数年前 [画像が綺麗になったね]と 言われることがあった
デジカメが壊れて修理しようとしたところ 夫の[どうせなら いいのを買ったら?]で
ビッグカメラのスタッフさんによるオススメは コンパクトデジカメ以上のミラーレス一眼カメラ
そうした時の [画像が綺麗になったね] は カメラを趣味としているブログ主さんだった
私には デジカメと ミラーレスに変わっての画像と どう違うのか分からない
相変らずデジカメ同様に花を撮り 天体ショーの情報があるたび 月の撮り方を探るのだけど 習得不能
そんな私が 月の撮り方を小耳にはさみ
撮れた! (*´▽`*)
疑問に思う言動について、中傷にならないように表現できる適切な日本語とは、常識を否定する対義語として、一般、普通、平凡、から平凡を選択し、短絡的に非凡としたところ、
>常識を逸脱している非凡と思われる言動…
※非凡とは、一般の人よりずっと優れていること
うむ~
ようするにこの方は平凡な常識人には理解することの出来ない、非凡な才能をお持ちなのね。だから無下に出来ないのね。
このようなコメントを頂きました。
通常は、頂いたコメントを表示して返信するのですが、思うことあり、ご指摘に基づいた訂正のみに留めました。
ようするにこの方は平凡な常識人には理解することの出来ない、非凡な才能をお持ちなのね。だから無下に出来ないのね。
このような時、[です調]が一般的だと思うのですが、通りすがり、というHNであることからも、文面に皮肉を感じました。
表示し、お礼を述べた上で訂正するべきところ、それをしなかったのは、読んだ私が機嫌を損ねたからです。
実際に、機嫌を損ねているのではありませんけどね。
実は、読んだ者の心理について、書きたかったからです。
私は、 私のことを、[トンマ] と書かれたことがあり、その発言者による [誹謗中傷の加害者]という冤罪を背負っています。
これもまた、先に挙げた[嘘]の思い出と同様に例としたわけでして、私と直接は関係ない事柄のために、その方へ中傷めいた日本語を向けるのは阻まれることから、私の経験を、なぞらえることにしたのでした。
[麦に中傷された] という、寝耳に水の公開発言を撤回して頂くため、ここ何年もの間、事あるごとに話し合う機会がありました。
しかし、ここにきて限界を感じ、冤罪が消えることは諦めて、相手のHNとブログのタイトルに、敬称も伏字もせず、[永遠に許さない]と、公言しました。
思い違いを撤回して頂こうという気持ちが無くなった、今だからこそ敬称を省く気になりましたが、撤回を期待していた間は、相手の感情を逆なでしないように気を配りました。
しかし、解決することは出来なかったのです。
なぜなら相手は、他人に [トンマ] という侮蔑語を向けることができるようなレベルの、非常識なかたでしたから。
理性を欠いた低俗な人種、医者の治療を必要とする病の麦、そしてまた、私が立ち上げたブログを別人が管理していると想像し、それを事実とするような嘘をつく人でした。
この事は、
現在は蓋がされていますが、必要あって、私の経験を綴ったに過ぎません。
常識を逸脱した行為を繰り返すような人には、自分の姿を振り返り、自分が間違っていた、という反省をするような精神は持ち合わせていないことを思い知った出来事です。
ましてや、謝罪の言葉など望めるはずがありません。
[トンマと言ったのは愛嬌の気持ちであって、悪意はありません] と、その人は言いました。
常識を逸脱した行為に悪意はないとしても、迷惑を被った人間は明らかに存在しています。
悪意は無くても、その行為から、迷惑なり不愉快なりの災難を被った人間が、間違いなく存在することに気付くことが、ごく一般の常識人と言えるのではないでしょうか。
私が経験した、その人と同じレベルの常識でありませんように、願っています。