杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

希望の糸

2022年09月13日 | 

東野圭吾(著) 講談社(発行)

「死んだ人のことなんか知らない。あたしは、誰かの代わりに生まれてきたんじゃない」ある殺人事件で絡み合う、容疑者そして若き刑事の苦悩。どうしたら、本当の家族になれるのだろうか。閑静な住宅街で小さな喫茶店を営む女性が殺された。捜査線上に浮上した常連客だったひとりの男性。災害で二人の子供を失った彼は、深い悩みを抱えていた。容疑者たちの複雑な運命に、若き刑事が挑む。(内容紹介より)

 

殺人事件を追う刑事ものではありますが、犯人逮捕に主眼を置かず、事件を通して「家族」を問いかける作品でした。

お馴染みの加賀恭一郎も登場しますが、本作は彼の従弟の松宮脩平が主人公です。

最初に登場するのは汐見行伸と怜子の夫婦。小学生の娘・絵麻と息子・尚人の二人だけで新潟県長岡市の妻の実家に行かせた時、新潟中越地震が起き、倒壊した建物の下敷きになって二人とも死亡してしまいます。生き甲斐を喪った夫婦はもう一度子供を作ることで立ち直ろうとします。高齢のため不妊治療を経て妊娠します。ここまでがプロローグ。

16年後。金沢の老舗料亭旅館『たつ芳』の女将の芳原亜矢子は、医師から緩和病棟に入院中の末期癌の父・真次の死期が近いことを告げられます。更に父の友人でもある弁護士の脇坂から、父が遺言状を作成していると言われ、勧められて目を通した遺言状の最後の一文に衝撃を受けます。そこには父と松宮克子との間に生まれた子・松宮脩平を認知すると書かれていたのです。寝耳に水の亜矢子は、まずは脩平に連絡を取ろうと動きます。

そして事件が起こります。自由が丘のカフェ『弥生茶屋』のオーナーの花塚弥生が殺害され、刑事である松宮脩平も捜査に加わります。

そんな最中、彼は亜矢子から遺言状のことを聞かされます。母の克子に聞くと知っているけれど教えたくないと拒否された脩平は、上京してきた亜矢子と直接会って話を聞きます。彼は母から父親は家庭のある人で、勤めていた料理店が火事になって死亡したと聞かされていました。亜矢子の話では、真次は旅館を継ぐために東京に料理修行に出ていたが、妻の正美が交通事故に遭ったため旅館に戻って後を継いだとのことで、東京で克子と出会って関係を持ったと考えても矛盾しません。真次に会って欲しいといわれますが、実感のわかない脩平は保留にします。

亜矢子自身も父の人となりを考えると、信じられない思いでしたが、修平が若い頃の父にそっくりな容姿と仕草を見て納得するんですね。彼の職業が刑事というのも人柄を推し量る上でプラスに働いていると思われますが、基本的に善人なんだろうなぁと

事件の方は・・・スマホ通話履歴から弥生の元夫・綿貫哲彦が浮かびます。彼は中屋多由子と事実婚をしていました。綿貫は弥生に呼び出されて一週間前に十年ぶりに会ったが世間話で終わったと言います。嘘くさい!

もう一人、弥生のカフェの常連の汐見行伸(プロローグに登場した人物)の元に事情を聞きに行った脩平は、複雑な家庭事情に気付きます。

あの時生まれた娘の萌奈は十四歳になっていましたが、怜子は白血病で二年前に亡くなっており、行伸の想いを重圧に感じる萌奈は、「私は亡くなった姉兄や母の身代わりじゃない」と感情を爆発させ、以来親子関係は最悪で夕飯も別々にとっていました。

ここまで読んで、容疑者として浮かび上がった二人のどちらが犯人か?と思ってしまったけれど、意外な犯人が「自分が殺しました」と告白します。所謂犯人当てが主眼じゃないのね。

そしてここからは、何故犯人は弥生を殺してしまったのか。弥生が元夫に話したことは何だったのか。彼女は何故ジムやエステに通い始めたのか。など残された謎を解く方にシフトしていきます。

女性が綺麗になりたいと思うのは普通に考えたら恋愛が絡んでいますが、動機が分かった時点で「なるほど」と納得してしまいました。弥生という女性は誰に聞いても悪く言う人がいない好人物でしたが、その口癖の「素敵な巡り会い」という言葉を犯人が誤解したことが悲劇を生んだのです。そして誤解の理由も犯人の過去の苦しみに起因していました。(ほんと男運の無い人だ

真実に気付いてしまった修平は、関係者のために口を噤もうとしますが、その当事者である汐見が娘に事実を告白します。告げる方も勇気を振り絞りましたが、受け取めた娘も立派!彼女が一番欲しかったのは父が自分に向ける愛情だったというのが泣かせます。

綿貫(元)夫婦と汐見夫婦の接点が不妊治療にあったことがわかった時点で、おおよその真相が見えてきます。誰一人悪くないのに、運命の歯車が狂って多くの不幸が生まれてしまったわけです。 関係者は皆子供の幸せだけを願っています。生まれてきたことを後悔しないように、幸せになって欲しいというただ一つの願いです。

一方、修平の父と亜矢子の母についても新たな事実が判明します。正美は親友の女性と結婚以前から恋愛関係にあり、それに気づいた親友の夫が無理心中を図ったかもしれないこと、真次も妻の性癖に気付いていたことなどです。全てを承知で修平の母は真次と関係を持ち、別れた後で修平を身籠っていることに気付き、知らせることなく一人で産んで育てたのでした。そして真次の方も息子の存在に気付いて修平が中学の頃に会いにいっていたのです。そして死後認知という方法を考えたわけです。これも親の愛ですね。

事件が全て解決し、加賀に背中を押されて修平は真次に会いに行きます。

娘が母の若い頃とうり二つだったり、息子と父のスポーツの趣味が同じだったり・・親子あるあるをさりげなくぶっこんでいるので、「それ本当?」とは思わずに自然に納得できるよう描写されていました。

作者の書く物語は、単純な悪人は登場しないことが多くて、どこか哀しさを秘めた犯人とか被害者として描かれ、読後にしみじみとした余韻が残ることが多いように感じますが、本作の場合、悲しみではなく希望が感じられるような結末でした。 まさに「希望の糸」です。


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