義父の退院後ひと月が過ぎた。
義父の様子を観て来て、いろいろわかるようになったことがある。
顔が広がったような締まりのない顔つきの時は、
今ここ という時空に意識が住んでなく、過去に住んでいる。
「○○を配ってくるわぁ」「畑に行ってくる」「浜に行く」
「トイレに行ってくる」「温泉に行こうか」・・・・
・・そういう時はこんなことを話す。
声が変に大きめな時も過去という時空に居る。
何を言っているのかわからない、ぼよ~んと広がったような声の時も、
過去に居る。
一日の中でも今どこに意識が住んでいるのか、が違うよう。
昨日書いたみたいな発言はその時の、 今ここ だったのかなと思う。
そういう時は締まったきりりとした顔つきで、話し方も穏やかだ。
普通の人でも顔つきって表わすなぁって思う。
その人のその時の心を。
そうした長い年月で蓄積された心が、今そこに、
しわの具合や表情に現れているのかなと思うことがある。
顔の造作は変わらないけれど、
ずっとたたみっ放しだった洋服の折じわみたいに取れない表情があるような気がする。
テレビで自民党の麻生さんが映ると、その口の歪み具合に、
この人は幼い頃はこんなふうに口が曲がっていなかったんじゃないかな、
なんて思う。
いや、実際のところは知らないから、勝手な感想だよ。
お義父さんは98才なのに、顔は本当にしわがなく、つるっとしている。
一本もないという事は勿論ないけれど、
ほっぺた、鼻の周りは、つるりんぴかぴか。
きっと心が割といつも穏やかで、激しい感情表現なんてしなかったんじゃないかな。
腕や手はしわくちゃだけれど、
そこは心というより今までの身体の動きが現われているのかもしれない。
けれど、顔がしわくちゃでもすごくいい顔つきの老人も居る。
そういう人はいっぱい笑って、自分を抑えずに在りのままの感情表現をしてきた、
そんな人なんじゃないかなぁ・・・
これも勝手な感想であります。
私もいい顔つきの人で居たいけど、
過去の多くの多くの多くの多くの・・・恥ずかしい心や、
自分を抑えて頑張ってきたことなんかを思い出すと、
この顔つきでももうしかたないや と思う。
けど、これ以上ひどくならないように心しなくてはいけないね。
義父の様子を観て来て、いろいろわかるようになったことがある。
顔が広がったような締まりのない顔つきの時は、
今ここ という時空に意識が住んでなく、過去に住んでいる。
「○○を配ってくるわぁ」「畑に行ってくる」「浜に行く」
「トイレに行ってくる」「温泉に行こうか」・・・・
・・そういう時はこんなことを話す。
声が変に大きめな時も過去という時空に居る。
何を言っているのかわからない、ぼよ~んと広がったような声の時も、
過去に居る。
一日の中でも今どこに意識が住んでいるのか、が違うよう。
昨日書いたみたいな発言はその時の、 今ここ だったのかなと思う。
そういう時は締まったきりりとした顔つきで、話し方も穏やかだ。
普通の人でも顔つきって表わすなぁって思う。
その人のその時の心を。
そうした長い年月で蓄積された心が、今そこに、
しわの具合や表情に現れているのかなと思うことがある。
顔の造作は変わらないけれど、
ずっとたたみっ放しだった洋服の折じわみたいに取れない表情があるような気がする。
テレビで自民党の麻生さんが映ると、その口の歪み具合に、
この人は幼い頃はこんなふうに口が曲がっていなかったんじゃないかな、
なんて思う。
いや、実際のところは知らないから、勝手な感想だよ。
お義父さんは98才なのに、顔は本当にしわがなく、つるっとしている。
一本もないという事は勿論ないけれど、
ほっぺた、鼻の周りは、つるりんぴかぴか。
きっと心が割といつも穏やかで、激しい感情表現なんてしなかったんじゃないかな。
腕や手はしわくちゃだけれど、
そこは心というより今までの身体の動きが現われているのかもしれない。
けれど、顔がしわくちゃでもすごくいい顔つきの老人も居る。
そういう人はいっぱい笑って、自分を抑えずに在りのままの感情表現をしてきた、
そんな人なんじゃないかなぁ・・・
これも勝手な感想であります。
私もいい顔つきの人で居たいけど、
過去の多くの多くの多くの多くの・・・恥ずかしい心や、
自分を抑えて頑張ってきたことなんかを思い出すと、
この顔つきでももうしかたないや と思う。
けど、これ以上ひどくならないように心しなくてはいけないね。