東本願寺に於けるジャー・バンファンさんの公演 というお知らせがあり コロナ感染とワンの通院による迷いがあったけど ワクチン接種後ちょうど2週間が経過したときと言うことと ワンは娘に依存することでクリアし 京都へ
あの日 見上げた緑色
この緑が真っ赤になるころ きっとまた ここに来ようと誓った
修学旅行で訪れた 5月の三千院
その誓いは 2歳の息子を夫に託し 小学生の娘を伴って行ったのが最初で 子育てが済んでからの一人旅でも 紅葉の最盛期には遅かったり早かったりと まだ その誓いは実現せず 2019年に訪ねて以来 3年ぶり? 4年ぶりって言うのかな?
10日(金) に 公演のあと一泊し 11日に三千院へもうで 夜の便で帰京しようかな と軽い予定をたてて羽田を発つ
数日前から 10日の予報は雨だったけれど その時は会場の変更とか それなりの対策があるものと思い込んで
方向音痴の上 旅慣れしている方でもないのだけれど 我が家から 羽田→伊丹→東本願寺→三千院 のコースについては 何とかの一つ覚えがごとくで 伊丹から京都駅前行きのバスへとスムーズに乗車
まずは 義両親が眠る東本願寺へ参り お持ち帰りのお線香を求めがてら会場を確認するため お買い物処へ行ってみて そこで私の目的は あっさりと終わった
さほどの雨ではなかったけれど 楽器が濡れることを最優先に考慮し 早々と公演は中止という決断が為されたと
私は 雨を嫌いではない
雨による遠足や運動会の中止があっても 必ず予備の日があるけれど この場合は これでおしまい
雨を嫌いではない私が 雨に翻弄されるということが今まで生きてきた中にあったかなぁ というモヤ~っと不思議な感覚
残念この上なく [明日もあるんなら もう一泊してきたら?] と言う夫からの勧めもあったけれど 美味しい京料理をいただいて 紅葉でも楽しんだら帰ることに
朝のうちは雲が多かった翌日 幸いにも時間が経つにつれて陽が差し始めると 絶好の紅葉狩り日和
よく聞く [時間がゆっくり流れる] って こういうときのことを言うのか 宿を出て 特に何の目的もない穏やかなときの流れるがまま 鴨川方面へ向かった
途中に流れる人工の小川に鯉が泳ぎ おそらく川の浄化装置と思われるコードに カメが
鯉は そうでもないけど カメは好きな生き物である
三千院行きのバスも過ぎ行く大きな通りを横断すると やがて鴨川に架かる橋が見えてくる
あの日のように鳥がいて カメラを向けた
シャッターを押しながら 蘇ること
ここで あの時に撮った鳥の写真を 私のブログ [愚者の戯言] のイメージ画像に貼ったんだった
当時は 今のミラーレスではなくて 設定不要の単純なデジカメで写した たかが3cm四方のイメージ画像である
単なる その写真を その人は別のブログで見たと言い [哲学的な鳥の写真] として こんな写真が麦に撮れるはずはないから [愚者の戯言] のブログ主は カメラを趣味とする某別人だと言い続けた
間違いなく私が立ち上げたブログを 写真一枚により 私の事実でないと疑って決めつける心理
今は 冷静に その人のことを綴ることができるけれど 当時はムキになりながら怒りを抑えて 反論したような
なぜ 今は こう思えるのか ・・・
今だから バーチャルなネットであろうと ブログが実生活の中の一部であることを 今更ながら 私が知ったからなんだと思う
その人にとって ネットは実生活を稔りあるものにするためであり その基盤にしているのがブログなんだろうなぁ ・・・ と
目に見えない閲覧者を頼りに信じ リアルでの隣人に恵まれた幸せな実生活を閲覧者に披露することが その人にとっての満たされた人生なんだろう と
それを善しとするのが その人の生き方なんだから それを遮るような [愚者の戯言] を立ち上げた麦は その人にとって誹謗中傷の加害者なのだ
ご自分を被害者として成り立たせるためには 必須な加害者
それが麦
それは麦にとっては理不尽なことであろうが そのことに責任も負い目も感じることはなく 事実無根の加害者を仕立て上げることに罪の意識はない その人の生き方
それぞれが 自分自身の好きなように貫いている生き方を あかの他人が変えることは不可能に近いでしょうし また 変えようとするのは おこがましくもあるのかも
しかし
その人の生き方を認め 広い心で安易に許せるような私ではないから 旅先であろうが こうして鳥の写真を撮っていても 脳裏に蘇る出来事なのだと思う
鴨川をあとに 今夜は決行されるでしょう会場となる 渉成園 東本願寺飛地境内 へ
クチナシの木が至る所にあって どの木にも 実が いっぱい
ここからの目線が 渉成園内の絶景かな
たぶん私は 情緒に欠けているのだと思うけど ・・・
人工のものと言う思いが先にきてしまって どうも
珍しくないアメンボの親と 生まれたてらしい小さなアメンボの群れが珍しい
アオキで 小耳にはさんだ蝶の冬越しを発見・・・と思いきや
クモの糸に絡まった死骸?
会場は ライトアップの準備が整い
今夜は ここでジャーさんが奏でる二胡の音色が聴衆を涙させ 別世界にいざなう
❝渉成園 秋のライトアップコラボレーションコンサート❞
私には残念この上ない
なのに
なぜか さほどの悔いはなく 気持ちは帰京に向け固まっていて
そこで ふと気付いた
ライトアップは だいぶ若いころの六義園にて 闇の中に照る緑の異様な記憶
いつだったか 友人と夜桜見物を計画したことがあったけど 行ったかどうかの記憶も薄れ
私には ライトアップに魅了されるような情緒も欠けていることを思い出した
だからかな
さほど残念に思うこともなく お土産の551を抱えて 足取り軽く帰京できたのかもしれない
小心者がコロナを乗り越えて 初めて動いたことの結末なり
コメントありがとうございます。
ようやくコロナを超えて初めての、いい旅でした(*^^*)
後ほど、お返事しますね。
こんばんは。
まさか、雨でも何らかの対処があって、中止になるとは思いもしなかったんですけどね~!
とりあえずは翌日、会場だけでも見れば気が済むかと行ってみたわけですが、ライトアップのために引き込まれたコードを目の当りにしたら、気持ちに変化が起きたのでした。
演奏が始まっても、陰にあるコードが頭から離れないのではないかと思うと、残念という気持ちは、どっかへ行っちゃったのですよ。
渉成園のモミジとイチョウが、紅葉には、まだまだだったので、標高のある三千院は、まだまだ早いと思って取りやめ、目的もなく、急ぐこともなく、それなりの京都の秋を楽しんできました(*^^*)
ルルーラさんのお人柄を思うと、あの方に、お母様との共通点があるとは想像できないですし、そうなんですか、と言うのも申し訳ないのですが、初めてルルーラさんと出会ったときのことが思い出されます。
人からどう見られるのかがともかく大事。 ですね。
人から褒められたい、認められたいという願望が非常に強い。 ですね~。
人からこんな風に見られたいと思う自分のイメージを損なうものは、嘘つきやら自分をいじめる加害者にしてしまう。 そうそう、そういうことなんですね。
こんなにもズバリと分かってくださるルルーラさんの存在が、私にとっては、お父様のイラストに匹敵するものに違いありませんね。
私も、別のところで、もう一つのトゲが刺さり、そのトゲと比べたら、✿さんの生き方を、私が、とやかく言うことでもなく、あのような生き方をする地球人の存在を認めなければならないのではないか、と、思うようになったのです。
他人ごとなら、そう思うことができるのですが、、、やはり、私に刺さっているトゲなんですね。
こうして、ルルーラさんのお言葉にお返事をすることが、私の副産物、トゲの化膿止めなのでしょう。
和むのですよ。
ありがとう!
麦さん、こんばんは。何だかもったいない気もしますが、紅葉とゆっくり流れる時間を楽しまれてたなら、良いのかな、、、
鳥の写真、抜けないトゲみたいなものですね。思い出したくないのに、必ず思い出してしまう、刺さったままだから。
私事ですが、私も刺さったままのトゲがいくつかあるのです。一つは父の遺影なんですが、私が両親を誘って出かけた小旅行で撮った写真なんです。ところが、いつの間にか母が作りあげた全然別の思い出ともっともらしい美談になって語られているのです。親戚から、良いお母さんのおかげで云々と褒められて、意味がわからず、曖昧な相槌を打つ私。
「またか」という感じ。
私が思う、あの方と私の母の共通点なのですが、人からどう見られるのかがともかく大事。人から褒められたい、認められたいという願望が非常に強い。人からこんな風に見られたいと思う自分のイメージを損なうものは、嘘つきやら自分をいじめる加害者にしてしまう。
そこに、他の人から見た自分ではなく、自分で自分自身を見つめることや、加害者とした相手と一対一で向き合う発想がないのが、絶望的にかみ合わない理由かと思います。
おまけの話ですが、父の遺影を見ると嫌なことも思い出してしまいモヤモヤしていたのですが、ふと思い立って、大好きなイラストレーターさんに、父のイラストをオーダーしたのです。イラストの参考にするからと、生前の父の思い出を聞いてくださり、その過程で私自身が平穏な気持ちになれて、救われました。昔、父がよく買ってきてくれたお土産のケーキも描いていただき、そのイラストが私にとっては父の遺影です。
麦さんにも、刺さったトゲは抜けなくても、上手く言えませんが、副産物的な何か、上書きしてくれる良いことがあるといいなぁと思います。