英国の小説家ジョージ・オーウェル(1903-1950)の小説「1984」は恐ろしいディストピアを描いた作品である。ここでは独裁者Big brotherが社会の隅から隅まで監視しており「Big brother is watching you」のポスターが街にあふれている。Big brotherを頂点とする「党」は全能で、あやまりを犯さないという信念の上に社会が成り立っている。それゆえに、人々は特殊な「二重思考法」*によってしか生きて行けない。これに似た国家や組織は世界のいたるところ、現実に存在している。
クマのプーさんの様な温和な顔をした習近平が、現代中国の皇帝になろうとは誰も予想していなかった。どのような背景があって、こんなビッグブラザーな独裁者が生じたのかは、さまざまな説がある。一つはファーザーコンプレックス説だ。近平の父、習仲勲(1913-2002)は毛沢東とともに中国革命の英雄の一人である。仲勲は中国の中央部にある陝西(せんせい)省に生まれ、10代で共産党組織に身を投じた。陝甘辺区ソビエト政府で主席となったのはわずか21歳のときだった。当時、中国共産党は国民党軍から逃げるために、1万2000キロ以上にも及ぶ長征を行なっていた。毛沢東は10万人の兵力を数千人にすり減らすような過酷な逃避行を行なっていたが、この「長征」の最終目的地となったのが陝西省だった。そこでは若き習仲勲らが共産党の根拠地を死守していたからだ。共産党政府は同省の延安を臨時首都とした。もし習仲勲らの根拠地(延安)がなかったら、中華人民共和国は成立しなかっただろう。その成立後、仲勲は党中央委員、国務院副総裁などを務めたが、共産党政府の中枢に至らず、文革中は紅衛兵によるひどい迫害を受けた。毛沢東が死んでから復権し、80年代には党中央政治局員などについた。民主化を促進した胡耀邦に同調し、学生運動にも寛容な態度を示した。「人々は意見を提議したり批判を行なったりすることが許されている。批判が誤っておれば反批判を行えばよい。そのようにして始めて党内に生き生きとした活発な政治状況がもたらせれる」とした ***。天安門事件の翌年も全人代常務委会で「意見の異なる者を反対派や反動派とみなしてはならない。異なった意見を保護し、重視して検討すべきである」と主張し、その翌日、鄧小平により役職を罷免された。2度目の政治的幽閉である。中国の歴史で筋の通った無私無欲の義侠人は三国志の諸葛孔明ぐらいかと思っていたが、習仲勲もまれにみる立派な政治家であった**。
ところが、その息子、近平は社会主義的民主化を主張した父のものでなく、晩年の毛沢東に近い独裁路線をとっている。父と反対の路線をとるのは、ファーザーコンプレックスがある証拠である。父と違って何の実績もない近平が、レガシーを得るには”台湾の解放=中国の統一”しかない。徹した国内の言論抑圧はその体制作りなのかもしれない。彼は必ずそれをやるだろう。毛沢東につづくビッグブラザー、習近平の動向が今後も注目される。
さて、中国共産党と絶縁しているという日本共産党の状況はいかなるもののであろうか?中国共産党も日本共産党も「民主集中制」を建前としている(これ自体が論理矛盾なのだが)。党内で内々に自からの意見を主張し論争することはあっても、一たび党の方針が決まれば基本的にそれに従い、党中央と対決するよう事は許さないというものである。共産党は、このような美くしい建前を並べはするが、重要な事案については、トップの方針以外認められる事はない。形式的に議論や討論がなされることはあっても、上から派遣されてくる官僚党員が押さえつけるか、下部党員が忖度して従うだけである。日本共産党で異論を唱える根性のある党員はすべて淘汰されており、いまや従順が習い性となった年寄り集団に純化されている。まともな批判に対しては、十年一日のように「反党分子」、「スパイ」、「トロッキスト」の決まり文句が投げかけられる。まったく生きた政治化石以外の何物でもない。
つい最近も共産党本部の政策委員会で安保外交部長も務めた松竹伸幸氏が党を除名された。共産党がいつまでも党首の直接選挙を実施しない事を党外出版物で批判したというのである。「赤旗」が松竹氏の「異論」を一つの意見として掲載する事はありえないので、やむおえない手段であったようだ。この共産党の対応には朝日新聞も社説で批判している(https://www.asahi.com/articles/ DA3S15550073.htm)。反自民という視点での批判や政策は、他の野党より比較的まともなことを言うが、こんなのが万一、政権をとると日本国がジョージ・オーウェルによる「動物農場」みたいになると思う市民は多い。習近平は精華大学大学院、志位和夫委員長は東大工学部を卒業した「エリート」である。エリート幹部はいつも自分は正しいと思い込んでいる。「科学的マルクスレーニン」主義の絶対性哲学が党の無びょう性信仰に反映されているのかもしれない。まったく「何を偉そうにしとんねん」と言いたくなる。志位委員長はこの問題を記者団に問われ、「赤旗の藤田論説を読んでくれ」と繰り返すのみである。日本共産党のビッグブラザーは20年以上も党首を続けているこの人物である。
参考文献
ジョージ・オーウェル 「1984」高橋和久訳 ハヤカワ文庫 p324
*二重思考とは、この小説によると二つの相矛盾する思考を心に抱き、その両方を受け入れる能力をいう。[党]は意識的な欺瞞を働きながら、完全な誠実さを伴う目的意識の強固さを保持する。故意にウソを吐きながら、しかしそのウソを心から信じている。それ故に批判にたいしては異常なほどヒステリックに反応する。自民党も共産党もこの二重思考に侵されているが、自民党のほうが、まだある種の寛容さがある。
柴田哲雄 「習仲勲の政治改革に対する姿勢,並びにその背景にある前半生の経歴」現代中国研究34 (P66)2015
柴田哲雄 「習近平の政治思想形成」彩流社 2016
**2001年に習近平は父から学んだ5つの事を手紙に書いている。1)正しい人となり、2)功績を鼻にかけない謙虚さ、3)確固たる政治信念、4)天心純潔な気持、5)質素な生活である。
福島香織 「習近平王朝の危険な野望」さくら舎 2018
エドワード・ルトワック 「ラストエンペラー習近平」文芸春秋 2021
城山英巳 「習近平の仮面を剥ぐー愛憎渦巻くファミリーの歴史」文芸春秋 2022/11月号p94-
***仲勲語録「私は長い間づつと、一つの問題を考え続けてきた。つまり異論をどうやって学ぶかという事
である。共産党の歴史を見ると、異論の封殺によってもたらされた社会の厄害はとてつもなく大きい」
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