一昨日はなんだか聞き取れない言葉をずっとうわごとのように言っていた。
目を開けたり閉めたりしていた。
昨日今日はすごく静かで、飲もう食べようという気がまるでないような様子。
こんな風を見ていると、もうそんなに長くないんじゃないか・・・
どうしてもそんなふうに思ってしまう。
熱もないし、酸素も十分なのに。
どうして義父がこういう状態になっているのか、わからない。
「神との対話」の本によると、
人は身体と精神と魂(本当はこういう言葉で完全に表せられるものじゃないけれど、一番近い言葉としてはこれだそう)で出来ていて、
死というのは、魂がこれ以上この身体にいてもすること(心が成長すること)がない、と見限ったとき、
身体から離れて行くという現象・・・
確かこんなふうに書かれてあったと思う。
信じているわけじゃないけど、そういう解釈もあるなと思ったことがあった。
人生のそれまでは、『魂』は身体や精神の思うまま為すままを、
ただそうかと観察するだけで何もしない、できないのだけれど、
死の時を決めることだけは出来る、とあった・・と思う。
あぁ、そうなのだなとこれについては納得した私だ。
おとうさんに宿っている魂はもう成長のチャンスはないと決めてしまうんだろうか・・
それとも、もうしばらく居てくれるんだろうか・・・
目を開けたり閉めたりしていた。
昨日今日はすごく静かで、飲もう食べようという気がまるでないような様子。
こんな風を見ていると、もうそんなに長くないんじゃないか・・・
どうしてもそんなふうに思ってしまう。
熱もないし、酸素も十分なのに。
どうして義父がこういう状態になっているのか、わからない。
「神との対話」の本によると、
人は身体と精神と魂(本当はこういう言葉で完全に表せられるものじゃないけれど、一番近い言葉としてはこれだそう)で出来ていて、
死というのは、魂がこれ以上この身体にいてもすること(心が成長すること)がない、と見限ったとき、
身体から離れて行くという現象・・・
確かこんなふうに書かれてあったと思う。
信じているわけじゃないけど、そういう解釈もあるなと思ったことがあった。
人生のそれまでは、『魂』は身体や精神の思うまま為すままを、
ただそうかと観察するだけで何もしない、できないのだけれど、
死の時を決めることだけは出来る、とあった・・と思う。
あぁ、そうなのだなとこれについては納得した私だ。
おとうさんに宿っている魂はもう成長のチャンスはないと決めてしまうんだろうか・・
それとも、もうしばらく居てくれるんだろうか・・・