2006年10月21日公開
いつもの地下鉄を降りるとそこは昭和39年の東京だった。
「お母さんの幸せと、私の愛した人の幸せを、秤にかけてもいいですか。」
浅田次郎の同名小説の映画化。長い間、父と疎遠だった息子・真次(堤真一)はある日“地下鉄”で過去へタイムスリップし、若き日の父に出会う。恋人みち子(岡本綾)も同様に過去を遡るのだが・・。それは反目を続けてきた父の真実を知り、恋人みち子との関係に切ない終わりを迎える旅でもあった。
うーーん
「三丁目の夕日」の世界を期待して観ると
ノスタルジーを誘うほのぼのした人情話じゃないことは確か。
戦後のオリンピック景気に湧く東京だけでなく、戦後まもなくの混乱の時代や戦時下の東京など、時代が行ったり来たりで、ややわかりにくいところも。
我儘で自分のことしか考えていないと信じていた父親の過去を知ることで、頑なだった真次の心が溶けて行く、そのことは素直に共感出来るのだが、恋人(というより、はっきりいって愛人という存在なのだが)に関わるエピソード自体は奇をてらったように感じられて、いささか興冷めしてしまった。
二人の関係自体、早くから想像がつくので、終盤の酒場でのシーンも特に驚愕もせず、その前に出てくる二人の交歓シーンも「拙いんじゃないのぉ」と
大体、タイムスリップにおける基本原則、無視しまくり
一人ならず二人までもが同じ時間軸に存在し、過去は大幅に変えちゃうわ、一人だけ記憶は残ってるわで疑問が頭の中でマラソン状態。
シーンの変わり目に地下鉄の運転席から見る?線路がジェットコースターのようなスピード感で映されるのが、これまた酔いそうになって気持ち悪かった。
原作との違いがどの程度あるのかは読んでないのでわからないが、おそらく本の方がより感動出来たのだろうと想像。
堤真一演じる真次は、飄々としてコミカルな面もあり、それなりに楽しかったのだが、そういう人物が、家庭の外に愛を求める動機が逆によくわからなかった。
つまらないわけではないが、好みの内容ではなかった分、私的に点数低くなった
いつもの地下鉄を降りるとそこは昭和39年の東京だった。
「お母さんの幸せと、私の愛した人の幸せを、秤にかけてもいいですか。」
浅田次郎の同名小説の映画化。長い間、父と疎遠だった息子・真次(堤真一)はある日“地下鉄”で過去へタイムスリップし、若き日の父に出会う。恋人みち子(岡本綾)も同様に過去を遡るのだが・・。それは反目を続けてきた父の真実を知り、恋人みち子との関係に切ない終わりを迎える旅でもあった。
うーーん


ノスタルジーを誘うほのぼのした人情話じゃないことは確か。
戦後のオリンピック景気に湧く東京だけでなく、戦後まもなくの混乱の時代や戦時下の東京など、時代が行ったり来たりで、ややわかりにくいところも。
我儘で自分のことしか考えていないと信じていた父親の過去を知ることで、頑なだった真次の心が溶けて行く、そのことは素直に共感出来るのだが、恋人(というより、はっきりいって愛人という存在なのだが)に関わるエピソード自体は奇をてらったように感じられて、いささか興冷めしてしまった。
二人の関係自体、早くから想像がつくので、終盤の酒場でのシーンも特に驚愕もせず、その前に出てくる二人の交歓シーンも「拙いんじゃないのぉ」と

大体、タイムスリップにおける基本原則、無視しまくり

一人ならず二人までもが同じ時間軸に存在し、過去は大幅に変えちゃうわ、一人だけ記憶は残ってるわで疑問が頭の中でマラソン状態。
シーンの変わり目に地下鉄の運転席から見る?線路がジェットコースターのようなスピード感で映されるのが、これまた酔いそうになって気持ち悪かった。
原作との違いがどの程度あるのかは読んでないのでわからないが、おそらく本の方がより感動出来たのだろうと想像。
堤真一演じる真次は、飄々としてコミカルな面もあり、それなりに楽しかったのだが、そういう人物が、家庭の外に愛を求める動機が逆によくわからなかった。
つまらないわけではないが、好みの内容ではなかった分、私的に点数低くなった
