義母が天寿を全うしてから 何年になるでしょう
慌しい年の暮れの 忘れもしない日の出来事は 年数となると 確か私の娘が1歳になったばかりの子を抱いていた時なので そろそろ8年というところでしょうか
生前の義母は 東京で暮らす私たちが帰省すると 何処からともなく 私たち家族用のパジャマや子供達のオモチャを引っ張り出してくれたものでした
義両親を見送ってから数年後に退職し 実家に戻って暮らしている長兄夫妻
その長兄から お呼びがかかり 今は亡き義両親の子供達が 久しぶりに勢ぞろいしました
料理が上手で 義母とは味を競い合っていた兄嫁の 両親が遺した品々を整理整頓する日々
押入れから 『 東京 』 と記された箱が見つかり 私たちのパジャマなどに混じって入っていた鍵で開けられたケースには 孫たちへ宛てた お婆ちゃんの遺言が入っているということでした
長兄による全員集合の声かけは その遺言を みんなで確認するためだったのです
義両親が元気なころ 近くに住んでいた兄弟家族は 週末や連休など頻繁に訪ねていましたが 私たちは 子供達が就学児となって以降 盆暮れに帰省するくらいで そのうち認知症の症状も現れてきてからは 親孝行らしい事も出来ないまま お別れして 今に至ります
もしかしたら 義母が 私たち用の箱に 『 東京 』 と記す胸の内には 遠く離れて暮らす息子家族への 特別な思いがあったのかもしれません
鍵のかかった箱には 孫たちへの思いが凝縮されたかのような 義母の心が詰まっていました
話し好きの義母から
警察官だった義父の在職中は 近隣で事件が起きると駐在所が騒々しく 子供たちが試験のときには勉強する場所の確保に苦労した
などと 思い出話を聞くにつけ 教育熱心な母親像が伺われたものでした
責任ある自分の子供と違い 孫は 爺婆にとって可愛がるだけで許される存在 とは よく聞かれる言葉です
私も孫を持つ身となり その言葉が示す意味を解りかけてきたところで 8年を経て見つかった遺言により 孫の未来をも案ずる義母の偉大さを思わずにはいられません
職業柄 転勤の繰り返しだった義両親が 晩年を過ごしたのは 甘党には聞き逃せない 栗きんとんを代表とする銘菓で名の知れた ★★県★★★市
私が帰省する日には 必ず用意してあって 車庫に車を入れるや否や茶の間に導かれ 渋いお茶に ★★★の銘菓で 東京からの長旅を労ってくれた義母
このたび 集合をかけた長兄が 帰り際に持たせてくれた ★★★市のお菓子の老舗≪☆☆≫の栗きんとんは 孫達へ本物の愛情を注いだ義母を思い偲ばれ ひとりで口にするのが躊躇われます
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