水面下に 私の目には見えてないものが あるかもしれない
見えてないものを誰からか聞いて それが事実と思い込み 全てを知ったつもりになってはいけない と そのような姿勢で生きているツモリ
以前にも書いた事がある 人それぞれの主観が問われる 遠藤周作さんの談を また
どこかの中学だか高校だかの入試で 遠藤周作さんの小説を取り上げられることがあり 問いは 主人公の心理を4つの選択肢から一つを選べ というもの
遠藤周作さんは ご自身の著作にもかかわらず 例に出された4つが全て正解に思えたという
いつ読んだか聞いたかは忘れたけれど ブログを書くようになって ことあるごとに思い出される談話である
たとえばブログ主・青さんが書かれたことを ブログ主・緑さんが読み違え 緑さんが調べたことと青さんが書かれたことは違っていると思い込んだ緑さんは [青さんは嘘つき]と公開なさった
傍から見ていた私は 緑さんの読み違いであることが一目瞭然だったため 私のブログで事実を呟いた
緑さんは ご自分のことと気付いて そこから波風が立ち コメント欄でヤリトリが交わされた
最初は 青さんも ご自分の考えを述べられたけれど 収束の付かない状況から [私が謝れば収まる] と思われたようで ご自分のブログが[ことの発端を作ったこと]を 緑さんに謝罪なさった
ご自分の読み違いを認めない緑さんは [青さんが嘘をついたから謝った] と思い込んだ
その結果 緑さんのブログでは [青さんは嘘つき]を前提に 青さんが謝ったから良しとする結論で 〆られている
自分に非が無くても 謝ると言う事は 相手に[自分の非を認める]との結論に結び付けられてしまう実例である
これは 既に時効と言えるような古い話
今 私の周辺で この事を思い出す経緯があって 記述したに過ぎないことを 明記しておく
G氏が 事実とは異なる [中傷の加害者] という現象を知った
私がG氏のブログを拝見する限り G氏の人格は信じられて 私と同じ状態であることもあり応援する立場になった
当然 G氏の中傷を被ったとするブログ主🌼さんが存在するわけで G氏の周囲では 🌼さん側を加害者と決めつける雰囲気があった
私は 私の目で見て確認したG氏のブログによりG氏を信じられるのであって 🌼さんを加害者だと決めつけられる材料は 私には何一つ 無かった
この[加害者が実は被害者] という現象は 私の経験からも見過ごせない事態のため その後の経緯に注目した
そうしていくうち 常識を逸脱していると思われる🌼さんの言動に出くわす事があって 非は🌼さんサイドであるかを疑うようになった
確かに私の目で確認した 🌼さんの言動
ただ どうしても私の根底に なにか目に見えてないものがあるのではないか という疑問は消えないでいた
私は 過去に 旧🌼さんのブログのファンだった その理由が ブログから伺える旧🌼さんは正直するくらい正直な人 だったからである
それは 現在 G氏のブログから伺える G氏への信頼にも等しい
そこで 水面下に 私の目には見えない何かがあって 実は両者ともが被害者ではないかという疑問が沸くようになった
表面で たまたま目にすることのできる🌼さんの言動が 加害者と言う現象を色濃くしているように思えてならなかったのだ
🌼さんの言動により 迷惑を被っているかたは 複数 存在する
複数のメンバーは 私を含めて 🌼さんに 謝罪の言葉を必要とした
私の目で確認したからこそ である
ポイントは 常識の線引き にある
どこを基準に 線を引くか
かの遠藤周作さんでさえ 4つの選択肢が 全て正解に思えたのだ
地球に存在する何十億人の それぞれに主観があり常識があり それは微妙な差であっても 何十億通り存在する
私は 謝罪を必要とする考え方に同意するものの 正直すぎるほど正直と伺えたお人柄と 疑問に思える言動とが どうしても結び付かないでいた
個人的に [バカ] という言葉を他人に向けた場合 そこに悪意があるかないかで [バカ]の本質は変わって来ると言う日本語の妙に 人一倍 強い関心が有る
その私の主観により 🌼さんの言動に[悪意]があるかどうかを見極められないことが 🌼さんを加害者と決めつけられない要因であるように思えた
[謝罪する] と言う事は [自分の非を認めたこと] になる
青さんは ご自分に嘘はなくても [事を収めるため] に 謝罪するという何十億分の一の個性
🌼さんは [事を収めるため]の謝罪には 妥協できないという何十億分の一の個性
謝ることで 自身の言動に悪意があったという結論が出ることを 🌼さんは恐れたのだと思う
中学生の頃の夫は ガキ大将のグループだったらしい
そのグループは 畑の作物を荒らしたりして 警察沙汰にもなりうる悪事を働き 住民から学校への苦情があって 義母を含めた保護者が校長に呼び出されることがあったとか
ガキたちは 口をそろえて[太郎が主犯]と訴え 自分たちの罪を太郎一人に押し付けた
太郎の母である義母は 太郎の担任と 卒業時に面談することがあり [太郎君は無言を通し一言も自分を正当化することが無かった 太郎君は 本物の男らしい男です] と笑顔で言われた と
父親が警察官である太郎の罪 とすれば 警察沙汰を逃れられるというガキたちの知恵だったという真相を知り 義母は 校長は分からなくても 太郎を身近で見ている担任に息子が信用されていたことを知り 帰宅して太郎の姿に 泣いたという
メッセージは非公開希望だけど 一部を公開することだけ 事後承諾させてほしい
私は、自分のことも他人のことも、できるだけ好きになったもの勝ちだと思っています。
紬さんも、anさんも良い文章を書かれますね。
皆、それぞれの個性を生かした記事を書かれて、ご自分も楽しまれ、同時に読者も楽しまされたら良いと思います。
そうすれば、ブログ世界万歳になると思います。
疑心暗鬼になっていた時期だったこともあったのでしょうか ご自身の軽率な行為や 思い違いであったことをお気付きになり 反省なさっている様子が伺える文面
謝罪を求められる点については いっさい触れることなく 悪意はないことに自信をお持ちである文面が 中学生だった夫の姿に重なる
謝罪することは 自身の行為に嘘や悪意があったとして[非を認めること] になり [嘘つき] が 事実となって浸透するという実例もあるネットの世界
ネット上に ブログを公開する私の自己顕示欲には 閲覧されることの意識がある
見栄を張るほどでも無いけど 可能な限り見栄えの良いものにしたい
その人が公開する お料理は 私の目からは美味しそうに見えないし 公開を意識して台所を掃除した様子も伺えない
ブログ用に準備された画像には見られない ありのままが晒される姿勢に 見栄や偽りのない人間性が伺えて和まされることがある
普段から プロの写真集とは違って個人のブログだからこそ得られる和みに その人の心の奥が見えるような気がしていた
何十億分の一の己の感性で 何十億分の一の他人の奥にある感性を 自分が見聞きしたことで決めつけることに疑問を抱くことになった 非公開希望のメッセージを 何度も読み直し
そして 私自身の水面下の行為に 嘘や偽りは絶対にないと自信を持って広言できるのか? と 何十億分の一の個性に対して 謝罪を求める権利が私にあるのかを 問いかけてみる
追記
複数の方々が迷惑を被られた🌼さんの行為を表現するに、平凡に非ず[非凡]としましたところ、[非凡]とは、平凡以上に優れている場合にのみ限られる、との閲覧者様のご指摘により、本文を訂正しました。