拓郎さんのラジオで
アルバム曲を流して
いたのは知っていた。
でも
手元にアルバムが来てから
じっくり聴こうと
僕は一切耳にしなかった。
拓郎さんを聴き始めてから
48年
始まりがあれば…
終わりがあったなんて
でもこれは凄い事なんだと思う
例えば
僕自身が拓郎さんより
先にこの世からいなくなってたら
拓郎さんのラストアルバムまで辿り着けずにいたのだろうし
また逆に拓郎さんがなんらかで
リタイアしてラストアルバムとして
の作品として残す
方法をとられずに
消えていたら
それもまた、悲しいことで
奇跡というのは条件が揃わないと
体験できないことでもあるわけだ。
当たり前だけど
当たり前じゃなかった
吉田拓郎さんを初めて
耳にした時は
なんて雄々しく勇ましく
カッコいいと引き込まれた
そして悲しい歌を悲しいと歌うところに人の喜怒哀楽を
言葉とメロディーでこんなに伝えてくれる
アーティストがいるのか!
とのめり込むように
拓郎さんの虜になっていった。
音楽への傾倒は
吉田拓郎さんを知ってから
一気に深さを極めた。
あの時も聴き始めた時の20代の
拓郎さんも「今」を
歌っていた
もがいていた
常に戦っていた
無理矢理にでも
こじ開けなければ開かない
扉を開ける事に先頭になって
突き進んでいた。
傷つきながら
身を擦り切らせ
「愛」を手に入れるため
今回の作品
そしてDVDに
拓郎さん自ら
「愛」を手に入れるために苦労し、
そして今手に入れたと
おっしゃっていた。
回り道をたくさんしましたね
お疲れ様でした。
そう思ったら
涙が溢れて
そしてDVDでつま恋の地で
女優の奈緒さんに
時計をプレゼントする場面にまた
涙。
それは形見のように手渡される時計
父親と娘
いや、孫といっても
おかしくない
そんな世代間ギャップはあるのに
そこには
音楽で繋がった
縁のもと、気負いもてらいもない
自然体な拓郎さんと奈緒さん
篠原ともえさんが
いた。
自然の風と光の中で
この場面が訪れることを計算されていたかのように
素敵な縁は続いていたんですね
ここには(つま恋)神様がいる
と拓郎さんは言う。
あの日
あの時
確かに時代を動かしたのは
1975年8月2日〜3日
静岡県掛川市つま恋の地から
だった
選ばれたものだけが受け取れる
言葉では言い表せない
とてつもない恩恵を
たしかに拓郎さんは
あの日もらったんだろうと思う。
アルバムも聴き込むたび毎に
本来メロディーメーカーである拓郎さんが
綺麗にメロディーにのせて
歌うというやり方を崩して?
歌っている風に気づく。
それは
歌詞に込められた
メッセージを感じてもらいたいがため?
僕には
演奏とボーカルが分離して
聞こえてきてならない。
拓郎さんの歌詞、歌だけが全面に入ってきて
演奏は邪魔しないように流れてる
それでいて今回の演奏、アレンジは
素晴らしいにつきるのだが…
拓郎さんの
しなやかに
フェードアウトしていく
そんな雰囲気を醸し出すには
もってこいの
アレンジと演奏なのだ。
聞いていて
いくつか過去の作品と
雰囲気が被ったものがあった
【Contrast】と言う作品は
[明日に向かって走れ]を彷彿させてくれた。
今回のアルバム中で
一番好きな作品でもある
♪一本の道を生きました
心のままに許すままに
一本の道がありました
誰も知らない
小さな…
で曲は終わったアウトロへ
♪だから明日に向かって走れ
こぶしを握りしめて…
と歌った拓郎さんと
なんら変わってなかった。
怒りとか
悲しいばかりじゃなく
それでも
前を向いて生きていくその
命の強さをみせてくれている。
そして、タイトルチューンの
ah-面白かった
これは
僕だけの感覚なんだけど
「いつか街で会ったなら」
という作品の香りがする
否定的な
事もあった中
全て肯定しつつ
面白かった!って叫んで
終わる
それでもいつかどこかの街で
あったなら…
肩を叩いて微笑みあおう
と結んでる
二つの詩には
良かったんだよって
これで良かったんだよ
何も言うことないんだよって
悔しさも
寂しさも
切なさも
悲しさも
関係ないんだよって
自分で終わりを決められる
そんな贅沢な生き方は
そうそうないものだから
「はい!カット!」
そう言ってDVDインタビューは終わった
もうここで終わりだよ
わかった?
もういいじゃないか?
もう充分だろ?
色々あるけど
もういいんだよ
色々やったからね
ありがとね
楽しかったよ
ah〜面白かった
そう拓郎さんは言ってるようだった
でもね
俺たちは面白くねーんだよ!
あんなことやこんなことも
やって欲しかった
ことあったんだけどなぁ
48年ファンからすれば
ah〜面白くない!なんだけどね
でもやっぱり
お疲れ様でしただね。
吉田拓郎をよく頑張って
やりぬきました!
僕もファンでいて
楽しませてもらったよ!
ah〜面白かった!