金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【訃報】 ネオユニヴァースの思い出 with 福永祐一騎手

2021-03-16 07:07:40 | 競馬

 3月8日にネオユニヴァースが亡くなりました。享年21歳、種付中の事故が原因で予後不良となりました。 長い間、お疲れ様でした。安らかにお眠り下さい。 合掌

 

 ネオユニヴァースと言えば、ミルコ・デムーロとのコンビが有名で、この訃報を報道する多くの記事が、ミルコのお悔やみの言葉を紹介しておりました。しかし、本来であれば、この馬の主戦騎手は、福永祐一騎手であるはずでした。

 ネオユニヴァースのデビュー戦、第3戦の白梅賞、第4戦のきさらぎ賞(GⅢ)と、福永騎手が騎乗して、全て勝利を飾りました。しかも、デビュー戦の直後には、瀬戸口調教師に対して「GⅠ級の馬です」と褒めたたえていた関係。しかし、福永騎手は、同世代で同じ瀬戸口厩舎のエイシンチャンプの主戦でもありました。エイシンチャンプは、暮れの朝日杯FS(GⅠ)を勝ち、皐月賞トライアルの弥生賞にも勝利。ここで、エイシンチャンプを選ぶか、ネオユニヴァースを選ぶか、の二者択一となります。

 福永騎手は、恩師の瀬戸口調教師とよくよく相談の上、エイシンチャンプを選択しました。瀬戸口調教師にしても、ネオユニヴァースには短期免許で来ていたMデムーロに依頼して、どちらにしても、ダービーの時には、再度、福永騎手に選んでもらう算段だったのだと思います。しかし、運命はそう簡単には転ばないもの。

 皐月賞でネオユニヴァースを勝利に導いたMデムーロ騎手に、どうしてもダービーでも騎乗してもらいたいのが、オーナーである社台ファームの吉田照哉総帥。イタリアに帰国していたMデムーロを、現地の厩舎筋に何度も要請して、ついにミルコをダービーでも乗せることに成功しました。もちろん、瀬戸口調教師は微妙な心境だったのだと思いますが、オーナーの強い意向に逆らうことは出来ません。

 結果として、Mデムーロ騎手を背に、ネオユニヴァースは2003年の皐月賞・ダービーの二冠馬に輝きました。ちなみに、福永騎手の初ダービー制覇は、この年から14年後、ワグネリアンの2017年まで待つことになります。

 そして、2020年にはコントレイルで三冠ジョッキーに。遅咲きの部類に入る、福永騎手にとって、ネオユニヴァースは、飛躍のためのほろ苦い教訓だったのかもしれません。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【重賞回顧】 金鯱賞・フィリ... | トップ | 【コントレイルのローテーシ... »
最新の画像もっと見る

競馬」カテゴリの最新記事