明日の葉っぱ(8×8)=69

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うちのお父さん かぐや姫

2020-01-24 21:32:00 | 僕の音楽日記
1978年5月から
かぐや姫は再結成し、全国
縦断コンサートを行った。

これがはじめてのコンサート体験だった。

この時一緒に行った仲間
とはじめギターをやり始めたんだ

何人だったか?四人いたのかな?

ギター持ち寄り
かぐや姫のコピーバンドを組もうと
ちょうど
「かぐや姫 今日」
のコンサートの影響もあって

テンションあがってねぇ〜


同級生なのに
親分肌のBくん
彼のリーダーシップで
僕と
K池くん
T沢くん
そして僕と
でその後ベース買ったりして
本格的にやろうと相談してた。

でもね
Bくんはさぁ
少し不良でさぁ

僕たちの前では
愛想がよくてそんな感じないのに

喧嘩したり、少しヤンチャしてた。


で、自宅謹慎になって、

ギターをやることが
ちょっと僕たちは
引け目を感じる雰囲気になっちゃって…

一旦僕たちの中で火がついた
エモーションは
抑えきれない衝動となり
自己表現の場を持ちたくて
走り出した思いを継続して
いきたいと思っていた。
だけどBくんとは
一緒に時間が取れなくなってしまっていた。


もともと僕とK池くんとは
水泳部で一緒で
Bくんとは
クラスもクラブも違うのに、
なんで知り合ったのか?ひょんなことから仲良くなって
夏休みも海の家の保養所で泊まりに行ったり良くしてくれて…

ギターを夜中どんちゃん弾いて
遊んだり、仲良くしてくれてたんだ。
そんな

僕たちの初めて
みんなで演奏したのが

「うちのお父さん」だったんだなぁ

ノリのいい曲で
ジャパニーズレゲエみたい感じで


四人が一斉に
ギターでこの曲を弾く

なんとも気ぜわしい感じの曲だから
覚えたて頃の
ギター弾きには
騒がしい勢いだけの曲だったなぁ


それでも楽しかった。

ただ僕たちはボーカルが決まって無かったし
これから、…という矢先に
Bくんとのギターグループ活動が
頓挫してしまった。


そこで僕とK池くんは

中学生3年で僕と同じクラスの
Kくんもギターをやってる
という情報を聞いて
そっちに合流する事となった。

もともと僕とK池くんとの二人は
べったりな仲の良さでは無かったけど
信頼感を持ち寄り
一緒に行動した二人だったから
僕のKくんとの合流の誘いも
すんなりOKしてくれた。

三人でのアコースティックバンドの誕生までの流れはこんな感じだった。

母体をもたずに
動き出したはじめのBくんのところから離れて
Kくんと合流したことで

僕たちは本格的にコピーをし、
また、オリジナル曲を作っていく
そんな楽しみを創造していく
学生時代の
打ち込めるものを手に入れた。


「うちのお父さん」も
ベースを入れて
三人で演奏、コピーした。
コーラスもつけて
なかなか
演ってて楽しい楽曲だった。

そして「妹」へと
本格的なコピーは進んでいった。


あの頃の情景、あの頃の一生懸命さ
あの頃の僕たち
あの頃の天気
あの頃の服装
あの頃のギター

曲調のノリだけで歌ってた
「うちのお父さん」

なんか
シマラナイ詩だなぁと
今思えば…
少し恥ずかしい感じ。

とても若者が歌うには
カッコイイとは言えない歌だった。





汗をかいたので 一休み
マキ割りは疲れますね お父さん
もうすぐ日が暮れる カラスが飛んでゆく
一番星光るまで もうひとガンバリ

汗をふいてお茶を飲んで
腰を伸ばせばお父さん
ニッコリ笑う ニッコリ笑う
明日天気になあれ

今日は渡辺さんの 結婚式で
うちのお父さんが仲人で
めでたい めでたい 鯛のお頭付
酒は飲め飲め 花嫁さん

ひざをくずしお皿たたいて
歌をうなればお父さん
ニッコリ笑う ニッコリ笑う
明日天気になあれ

セーター姿が似合います
たまにはオシャレしたら お父さん
今度お母さんが 街に出る時に
真赤な蝶ネクタイを 買ってもらったら

※春になれば さがり梅の
花が咲きます お父さん
ニッコリ笑う ニッコリ笑う
明日天気になあれ※








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