宇宙へのツイッター

踏まれた足を退けることが出来るまで
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終わらないわけ

2017-01-12 15:16:08 | 


双方が 平等に納得できれば 終わり

しかし

一方だけが 納得して これで終わりにしましょう として終わらせたとしても それは終わりではない

一方が 納得できてないまま 「あなたが正しい 私が間違っていました」 として終わらせたとしても それは 本当の終わりではない
もう 結論は出ないとして諦め 終わらせることにしただけ

自分の意志を通した方は終わりでも 自分を抑えて終わらせた側には 本当の終わりではないのだ



お気に入りのブログが 消えたことがあった

突然入った 一件の 反論コメント
そのコメントに対して 何件かの反論コメントがあって それまで和気あいあいだったコメント欄が 乱れた
そして ブログは 管理人さんの意志で削除された

したがって ランキングで ベストテンに連なっていたブログ村からも そのブログは消えた

その後 「私のコメントで ブログ主が逆鱗に触れて ブログを削除した」 という意味の言葉が 某ブログで公開されて 何事もなかったように 終わった が

私は 終わらなかった
ブログが削除された訳と言われる 「逆鱗に触れて」 について 疑問を投げかけるブログを立ち上げたが コメント欄でヤリトリが交わされても結論は出ず 私のブログも削除した

納得できなかったけれど そのことに二度と関わらない意志を固めることで 私も 終わらせた


心機一転 「花の記録」 として このブログを立ち上げ しばらくしたころ


このブログを見つけて 身体に戦慄が走った
過去に このブログ主に誹謗中傷された

 

このような言葉と共に このブログを限定して 公開されたことがあった

私には 解せなかった

もう 終わらせたんじゃなかったの?

私は 納得できなかったけれど 結論が出ないブログを消滅させて 終わらせたはず


「あなたを 私が 誹謗中傷した部分は どの記事の どの部分なのか答えて欲しい」 と そのつど お願いしても その回答を いただいたことはない

いただけるはずが ない 

私が その人を誹謗中傷したことなど ないはずだから


「このブログ主は他人を誹謗中傷した」 と言う言葉は 永遠に終わらない




愛犬が 死んだ 

その気持ちを綴って 私の状況を相手に伝えた

愛犬のことを人間と勘違いした第三者から 辛辣なメッセージがあった
 
無記名だったけれど 過去のコメントに重なって滲み出るイメージから コメント主の姿は すぐに浮き出た

無記名のまま 勘違いであったことの謝罪の追加コメントがあって 終わった

しかし そこまでの経緯から 私には素通りできない感情があって 予想される相手にメッセージを送った
あのコメントの アクセス解析をする旨を伝えた

すると  「私たち※姉妹※を憎む執念が恐ろしくて ブログを続けられなくなった」

と言う内容の言葉を残し その人のブログが閉じられた

しかし 何日かが経過して 何事もなかったように 新しいブログが立ち上がって 今に至る

相手には 終わったことでも 私の中では 終わってない





リンクを外してほしい と 願った

でも 外れない

「リンクは外さない」  その結論で 終わった

自分の意志を貫いた方は 終わっても 願いが通らなかった側は 終わってない


終わったことにするしかないだけ

なぜなら 人の生き方は それぞれだから


私と同じ生き方を 他人に求めることは できない

だから 相手に合わせて 私も 終わらせるしかないのだ




私の発言で 気分を害する閲覧者が いるかもしれない

私がコメント欄を閉じていたら 閲覧者は その不快感を自分の胸に収めなければならない
としたら それは理不尽なことだと思う

だから 他人が 私の発言のせいで 理不尽な思いをすることのないように コメント欄を開けている



人は それぞれに 自分が好きなように生きる権利があると思うから

自分の思いを貫く側には終わっていても やむなく終わらせた側には 終わってないのです


「終わったことを いつまでも ・・・」 と 言われたとしても 

終わってない

自分に都合の良い結果で終わらせた側には それで終わりでも 私には 終わりではない

ストレスは万病の元 だから こうして 青空に話しかける


ボーリングも そのあとのランチも ストレス解消の一つ



今年 最初のスコアは 124
これでは かえってストレスの元 かなぁ 






成人の日と鏡開きと

2017-01-10 22:35:50 | 日記

我が家も 世間並みに3連休のあとの 出勤の朝 
朝食の準備に取り掛かったら ハタラキバチさんが 2か所に供えてあった鏡餅を下げて 食卓に置いた

「鏡開きだから 今日 食べないと」

そうだっけ?
確か いつも11日だったような気がするけど 朝の忙しい時間だったから 言われるがまま お味噌汁になるはずの小鍋が お雑煮になった

出勤を見送ってから調べてみると その年や地方によって異なるようで 東京では ほぼ11日に定着しているらしい
まぁ 風習を忠実に守ってきた我が家ではないから 1日くらい早くてもいいか
サービス業という職業柄 お盆も正月も なかったしね

今年は 我が家も世間並みの勤務体制だけど そんな経緯から とくにお正月の行事に固執することなく過ぎ たまたま この連休3日のうちの2日が 新年会らしき集まりとなった

お客様は お節料理は 飽きているでしょうから ごく普通に食事会

  

あとの一日は 可愛いメンバーのために 爺が得意のビーフシチューがメイン

仙台に嫁いで帰省した マイちゃんの妹さんからの カモメの卵は おめでたい紅白

 


何十年振りかで頂いた 「大人のお年玉」 は 干支の飴



いろいろ工夫された お正月商戦である


三々五々 行きかう新成人の晴れ姿を楽しませていただける 成人の日の昨日は 朝のうち雨が降っていたせいか みなさん 車で移動したようで残念

ハッピーマンデー制度に 成人の日が加わったのは いつからだったか記憶にないけれど あと何年かしたら 成人の日を1月15日に迎えたか あるいは月曜日だったかで 「年齢が解る」 なんて シニアの間の茶飲み話になりそう

言うまでもなく 私は 1月15日

最近は 成人の日と言うと どうか晴れて欲しいと願うくらいで 私の成人の日は とうにセピア色だったが 荒れる成人式のニュース映像を見ていたら ふと 私が纏った振袖が思い出された

黄色に近いクリーム地で 裾と袖に何か偉そうな鳥の刺繍がしてあり 最近の流行とは程遠く 御多分に漏れずタンスのコヤシになっている

その コヤシで 麗しく装った二十歳の私は おそらく200名くらいだったと思う新成人を代表し 式典での壇上で 「成人の誓い」 を述べたのだった
 
代表の選考基準は 不明だけど 
たぶん 美人だったから ・・・と 思うのは自由 

町の教育庁から原稿を書くようにとの通達があり どんなことを書いたか全く記憶にないが おそらく元校長の教育長が 私の文章の一部分を 古臭い表現に手直しされたのが気に入らなかったことだけは 覚えている

たぶん 違和感を感じながらも そのまま誓いの朗読をしたと思うけれど 思えば 二十歳のころの そんな舞台度胸は どこへいっちゃった? 

 

パンダと見られている小鳥

2017-01-10 09:16:19 | 日記

二日に出かけた新年会以来 今年になって初めての外出らしい外出は 新春二胡講座
講座と言っても 音楽に纏わるトークを主にした 某老師のリサイタルである

恒例となって開催されているらしいけれど 私は初めて参加した新年の集いはアットホームなもので 「まだ来られてない方がいるので もう少し待ってください」 との前置きによる 時間稼ぎMCの前座が面白かった

「まず 最も好きな動物を思い浮かべてください」
  
・・・・・深く考えることなく とりあえず 犬

「次に 2番目に好きな動物は?」

・・・・・う~ん とっさに浮かんだ猫でもいいけど 真剣に考えたら パンダかな

「では 3番目に好きな動物は?」

・・・・・キリンでもないし カバでもないし 好きとなると 枝を飛び交う小さな鳥が思い浮かんだ


その答えは 深層心理だそうで
 
最も好きな動物は 『自分が こうありたいというイメージ』
2番目は 『私が他人から見られてるイメージ』
3番目は 『現実の私』

そういうことなら 1番目の犬は 真剣に考えたわけじゃないので当てにならず 2番目の他人から見た私の姿は解らないけど 3番目の小鳥は なるほどと思わなくもない
あちこち 羽が生えたように飛び回る私ってことね


家に帰り じっくり考える余裕を与えて 夫に試してみた

1番は ・・・ ライオン
2番目が ・・・ 象
3番目は ・・・ 「もうない」 と

ほほう 
ライオンと象 その次に好きな動物は 「もうない」 という3番目の深層心理は 実に興味深い
つまり 夫の真の姿は 誰にも分からない ってことかな

1番目の問いに すかさず 「ライオン」 と 来たときは 嬉しかった!
さすが 私が選んだ世界で一人だけの人は 百獣の王を目指すがごとく 地球を飛び回っていた 

ちなみに ライオンが百獣の王と言われる所以をググってみると 
『集団生活を行い仲間で協力して 1頭では敵わないような手ごわい動物相手でも狩ってしまう勇敢さを備え さらにオスはかっこいい鬣を備えており それが「王」と呼ぶにふさわしい風情に見えるからでしょう』 とある

ふむふむ 髭はないけど まさに我が家を守っている夫そのもの 

2番目の象も 頷ける
4人家族のころ 時期をずらした夏や冬の休暇には実家に帰省したものだったが 滞在して三日目くらいになって やっと 「今日初めて  ちゃんの声を聞いたわ」 と 義母が言うほどに無口な夫でありながら デンと静かな存在感


クリスマスローズの蕾を発見



クリスマスに咲いたニゲルに続いて バイオレットのダブル


留守中に これまでにない数字の 訪問者とアクセス数

このたびは ネット上で思うままを呟き放てば 当然あるべき状態と受け入れている
それを十分に意識した上で 自慢に値する夫かどうかはともかく 誰に何を思われようとも 思い切り 私なりの夫自慢をしてみた

批判や中傷を恐れるならブログなんて書かないし だからと言ってコメント欄を閉じるようでは ブログ綴りのポリシーに反する


<るりとうわた色の空へ> から一新の意味がなくなったので とりあえずのブログは 麦の <るりとうわたいろの空へ> に戻ります
無断でのリンクは お控えくださいませ  





温度差って言うか 体温の差って言うか

2017-01-06 11:08:33 | 日記

バーチャルな世界で リアルな世界よりも 生きていくことの難しさを感じることもある

宇宙へのツイッター と言う名目で 2004年から始まった 私の 自由な言いっぱなし
隣人には言いたくないようなことでも 自由に言葉にできるというメリットを利用しているのだが ・・・

ときどき 急にアクセス数が増えることがある

私には 「どなたさまかをネット上で誹謗中傷した私」 として公開された過去があり それは 今でも燻ることがあるようで 急なアクセス数の増加は どこぞでの発言が起因しているらしい

私は疑問を投げかけたのであって そのようなつもりは全くないのだけれど 相手の 私に中傷されたという思い込みを取り払うのは無理があることを悟って その後 その件について 私サイドから関わったことはない

私のブログ綴りは ネット上で交流するための 友達探しではないし それに 温度差による誤解と言うような 簡単なレベルではないし ね


しかし 今回のアクセス数の増加は 違う


FC2 での 「るりとうわた色の空に」 は 管理画面にログインすると 訪問者が どこから訪ねて来たかが表示されるシステムがある
あるころから とあるブログを介しての訪問者が増えた

公開しているブログだから そういうことがあっても受け入れる懐は 持ち合わせているツモリ
私のブログをリンクするからには 相手に私への嫌悪感がない と 思うことにして 喜ばしく受け止めた

ただ それが 私の思いのすべてではない
他人のブログに簡単に飛べるシステムを 相手の承諾なしで利用することへの疑問があった
しかし それを相手に申し出ることで もしも面倒なヤリトリが続くことを懸念して 私の胸の中に収めた

たとえば 一般の電話帳に自宅の電話番号が表示されるのは公認だとしても 個人的な関係でメモしてある電話番号を公開するには 本人の承諾を得た方が無難ではないのかと思ったのでしたが

「相手には私への嫌悪感がないのだろう」 と好意的に考えることで黙認するのが トラブルを避けるための 私の精一杯の策だった



政治も宗教も 地球で生きていくうえで大切な要素だから 政治や宗教について発信を続けるブログは貴重な存在だと思う

相反して 地球で生きることの煩わしさから逃避するための手段として ネットを利用している私が 政治や宗教に触れることはない

私のような者に比べたら 思想は異なろうが いずれも重要な人材のブログだと思うし ブログ主さんの心意気は尊敬に値するのだけれど


「とことん分り合えるまで話し合う気持ちがなければ 言わなきゃいいのに・・・」 と思う 私がいる

しかし 私と同じように ブログ主に無断で自分のブログが表示されることに対する疑問が ときに燻る瞬間があるのかもしれない
そして 私がそうであるように 書くことで 心の鬱積を晴らしているのかもしれない


もし 他人のブログを公開するなら 本人への承諾を得るようなネットのマナーって言うか ・・・


そして もしも そのような打診があったとしたら 私は お断りさせていただこうと思っている

過去の 異次元的な温度差ではなく 話せばわかる程度の温度差だとは思うけれど

生き方が違う人を 自分の生き方に合わせさせることはできないし 
ましてや 確固たる信念を伴ったブログを発信されている方々に対して それを望むのは おこがましいこと 

アクセス数の増加に対する やりきれなさは 時が解決してくれる




年に一度のお付き合い

2017-01-04 17:15:57 | 日記

師も走る と言われるほど忙しい年末に年賀状を書く習慣には疑問を抱きながらも 習わしに逆らう勇気がなくて 今年も元旦に届くよう 投函した

子供のころ 離れて暮らしていた父への年賀状に 「元気で お正月を迎えました」 と 添え書きした姉が あとで父から 「12月に書いたはずなのに 元気にお正月を迎えた と言うのは嘘になる!」 と 叱咤されたことを 今でも鮮明に覚えている
私は その年の12月に珍しく雪が降ったことから  「こちらでは12月に雪が降りました」 と 書いたのだったが 父から母宛てのハガキに 私のことを 「素直に育っている」 と褒められて書いてあるのを 目にしたのだった  

そんな記憶が消えないせい でもないと思うのだけれど 年賀状というものは 新年を迎え 初日の出を拝み 初詣のあとに ゆっくりと認めるべきではないかというのが 私の長年の持論である

それはさておき 
今年も 半分か それ以上は 年賀状でのお付き合いしかない知友人からのものだった

毎年 この時期に思い出される川柳に < 年賀状 1年ごとに 後と先 >  と 言うのがある

互いに 年賀状だけのお付き合いを もう辞めようか と思いつつあり どちらかが先に出さなかったところを やはり返信の形で送っては 毎年 繰り返して続く状態を たった5・7・5 の文字数で 実に巧妙に表していて感心するのだが

今年は 1月3日に届いた数枚の年賀状のうちの 3枚が私宛て

私の方からは 3名ともへ 元旦に届くよう出してある

そのうちの2枚は 相手が年末に書きそびれて投函が遅れたのか 私から届いたので返信として下さったのかは分からない

もう1枚は 
10年以上前には シンガポールやベトナムへ 一緒に旅をした友人からで ご主人と私の交流は 一切ないのだけれど いつものように ご夫婦での連名
いつも 余白の部分に 彼女の達筆なメッセージがあったが 今年は それがなく 活字で 友人の体調について書かれている

一昨年だったか 「あなたの健康を願っています」 と言うような意味の手書きの文に なんとなく違和感を覚えたことがあった
今 思えば あれは 彼女自身が体調を崩したことのサインだったのかもしれない

幸いにも 今はリハビリに励んでいて 快方に向かっているとの ご様子

年に一度のお付き合いと言えど 年賀状が これほどに重要な お付き合いの一部を占めていることを教えられた今年

来年は 年に一度のお付き合いの方へも 1枚1枚 心して書かなければ!

そして 後にも先にもならないよう いままで頂いて来た方々には 翌年も翌年も欠かすことなく お届けしたいものと    


 

退屈中

2017-01-02 16:09:29 | 日記

元旦から お餅を喉に詰まらせて救急車で運ばれたという人数の多さに ビックリ

掃除機で 口の中の餅を吸い取れば良いと聞いたことがあるけど ニュースによると病院に運ばれてから大半が助かっているので やはり掃除機より救急車なのかな

「餅は伸びるからなぁ」 と 口の中で餅を噛みしめながら 己をも戒めている 夫




お雑煮は それぞれに家庭の特色があるようだけど 我が家は ごく普通に カツオだしの醤油味で 私の場合の隠し味は黒砂糖を 一かけら
冷蔵庫にある野菜と 今日は 大根 里芋 生シイタケ
三つ葉代わりの今日のセリは スーパーの根が付いたタイプのものを使ったあと 廃棄するところの根の部分を水に浸しておいて 芽を出させたもの

 

生きたインテリアの一石二鳥
この場合の水に浸す器はオシャレな花瓶でなく 廃品を再利用するのが私のこだわり




夫の故郷の風習による <年取り> で 大晦日に振舞ったお節料理の残りに 生野菜を添えてアレンジ
ブロッコリーは 年末に覗いたブログからヒントを得て 甘酢漬け

ノンビリもいいけど そろそろ お正月モードに 飽きてきた