ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

安堵感

2015-01-10 15:30:13 | 日々の暮らし・思い出
一日中居間に義父は居る。

そういう居間で私たちは食事をしたり、お茶を飲んだり、

テレビを見たり、本や新聞を読んだり、手芸したり、

お見舞いの人の相手をしたりしてる。

義父はほとんど目を瞑って横たわっている。

ぐうぐう寝入っているときもあれば、夢うつつみたいな時もある。


年末に夫の娘たちが見舞いに来てくれた時、

義父(彼女たちからすればお祖父ちゃん)についてのいろいろな思いを話しているとき、

義母のことが思い出された・・・


倒れるまでほぼ一日居間の籐椅子に座っていた義母。

その義母が倒れて寝たきりになった時、

当然だけど、それから居間の籐椅子に座ることがなくなった。


そうだっ・・・あの時ほっとした私だった・・・・・

と、誰も座らなくなった籐椅子を見た時の思いが

その時初めて浮かび上がった。

あぁ、あの時私は義母がそこから居なくなったことに

大きな安堵感を覚えたのだったなぁ。

その思いにスポットライトをあててなかったから

記憶の闇に葬られていた。

そう、そして、義母が義母の寝室で寝るのは当たり前なんだし・・・

なんて一人で無意識のうちに言い訳していた自分を思い出した。


いま、義父は居間に置いたベッドで一日を過ごしている。

退院したらここに居てもらおうよ、と夫に言った私だ。

そういう言葉が自然と口に出た。

寝るのは寝室で当たり前、なんて考えは露ほども浮かばなかった。


けれど、寝ていても目を覚ました時に人の気配がある部屋に居る義父に比べると、

寂しい思いをしたかもしれない。

でも仕方なかった・・・そう思う。

そうしたい、という思いが浮かばなかったんだもの・・・

夫も私も。


義母に比べると、自己顕示欲の強くない、空気とまでは言わないけど、空気のような義父は

自然と周りの人をそういう気持ちにさせてしまうのだなぁと

このことで、また思ったよ。

人の心はと人と人とのその時その時の相互作用でそうしたくなったり、

そうしたいと思わなかったり・・・で動いていくのは自然なことなんだろうと思った。

でも、お義母さん、ごめんね。

寂しかったね・・・
コメント
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