ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ロコルナール  マクドナルド  エリンギ えろんぎ

2015-01-19 15:06:50 | 日々の暮らし・思い出
義父は横たわってばかりいる。

何かを口に入れ終わるとすぐに横にしてと言う。

寝てばかりではなく、なるべく身体を起こして・・と今日のナースは言う。

そうだなぁと思うけれど、ベッドを倒さないでいるとどんどん潜るようにして寝てしまう。

昨日の夕方、何かを私たちが問いかけたわけではないのだけれど、

寝ていたと思っていた義父が「焼酎を」と声を出した。

それを聞いて、夫とどうしようかと話したんだけど、

夕飯に作ったコーンポタージュを飲んでもらおうかということになった。

ハイと言って、温かいスープを手渡した。

義父は何も言わずに飲んで「あ~美味かった」と一言。

「焼酎を」という言葉を聞いたとき、

いま、焼酎を飲みたいのだな、と受け取ったのだけれど、

多分違っていたのかと思った。

転倒し、肺炎にもなって臥せるようになってから、

ずっと義父は寝てばかりいる。

寝ているということは身体を動かさないということで、

身体の動きと関連しての意識がない生活をしているといえる。

身体の動きと関係あるのは、何かを口に入れて美味しいと感じること・・・

身体を温かいタオルで拭かれたときにあ~気持ちいい、と気持ちよさを感じること・・・

大小便をしてすっきりした?と思うこと?・・・

…身体が動くことによっての意識はそれくらいかなぁ。

もうちょっとあるかもしれない。

痰が絡んでイヤだなぁとか・・・

でもそれら以外の時間は身体の動きとは関係ない意識だけがある。


寝ていて夢を見るのも意識がすることで、

横たわっていて夢ではなく何か思うこともあると思うけれど、

それも身体と関係なく思いだけが脈絡もなく浮かぶんじゃないだろうか。


そういう意識暮らしをしていると年令にもよるのだろうけれど、

夢か現かわからなくなるというふうになるのも当然かと思った。

「焼酎を」という言葉も夢の中の言葉で、

身体の動きとセットになっていないものだったんじゃないかと思った。

一日なんやかんやして、夕食に焼酎でも一杯飲もうか、

というような動きのないただの夢の中か、

無意識的に出て来た言葉だったのかと思った。


義母も倒れて臥せっていた時期、だんだん正気モードでなくなり、

長年服用していた「ロコルナール」という薬を「マクドナルド」と言ったりした。

言葉とその意味が分離してしまって、

マクドナルドのナルという音と薬のナールという音が近かったのでそれが出てきたのだなと思う。

自分でその薬を袋から出し、自分で口に入れたりする、

身体の動きと関連する言葉ではなくなってしまって、

そういう言い間違いが起こったということなんだろうか・・・


この前、私も『エリンギ』というきのこの名前が出て来なくて、

エロンギ、という言葉が出てきたことがあったよ。

でもなんか違う・・・それがなんだかわからない・・

そして冷蔵庫の中を見てその物を見たらエリンギと書かれてあって、

そうだ、エリンギだ、と思ったのだった。

ちょっとやばいよね~。

これも義母のマクドナルドと同じだよ。

痛いとか痒いとか美味しいとか身体と関係する言葉は忘れることは今の処ない。

忘れるのは人や物の名前が多い。

やはりこれも自分の身体の動きと関係ないただの記号のようなものだからじゃないのか。

そう、名詞は忘れやすい。

動詞や副詞や形容詞は忘れにくいんじゃないか。

名詞の中でも「エリンギ」より「しめじ」や「人参」や「大根」の方が忘れにくい気がするよ。

子どもの頃から使っているからね。

「エリンギ」なんてのは子どもの頃、私の生活に登場しなかったものね~。


ま、とにかく、寝たきりになると呆けるということがどうして起こるのか、

わからないでいたんだけど、こういうことなんじゃないかと思ったんだよ。


寝たきりでもない私の『エロンギ』・・・

これはどういうふうに納得しましょうかねぇ・・・
コメント
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