「別れ」の歌が多かったように
思うフォークソング
歌謡曲も演歌も別れの歌というのが
人の心に入り込むことが
早いからなのか…
別れを経験してない
かくゆう僕もそのうち
オリジナルの歌を作るようになったころ、それは一種の別れ方の憧れ、
別れを美しいものと
幻影を抱いていたものだった。
四人目のかぐや姫と言われた
喜多條忠さん
「神田川」の作詞者
四畳半フォークの代名詞となった
その歌は
別れの予感を察知した女性の健気さを絶妙に表していた。
喜多條忠さんの歌の世界は
女性目線
男性目線
と風合いが違う。
「この秋に」は
男性目線からの詩である。
何故かしんみりしたくなる秋、
秋の夜長に聴きたい歌でもある。
♫君と別れて3度目の秋…
どっぷりと歌い出しの世界から
歌の内容へ気持ちが入り込んでいく。
別れてもいないし、3度目の秋も迎えた、ためしもなく
それでも
(わかるわぁ〜)と思わせる擬似体験的別れ懐古。
♫ほんの 些細な出来事なのに…
それは男が思うところの
ほんの些細な出来事だったのか?
では?女性からみて些細だったのか?
♫傷つけあって別れた二人
心のどこかで サヨナラ言って…
些細な出来事でも傷つけあって別れてしまうほど
繊細な付き合いの中での
出来事が別れをもたらせて
しまった。
あの時代
同棲という形をとった若者は
その同棲という文化の中に
現実が見えて来たとき、
どちらかが
現実を理解し、
見えてしまった時
その形が崩れ去り、
別れへと繋がる。
この秋に
登場する女性は
薄幸な女性なようで
支えてなければ生きていけない
ことはわかっていたのだが
その支えになろうとしていた
男だったはずなのに…
些細な出来事ゆえ…
あの子はこないだ
ひとりで死んだ
淡々と人の死を告げる
歌。
その死は
物悲しく ひとりきりで死んでいく
絶望感をぶつけられる
そのままでは
あまりにも 重く辛い
この秋…となりそうだが
最後のフレーズで救われた
♪この秋 僕には子供ができる
あの子は亡くなったけれど
僕には子供が生まれてきてくれる
あの子の命が巡ってきたかのように
希望的に終わっていく「この秋に」
静かに
淡々と
始まり
静かに
終わっていく
この歌。
多感な時期に聞いた
フォークソングとはいえ
何か人の死と、生を考えさせて
くれた歌のように思う。
「神田川」がヒットする前でした。
僕にとってかぐや姫の原点はこのアルバムですね。
「この秋に」好きな歌の1曲です。
リアル感はなかったですが登場する女性像、男性像なんかを自分の想像フィルターをかけて聴き込んでました。あんな感じこんな感じなんて…わかったような風に😆
赤ちょうちん
女の悲しいずるさがとてもよく分かります。
擬似体験って感じわかります。
私も高校生の頃?22歳の別れを聞いて、大学卒業する時ってそれまでの彼とは別れるんだって刷り込まれてました笑