アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

身近な行楽列車だった特快「おくたま」~101系電車

2020-10-15 21:00:00 | 国鉄時代(カラー)

東京は秋の長雨とでもいうような、ドンよりとした日が続いている。週末にかけて気温も一段と下がり秋が深まるとか。1年を通じて何をするのにも一番良い季節だというのに、今年は何もかも思うようにならず宜しくないこと。もうそろそろこの時期らしい高い空を見てみたいものだ。

今回は、昔この季節になると運転されていた、青梅線へ直通する行楽用の特別快速列車。週末を中心に午前中に下り、夕方に上ってくる臨時列車だが、こんな列車を狙いによく出向いたものだった。もっともこの時代は、模型が主体の活動で、写真は次いでの産物。撮影した画像も情けないものが多い。ここでは、敢えてアントンK自身思い出のポイントである、三鷹付近の画像を掲載しておく。ちょうどよく通っていた「トリオ商会」という模型店がほど近くにある場所だ。もちろん当時の特快は、オレンジの101系電車。写真のクモハ100には、何とパンタグラフがPS13が装着されているようだ。おそらく変わり果てている現地を訪れてみるのも面白いことかもしれない。また新たな発見を探しに行ってみようと思う。

1975-11-08  883H    特快「おくたま」 Mc100-10     中央東線:三鷹付近


東北線の原風景~485系「はつかり」

2020-10-14 19:00:36 | 国鉄時代(カラー)

昔から上野駅を「北の玄関口」と呼んでいたが、現在はこんな呼び方は残っているのだろうか。新幹線もかろうじて上野駅には停車するが、東京駅まで直通されて便利にはなったが、昔味わい感じたような、北へ向かうあの独特の雰囲気、耳をすませばお国言葉があちこちから聞こえてきそうな、情感のある趣は消え失せてしまった。

今回は前出よりさらに古く、東北新幹線の工事すら始まっていない時代の福島駅のスナップから掲載。アントンKの東北地方の駅のイメージは、この写真でわかる通り低いホームだった。客車列車の乗降は大変で、ステップから飛び降りるような感じで、最初は驚嘆した思い出がある。この時代、特急電車全盛時代にあたり、次々とやってくる列車を見ては、熱い視線を送っていたはず。東北津々浦々隈なく走破する特急列車を頼もしく思ったものだ。

写真は、青森行きの特急「はつかり1号」。上野から乗車して、ここ福島で降り立ち、発車していく後ろ姿を撮影したもの。ヤードには、当時の主ED71が退避して出発を待っている。またホームでワゴンから販売する売り子さんの姿も懐かしく思える。お弁当のお供のプラ容器に入ったお茶や、冷凍ミカンは絶滅してしまったのだろうか・・・こんな写真から、詰まらないことだが意外に重要な忘れかけた原風景が蘇ってくる。

1974-12-31  21M はつかり1号     東北本線:福島駅にて


深い渓谷を渡る181系「とき」

2020-10-13 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

上野から直通の水上行きに乗り、丸1日かけて列車に揺られたことが何回かある。そんなプチ旅の道中を記録した画像が結構出てきた。かなり記憶もおぼろげと成り、曖昧なことも多いが、同行してくれた友人も近年では年賀状だけのやり取りになり、いささか切ない想いを感じてしまう。高崎線から上越線に入り、渋川を過ぎる頃、いよいよ線路は高度を上げていく。勾配こそ10‰そこそこだが、確実に山が近づき、MT54も本領発揮とばかり、一段と唸りをあげてくるのだ。いくつかトンネルを抜け、突然トンネルから出た直後、深い渓谷をアンダークロスの橋で渡る区間があるが、この辺りの美しい景観に魅了され、一度現場に立ちたいと思ったもの。そして掲載写真は、それから何度か乗り鉄を楽しんだ後、実際にポイントに立った時の画像だ。

想いを馳せ、気合を入れて現地に向かった割には、大したポイントではなくどこか悔しかった当時の思いはすでに消えてしまった。写真は未熟だが、白地図を買い、距離を測って念入りに計画した若き日の思い出は、不思議と鮮明で、こんな画像からでも浮き上がってくるのだ。そこには、今の心では決して撮影出来ない、純粋で無垢な「撮りたい」という想いの糧が表れている写真に思えてならないのだ。

1975-12-24  2005M とき  Tc181-105  上越線:津久田-岩本


生い茂る雑草に泣いた撮影行き~EF58

2020-10-12 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

前出掲載したゴーナナ撮影のために、初めて訪れた東北線と同じ日。この時は、何も解らず東大宮から徒歩で撮影地を目指していた。詳細な記憶はないが、残されたネガをたどっていくと、順番に北へと上っていることが解るのだ。

今回は、時系列でいうと時間が遡り、朝方の上り荷物列車を掲載しておこう。見ての通りの状況。当時、いくら鉄道撮影初心者と言えども、この線路端にうっそうと生い茂る雑草だけは頂けないことは、即座に理解できた。機関車の番号にこだわり、よりキッチリ正確に綺麗に撮影するためには、足元にある厄介物は、雑草であろうともNG。大事な被写体である車両の足回りが綺麗に写らなくなるからだ。この日は、初東北線にもかかわらず、大きな試練を迎えてしまったのだった。この角度での撮影は早々で切り上げ、その後はより線路端に寄った構図での画像が残っている。

この画像から、未だに蘇る嫌な思い出を葬るために敢えて載せておく。手前の草の前ボケもイマイチ意味がなく中途半端。蒸し暑い日和だったことは思い出せるが、現代の暑さの比ではなかったろう。そんな中、一体型ヒサシの付いた大窓のEF5865号機が築堤に登場。しかしゴーナナ狙いの身では、たとえ大窓機とは言え、何も感じていなかったように思える。この後、あのゴハチブームが到来するなんて、知る由もなかったのだ。

1975-08-06 荷46ㇾ  EF58 65    東北本線:蓮田-東大宮


昭和枯れすすき・・憧れの信越ローカル80系

2020-10-11 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

車両ばかり大きく撮影しようと、躍起になった学生時代、そんなコマばかりの間に突然現れる記憶から逸脱してしまった画像の数々。これだけ時間が経ってしまうと、写っているもの全てが懐かしく感じられるのはアントンKだけか・・キオスクの前に積まれた駅弁や、優等列車の乗車位置を示す紐で吊るされた札、それにホームに置かれた大きな灰皿などは、今の駅構内風景から消え去った物と言えるだろうか。見なければそのまま忘れてしまった日常風景だった。

夏休みの昼下がり、高崎駅上りホーム。対岸のホームには、信越ローカルの80系電車が発車時刻を待っている。80系でも全金車である300番台車ではあるものの、どの窓も大きく開けられて、乗客たちはしばしの列車旅を味わうのだろうか。このまま碓氷を越えて長野へ向かう列車かと思うだけで、当時は羨ましい事しきりだったはず。アントンKには、とうとう80系電車碓氷越えは、果たせぬ夢と消えている。何気ない日常の光景が、未来への最高のご馳走となる。見るもの聴くもの、感じなくなったら人生の終着駅は近い。

1974-08   80系電車     信越本線:高崎駅にて