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夢をあきらめないで 岡村孝子

2021-01-14 18:45:00 | 僕の音楽日記


夢をあきらめないで
いい歌で好きなんだけど
岡村孝子さんの歌は綺麗すぎて
僕のような
汚れた偏屈な男には少々
くすぐったく
おまけに女々しくもある
自分に
キラキラと眩しいくらいの
綺麗なメロディラインと
整えすぎてる歌詞が
痛く突き刺さる。

「夢をあきらめないで」と
言われるタイミングは…
あると思う。

この歌のヒットしていた頃はまだ
「夢」らしきものはいくつか
あった僕だ。

袂を分けたアイツとも
袂を分けた理由のひとつに
もう、「夢」みたいな事を
追いかけるのも語るのも
やめようと思ったのも
一つだ

逆に言えば
「夢」を追いかけて
「夢」みたいなことを
言い合ってた時は
多分心地よい時間だったのだろう

人は夢を食べながら
生きているのだから

その夢も賞味期限が切れかかって
もはや、追いかけるに
値しない「夢」となっていったなら
奴との時間も虚しい限りにならざる
おえない

「夢」があったからこそ
「夢」を追いかけていたからこそ
その心地よい時間をもって
生きてゆくのが
楽しい、楽しみだったからこそ
続いた関係も、
奴と奴を取り巻く友人たちとの
イザコザの仲介役も
僕は苦もなく買ってでていた。
すべてが「夢」のために
丸く治れば
間に挟まれての苦労も
嫌な気持ちなく
こなせていけた。

♫いつかは皆 旅立つ
それぞれの道を歩いてゆく〜

そう歌っているように…
でも
♫あなたの夢をあきらめないで

と言われても

もう、それは…
無理な事なんだと
修正も 変更もできない
積み上げてきた
時間と歴史の中で
僕たちは
今更ながら
「夢」を「ゆめ」として気づくのが
遅すぎたのかもしれなかった。

綺麗事、建て前の言葉で
「夢をあきらめないで」と
勇気つけられ
励まされるのは
いささか 遅すぎたし、
的外れな感じになっている

叶えられそうな「夢」には
「あきらめないで!」は
有効であっても
僕らのそれには
絵空事の戯言の夢なのだから

さりとて、そんな「夢」であっても
持たない夢より、
そんな夢でも持っていた時は
生きる、ハリのある人生の動力にも、エンジンにもなっていたのだ。

今更ながら…
そんな
「夢」もあったなぁ
という程度で
旅立つというカッコいい
カタチで次の夢でも
探しに
ぼちぼちと…





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