日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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つれづれなるままに。

2010年08月17日 10時54分51秒 | 日記
兎に角暑いです。
事務所の建物の構造に原因があります。屋根が長尺折板葺きの陸屋根です。
直射日光で鉄板が焼けて鳥も止まれないほど高温になっていることでしょう。
身体に良くないことは解っていても冷房をかけるしか方法がありません。
ところがこの空調装置もコントローラーパネルが壊れていて温度の微調整が利かないときています。
しばらく運転すると寒いくらいになりますからスイッチを切るとたちまち室温は34度くらいまで上昇してしまいます。
それでまたまた冷房を入れるといった具合です。

窓際族の特権で時間はたっぷりありますが、窓際の席は午後になると背中に西日が当たります。ブラインドを下ろしても太陽のエネルギーを背中に感じてしまいます。
左の窓からは龍爪山が見えます。
龍爪山は静岡市中心部からは北側に位置する山塊で薬師岳(標高1051m)と文珠岳(標高1041m)を総称した呼び名です。古くから山岳信仰の場として神仏習合の民族信仰の霊山でありました。
現在の様子は夏雲を戴いて少し霞んで見えます。
駿府城の北の方、龍爪颪を身に受けて、鍛え鍛へし静岡の白龍健児の勢を見よ・・・と若い頃に歌った応援歌にもありました。

後の窓からは安倍城址が見えます。
安倍城は今から約600年前の南北朝時代、南朝方の武将として活躍した狩野介貞長の居城跡です。貞長はここを居城に北朝方の今川氏に対抗しました。
狩野介貞長はこの安倍城に興良親王・宗良親王を迎えるなど南朝側に忠節を尽くし、北朝側に属した今川氏と駿河各地で抗争を繰り広げましたが、日本各地で南朝軍が劣勢に陥ると駿河国内における狩野氏の旗色も次第に悪くなり、明徳三年(1392)、南北朝統一がなされると狩野氏も駿河守護の地位を固めた今川氏に服属しました。のちの永享五年(1433)、今川家では家督を巡る内紛が起こりましたが狩野氏は今川持氏を支持して幕府の推す今川範忠と対立しました。狩野氏は軍勢を率いて今川館を襲撃しますが失敗し、範忠軍の反撃によって安倍城を退去。支城の湯島城に篭もりましたが、ここも攻められ逃散したとつたえられています。

安倍城に歴史刻みて夢遠く・・・中学生のころに唄った校歌の一節です。

コメント
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