ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

義父の昨日今日・・・

2015-01-28 15:21:23 | 日々の暮らし・思い出
一昨日はなんだか聞き取れない言葉をずっとうわごとのように言っていた。

目を開けたり閉めたりしていた。

昨日今日はすごく静かで、飲もう食べようという気がまるでないような様子。

こんな風を見ていると、もうそんなに長くないんじゃないか・・・

どうしてもそんなふうに思ってしまう。

熱もないし、酸素も十分なのに。

どうして義父がこういう状態になっているのか、わからない。


「神との対話」の本によると、

人は身体と精神と魂(本当はこういう言葉で完全に表せられるものじゃないけれど、一番近い言葉としてはこれだそう)で出来ていて、

死というのは、魂がこれ以上この身体にいてもすること(心が成長すること)がない、と見限ったとき、

身体から離れて行くという現象・・・

確かこんなふうに書かれてあったと思う。

信じているわけじゃないけど、そういう解釈もあるなと思ったことがあった。

人生のそれまでは、『魂』は身体や精神の思うまま為すままを、

ただそうかと観察するだけで何もしない、できないのだけれど、

死の時を決めることだけは出来る、とあった・・と思う。

あぁ、そうなのだなとこれについては納得した私だ。


おとうさんに宿っている魂はもう成長のチャンスはないと決めてしまうんだろうか・・

それとも、もうしばらく居てくれるんだろうか・・・


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世界がぜんたい幸福にならないうちは・・・

2015-01-28 15:00:59 | ひとの幸福
前に書いたけど・・・

自分ではなんとも思ってなかったことでも、人によっては

・・そんなあなたの対応じゃ、相手はつけあがるよ、もっと強く言っていかなくっちゃダメだ・・・

などと言う人もいる。

ひとはそれぞれいろんな考えを持っているから、人によっては、そんなことを言う人もある。

そういう言葉に、そうか、自分は甘いのか!?・・・

などと思うようになり、

厳しく振る舞ったりする・・・

こんなふうに人との相互作用で思いや行為が変わってくる。

世界はそんなふうな相互作用で出来ている。

宮沢賢治の、「世界がぜんたい幸福にならないうち は個人の幸福はあり得ない」

という言葉がいってるのもそういうことだと思う。

みんなが幸福になったら自動的に個人は幸福にならざるを得ない。

その“みんな”の始まりは“私”であり、“個人”なんだけども。
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「わかってほしい」という気持ち

2015-01-28 14:46:38 | ひとの幸福
人にわかってほしい、という気持ちがこの世にある。

それは、わかってもらえてない、というのが前提にあるからだろう。

そのことがさびしく感じる、というより、

わかってもらえないと落ち着かない、どうしてもわかってほしい・・

と、なるのは、どういうことなんだろう??

共感を求めているのか・・・いや・・・

他者がわかってくれないと自分の気持ちが落ち着かないというのは

共感云々とは違うだろう・・

自分の心情の安定のために他者の理解が必要、ということは、

精神的に自立していない状態といえるねぇ・・・

うん・・そういうことだな・・・


反対に、わかってもらえなくても平気という心情もある。

自分のしていること、思っていることが

人にわかってもらえてなくてもいい、ということだけど、

どうしてそうなっているのかというと、

自分が思っていること、自分がしていることは、自分がわかっている。

それだけで十分だ・・という状態かと思う。

そう考えると、ひとの理解が必要だとなっている人は、

自分が思っていること、していることを当の自分がわかってやってない、からじゃないか・・

自分が自分のことを認めてやってないのか・・・・・


それを別の表現で言うと、自分の思っていること、していることに自信がない・・

というんだろうか・・・





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