父方で明治生まれの祖父母は 同じ敷地内で暮らしていて 私が物心ついたころから怖い人だった
行儀作法に厳しく 勉学についても たぶん就学前の私が書いた 「た」の文字が いわゆる鏡文字と言われる「さ」の向きになっているのを見つけた祖父に 泣きじゃくるほど叱咤されたことは 祖父亡きあとも 姉たちと語られたものである
他人の物を欲しいと言うな 他人が下さるものは要らなくても貰え
これは いくつか教わった祖母の教えのうちの一つである
祖母は そのころ栄えていた老舗の娘で いわゆるお嬢様育ち
一代ほど若くなる世代の義母は 「私は お嬢さん育ちでワガママで・・・」と お嬢様育ちを自慢げに話すという ご近所さんとウマが合わなかったようで
「お嬢様は 世間に出ても恥ずかしくないように躾けられるもの」 と ワガママなお嬢様育ちの矛盾を説くことがあった
母から教わったことで印象深いことは そう多くないのに 祖母と義母の教えが 日常の中で ちょこちょこと思い出される
そして義母が説いたように 祖母は老舗の娘として しっかりと躾けられたんだな と 今も思うところなのであるが
長い付き合いとなった ママ友さん
彼女も マンションのオーナーであるご両親の元で育った 私には もったいないような お嬢様
そのママ友の家に隣接した駐車スペースの奥の方で咲く ゼラニウムのようだけど ゼラニウムにしては大きな株で 珍しい染め分けの色合いを見せる花が ずっと気になっていた
そのうちに花弁が零れ 葉だけになって しばらくしたころ 彼女が家の前にいるところを私が通りかかることがあって 立ち話となったのが その駐車スペースの前
そのとき花は咲いてなかったけれど いつも花色が気になっていたので 「咲いたときに一枝を譲ってほしい」 と 意を決して口にする私がいた
祖母の教えは忘れてないのに それほどまでに欲しい花だったか 偶然に会えた彼女との和みに タガが外れたか
駐車スペースの脇で育つ花は 最近100歳を迎えられた 彼女のお父様が育てていることを聞いていたのもあって 何か お父様との ご縁を繋ぎたかったような気もする
そして 何かの用事で彼女の家を訪ねた時 見送りに階下まで降りて来た彼女が 「そうそう あの花を持って行って」 と 咲いているときでもないのに駐車スペースへ招かれ
そこには あのゼラニウムが 立派な鉢植えなって いくつか並んでいた
彼女から私の話を聞いたお父様が 大きな株から枝をカットし 挿し木で いくつかの鉢に殖やしたのでしょう
分けて欲しい と言う私の欲を 彼女は ちゃんと見抜いていた
祖母の教えを破ったことに 彼女への負い目もなく恥じるでもなく いま 彼女の心遣いに思いを馳せて ウルッ!
咲きましたよ