日本経済新聞 6月14日夕刊より
あすへの話題
世の中が一方向に傾くとき 作家 小池真理子
医療機関以外の場所で、マスクをつけている人が格段に少なくなった。仲間うちでも、めったに新型コロナの話題は出ない。何が起こったのか、何が正しくて、何が間違っていたのか、判然としないままに時が流れた。すべてがうやむやになり、過去のものとして封印されてしまったようにも感じられる。
私は一度もコロナワクチンを接種していない。がん治療を続けていた夫が力尽きたのは、コロナパンデミックが起こる直前だったが、彼の身体に起こったことをつぶさに見てきたから、というのが接種を拒否した最大の理由である。夫は通常の抗がん剤ではなく、承認されたばかりの免疫細胞に直接働きかけ、自力でがんを縮小していく、という画期的な新薬である。
即座にすばらしい効果が表れたが、一方では思ってもみなかった多彩な副作用が出現し、止まらなくなった。生体に本来、備わっている優れた免疫機能を故意にいじることは恐ろしい、と何度か感じた。
今回のワクチンを本能的に遠ざけたのはそのためである。科学的根拠ではない、自分の直感に従ったまでだ。しかし、周囲の理解は全く得られなかった。親しい人々は真顔で呆れ、真剣に忠告してきた。到底、理解できないと言われた。変人扱いされた。
世界大戦が始まる時のように、いきなり世の中が全体主義に傾いてしまったように感じられた。強い恐怖を覚えた。
ファシズムは、私たちの日常の中からこそ芽生えると言われている。あの時期、私が感じ続けていたのも、まさにそれだった。