さっぱりとした気性。
陽気。
僻み根性が強い。
ひとの心に思いが行く(よくもわるくも。ひとの心を忖度したり、心遣いをしたり)
いろんなことをすぐ忘れる。
所謂、頑張り屋・・・周りに人が居ることを忘れ、一人で頑張ってしまう傾向大いにあり。
やりたいと思ったその事がやれる事柄ならすぐに行動に移すタイプ。
動くことを厭わない。
模様替えが好き。引っ越しも好き。
ごはん作りより片付けや洗濯が好き。
不便だなと思うとすぐ解決したくなる。
ひとと接するのが好き。
嫌いな人がいない。(気に入らないと思う行為はあるけど)
怒りの感情をぱっと出せない傾向がある。
・・・・自分がどんな人か客観視してみようと、、、なんだかそう思って書き出したら、
最後?にこれ、「怒りの感情を・・・」が出て来たよ。
・・・これが出て来るまでのなんだかんだだったのかもしれないと思った・・・
失敗したことに、非難の風を感じた・・のに、すぐそれを出せない。
そんなふうな風に当たるのはイヤだと言えない。
はげだと軽蔑されて、それがイヤと感じるというようなことは、
はげてるのはみっともない、というような価値づけが自分の中にあるからで、
相手に言うことでもないと思うけど、
上に書いた事例のようなのは、そういったものじゃない。
でも、同じようなものか・・・
ムッとしたその気持ちを自分だけで収めてはいけない、そう思った。
私はそういう気持ちをぱっとしまってしまう傾向がある。
非難風を感じてイヤだと思った私なのに、
それに対して又非難風を送ることになってしまうとわかるからだ。
イヤという気持ちに相手への非難がセットで付いている・・・
なんだ、相手と同じじゃないか・・・
そんなふうに思ってしまって「イヤだ」が出せない・・
でもそれは私にとっても相手にとってもよくないんじゃないか。
よし、今はじっくりと観察しよう。
ひとの失敗を批判非難する行為の元は、
対岸に居て何もしようとせず、偉そうに見ている・・
そういう風のように思う。
そうだ、『対岸とこっちの岸』という二つの世界からの風はとても冷たいものなんだ。
けれど、そういう風を発してしまうことは誰にでもある。
そういう風をいっぱい受けて来たから、
(みんな、小さな頃から観察してきた)
ついつい真似してしまう。
いま、自分が対岸から見てるな、と思うことがある。
それを風にしないことが出来るのは、
そういう処に自分が居るとわかっていて、そうしたくないという意志があるからだ。
(自分が自分をわかってない場合が多いので、
自分の心の居場所がわかってない場合を除いてのこと)
そういう対岸からの風を受けたときは、
あなた、今、そういう風を起こしたよ、それは冷たい風だからやめてね、と頼めばいい。
発した方は自分で自分が発した風に気付いていないんだから、
伝えたらいいんだ。
書き終えた今、なんだかとてもすっきりしてる。
これから、冷たい風が吹いてきた時には、冷たいよ~と言おう。
伝わらなかったら仕方ない・・ね。
でも、伝える、ということをしないよりずっといいはず。
自分にとっても相手にとっても。
陽気。
僻み根性が強い。
ひとの心に思いが行く(よくもわるくも。ひとの心を忖度したり、心遣いをしたり)
いろんなことをすぐ忘れる。
所謂、頑張り屋・・・周りに人が居ることを忘れ、一人で頑張ってしまう傾向大いにあり。
やりたいと思ったその事がやれる事柄ならすぐに行動に移すタイプ。
動くことを厭わない。
模様替えが好き。引っ越しも好き。
ごはん作りより片付けや洗濯が好き。
不便だなと思うとすぐ解決したくなる。
ひとと接するのが好き。
嫌いな人がいない。(気に入らないと思う行為はあるけど)
怒りの感情をぱっと出せない傾向がある。
・・・・自分がどんな人か客観視してみようと、、、なんだかそう思って書き出したら、
最後?にこれ、「怒りの感情を・・・」が出て来たよ。
・・・これが出て来るまでのなんだかんだだったのかもしれないと思った・・・
失敗したことに、非難の風を感じた・・のに、すぐそれを出せない。
そんなふうな風に当たるのはイヤだと言えない。
はげだと軽蔑されて、それがイヤと感じるというようなことは、
はげてるのはみっともない、というような価値づけが自分の中にあるからで、
相手に言うことでもないと思うけど、
上に書いた事例のようなのは、そういったものじゃない。
でも、同じようなものか・・・
ムッとしたその気持ちを自分だけで収めてはいけない、そう思った。
私はそういう気持ちをぱっとしまってしまう傾向がある。
非難風を感じてイヤだと思った私なのに、
それに対して又非難風を送ることになってしまうとわかるからだ。
イヤという気持ちに相手への非難がセットで付いている・・・
なんだ、相手と同じじゃないか・・・
そんなふうに思ってしまって「イヤだ」が出せない・・
でもそれは私にとっても相手にとってもよくないんじゃないか。
よし、今はじっくりと観察しよう。
ひとの失敗を批判非難する行為の元は、
対岸に居て何もしようとせず、偉そうに見ている・・
そういう風のように思う。
そうだ、『対岸とこっちの岸』という二つの世界からの風はとても冷たいものなんだ。
けれど、そういう風を発してしまうことは誰にでもある。
そういう風をいっぱい受けて来たから、
(みんな、小さな頃から観察してきた)
ついつい真似してしまう。
いま、自分が対岸から見てるな、と思うことがある。
それを風にしないことが出来るのは、
そういう処に自分が居るとわかっていて、そうしたくないという意志があるからだ。
(自分が自分をわかってない場合が多いので、
自分の心の居場所がわかってない場合を除いてのこと)
そういう対岸からの風を受けたときは、
あなた、今、そういう風を起こしたよ、それは冷たい風だからやめてね、と頼めばいい。
発した方は自分で自分が発した風に気付いていないんだから、
伝えたらいいんだ。
書き終えた今、なんだかとてもすっきりしてる。
これから、冷たい風が吹いてきた時には、冷たいよ~と言おう。
伝わらなかったら仕方ない・・ね。
でも、伝える、ということをしないよりずっといいはず。
自分にとっても相手にとっても。