うようにならず、何処か動く気になれないでいる。こんな時は、部屋に籠もり音楽に浸るに限るのだが、雑念が多く集中力に欠けるアントンKが露呈してしまう。まだまだ修行不足を感じる毎日だ。

昔に比較して近年よく出向くようになった川崎界隈。もちろんこの地域、昔から貨物列車の聖地とも言える地域であり、特に機関車ファンには目が離せないポイントとなっている。アントンKが出向くようになったのは、震災後の2012年頃から飛躍的に出向くようになった。それには色々思うことはあったが、一番の理由は良き仲間に出会えたことが上げられる。もちろん多々機関車には出会えて撮影ができるが、いつしか撮影することより、仲間内に会うことが目的になっていったのだ。仕事前の小1時間、あの充実した時間は、その日の英知となり励みとなった。

遥か昔に撮影した川崎界隈の貨物列車を掲載しておく。この時代、アントンKの中では、この地域はこの写真のようなイメージだった。黒く長い貨物列車が、引っ切り無しに行き来する鉄道の街。そんな印象だった。これは今も変わらないのかもしれない。

1978-09-26  5164ㇾ  EF1512             南武支線:川崎新町にて

 


山手貨物線~黄金時代

2019-10-19 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

台風19号の甚大なる被害は目を奪うばかりで心が痛む。1日でも早い日常が戻ることを祈り、被災された多くの方々にお見舞い申し上げたい。

鉄道も大きな被害を受け、貨物列車も未だに多くの列車に運休が続いている。首都圏では、武蔵野線が影響を受けているようで、南北に行き来する貨物列車が軒並み運休のようだが、ようやく少しずつ動きがあるようで、武蔵野線を通らず都心経由で貨物列車の迂回運転が始まったようである。震災時の迂回貨物は、まだ記憶に新しいが、物流の要は、やはり「鉄道輸送にあり」、ということに希望を持ちたい。

昔は近場の鉄道撮影として、よく山手貨物線の撮影を選んだ。現在の埼京線や湘南新宿ラインなどのように、かなりの頻度で貨物列車の設定があった。時より、団体列車を牽いてEF58も姿を見せていた時代だから、貨物列車の注目度は低かったが、目黒、渋谷、駒込など、撮影を楽しんだもの。今でもその景色は変わらないものか。一度訪ねてみたいものである。掲載写真は、そんな時代によく足を運んだ原宿付近の通称「城バック」。当時は、こんな線路端にお城のようなちょっと目立つ建物があり、バックにして狙ったもの。この666ㇾは、よく重連でやってきて気合が入った思い出がある。

1978-08-02   666ㇾ EF651081+EF1567     山手貨物線:原宿-渋谷

 


生きた時代は違っても・・・

2019-10-17 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

長年鉄道が好きで、今まで何かしら鉄道に関わって生きてきたアントンK。はっきりと意識し出したのは、1974~75年頃だから随分長い関わりとなった。その当時生まれた車両たちは、寿命が来て走っていない車両たちも多くなってきており、電車で言えば、183系・189系など、当時国鉄を代表する特急電車たちがそれに当たる。以後鉄道も国鉄が民営化され、また世の中も大きく変化したから、一個人の趣味そのものの存在感も変わったように思える。

アントンKの世代が、ぎりぎり国鉄蒸機世代であり、ゴーナナ、ゴハチ世代だとすれば、もうひと世代お若い世代は、EF65・EF66世代であることに気がつき、我々がゴハチを追いかけていた事と同じようなことがロクゴで行われていた。一回り二回り若い世代のファンと話す機会も幸い多いが、彼等との会話から、時代は繰り返すということをつくづく考えさせられるのだ。鉄道趣味は、時代を越えて世代の垣根をも越えて、心通わせることができる素晴らしい趣味だと思うが、今後もずっと末永く続いていって欲しいと心から願いたい。アントンKの周りの若者を見る限り、継続は必然と思えるが、時代に流されることなく、鉄道を愛するという炎は消さないで欲しい。

あまり文脈とは繋がらないが、EF65F型の貨物列車。アントンKもロクゴのF型は好きだが、今にして思えばJR化後P型とともに一緒にされ、更新色に変わり出してからは興味が半減してしまった。また試験塗装など民営化後の変化に減滅したことも一時的に気持ちを割いたといって良い。

1986-10-19      EF65519     東海道本線:真鶴付近

 


上信デキ~魅惑の団臨仕業

2019-10-15 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

時刻表には載っていない列車、団体臨時あるいは、集約臨などの列車たちの魅力は、普段は走らない線区に入線し、いつもとは違う光景を味わい楽しめることだろう。それが客車列車であるとなおさら魅力的に感じ、その土地の機関車との組み合わせが楽しみになる。前出のような磐越西線なら、当たり前のようにED77が牽引し目的地を目指し、非電化区間ならディーゼル機関車の登場となるのだ。

現代に置き換えれば、この手の客車列車は無いも同然だから、機関車との組み合わせを楽しむことは出来なくなり寂しい限り。今言うところの「ネタ列車」に当たるのだと思うが、最近では、こうした旅客の臨時が消滅した代わりに、工臨や甲種回送などの列車がターゲットになってるのだろう。珍しい列車好きなファンも多いと思うが、日常の光景があっての珍列車であることを忘れてはいけない。アントンKも当時から、こういった珍しい列車も好んでいたが、趣味を重ねるうちに鉄道の持つ本来の姿や情景の方が心に突き刺さることに気づいた。何の変哲もない普通の光景こそ、画像の中に想いが宿る気がしてならないのだ。

朝から悪天候にたたられ、意気消沈したものの、予定通りカメラを向けて撮影したお座敷列車。これは、高崎区の「やすらぎ」編成だが、この日は上信電鉄内まで乗り入れてから、高崎線を上っていった。地元の客車とは言え、上信電鉄にお座敷列車が入線するのは当時珍しく、雨に濡れながらシャッターを切ったことを思い出している。有効長の関係からか、6両編成の「やすらぎ」は、4両で切られているが、この後高崎から増結して走っているはずだ。こんな悪条件だが、やはり凸型デキの重連けん引は魅力的。もっとしっかり撮影したかった。

1992-07-14  6714ㇾ  デキ重連  上信電鉄:根小屋-南高崎にて

 


磐越西線ED77の臨時仕業

2019-10-14 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

JR化からすでに30年以上の年月が経ち、国鉄時代の車両は、私鉄電車も含めてかなり限定的に成ってきた。今まで当たり前に思っていた光景が、世代交代しているケースが増えていて、自分自身が取り残されていることに気がついている。アントンKの中では、通勤電車と言ったら101系、103系が思い浮かぶが、こんな電車たちも地方で細々と余生を送っている時代で、あれだけ首都圏を闊歩していた車両が過去帳入りしている。そんな思いは今後も続き、それも加速度を増して速くなっていくのだろう。

現在、現役の交流電機と言えば、ED75とED76の2形式のみという寂しさ。ナナゴは、旅客会社の数両が思い浮かぶが、どれも700番台のナナゴでも後期型の機体でアントンKにとっては魅力は薄い。また、九州でとりあえず稼働しているナナロクについても、綺麗な車体からは程遠く、あまり写欲が沸かないでいるのが正直なところだ。選り好み出来る時代ではないことは、十分理解しているつもりだが、自分の中では、過去の撮影記録と照らし合わせてみて、また撮り直すほどの魅力が沸いていないのが現状の気持ちだ。機会があればとか、旅行の次いでとか、あまり積極的なことが出来ないのが情けないところ。

ちょっと前までは、交流機といっても、線区ごとに使用が別れていて、それぞれ特徴があり趣味的見地からも魅力に富んでいたと思う。今回は、交流機の中でも比較的地味に一生を終えていったED77という交流電機。線路の規格の低い線区に入線できるように中間台車を入れて、ED75よりは少しだけ車体が長かった。磐越西線専用で使われて、日常は普通客車列車や重連の貨物列車でその姿を見ることが出来た。今でこそ蒸機が走り、全国的にも磐越西線は有名になったが、当時は観光地こそ点在しているものの、鉄道ファンの姿はあまりお目にかかったことはなかったように思う。80年代初め、アントンKはED71を狙いに福島へ行くことが増えていったが、その流れでED77や板谷のED78にも興味が移っていった。ジョイフルトレインが全盛の時代を迎え、ED77やED78の牽く列車を全て撮影しようと、目標を立てたことも遠い思い出となってしまった。

掲載写真は、そんな中から水戸のお座敷を牽くED77の晴れ姿を掲載。残念ながら天気は下り坂で曇天となったが、当時気に入っていた水戸のお座敷列車の先頭に立つED77は誇らしく見え、今でもこの光景が目に焼き付いている。

1989-11-17 9229ㇾ ED7710   水戸車「ふれあい」 JR東日本/磐越西線:更科信号所付近