2007年6月5日(火曜日)
先日来、あたまのかたすみに、ひっかかっていた
「あるもの」の正体がやっと判明した!!
今日は、朝一の電車で岐阜行き。
車中でうつらうつらと居眠りしつつも、この激動の1週間を
ふりかえっていた。
コリナさんや妹のマデリーナさん、おばのエミリアさんの
顔を思い浮かべながら・・
わたしたちの募金活動が2ヶ月という短期間でありながら
多くの方々の賛同を得られたのも、マスコミがとりあげて
くれたからだったなぁ・・
と、その瞬間、「ジャーナリスト」という言葉が
あたまの中で、炸裂したのだ。
そっかぁ!「ジャーナリスト」だったのだ!
3日の朝、マデリーナさんとエミリアさんを
敦賀駅で見送ったあと、かかってきた新聞社からの電話が
わたしを激怒させたことに端を発していたのだ。
「コリナさん訃報」の一報を独自取材で入手したから、
4日に予定している「支援する会」の会見を
3日にしてほしいという申し入れの電話だった。
支援する会では、今後のことも含め3日に話し合いを
した上で、会見に臨むつもりだったので、
それはできないと断ったが、あなたたちが会見しなくても
記事は書くと言われて、わたしはプッツンしたのだ。
多分そのときに、ジャーナリストというよりも、
「わたしたちは正義だ!」と大上段にものをいう
ジャーナリズムのあり方に、強い不信感を覚えたのだろう。
ジャーナリストと言う言葉は、一睡もしていない朦朧とした
わたしのあたまには、浮かんでこなかったが、
しこりとなってわたしを悩まし続けていたのだ。
マスコミとの付き合いは、とてもむずかしい。
市民運動や市民活動する側にとっては、強い味方だが
ときには、わたしたちの思いや考えとは違う方向へと
誘導されてしまうこともある。
コリナさんのことでは、マスコミにずいぶんと助けられたし
こころからありがたいと感謝もしている。
でも3日の朝の1本の電話は、これからもわたしを
悩まし続けるにちがいない。
なぜなら、わたし自身も言葉を武器にたたかっているからだ。
あらためて「わたしが権威になる」ことの
意味を深く考えさせられた。
先日来、あたまのかたすみに、ひっかかっていた
「あるもの」の正体がやっと判明した!!
今日は、朝一の電車で岐阜行き。
車中でうつらうつらと居眠りしつつも、この激動の1週間を
ふりかえっていた。
コリナさんや妹のマデリーナさん、おばのエミリアさんの
顔を思い浮かべながら・・
わたしたちの募金活動が2ヶ月という短期間でありながら
多くの方々の賛同を得られたのも、マスコミがとりあげて
くれたからだったなぁ・・
と、その瞬間、「ジャーナリスト」という言葉が
あたまの中で、炸裂したのだ。
そっかぁ!「ジャーナリスト」だったのだ!
3日の朝、マデリーナさんとエミリアさんを
敦賀駅で見送ったあと、かかってきた新聞社からの電話が
わたしを激怒させたことに端を発していたのだ。
「コリナさん訃報」の一報を独自取材で入手したから、
4日に予定している「支援する会」の会見を
3日にしてほしいという申し入れの電話だった。
支援する会では、今後のことも含め3日に話し合いを
した上で、会見に臨むつもりだったので、
それはできないと断ったが、あなたたちが会見しなくても
記事は書くと言われて、わたしはプッツンしたのだ。
多分そのときに、ジャーナリストというよりも、
「わたしたちは正義だ!」と大上段にものをいう
ジャーナリズムのあり方に、強い不信感を覚えたのだろう。
ジャーナリストと言う言葉は、一睡もしていない朦朧とした
わたしのあたまには、浮かんでこなかったが、
しこりとなってわたしを悩まし続けていたのだ。
マスコミとの付き合いは、とてもむずかしい。
市民運動や市民活動する側にとっては、強い味方だが
ときには、わたしたちの思いや考えとは違う方向へと
誘導されてしまうこともある。
コリナさんのことでは、マスコミにずいぶんと助けられたし
こころからありがたいと感謝もしている。
でも3日の朝の1本の電話は、これからもわたしを
悩まし続けるにちがいない。
なぜなら、わたし自身も言葉を武器にたたかっているからだ。
あらためて「わたしが権威になる」ことの
意味を深く考えさせられた。